資料名 著者、発行 発表年 ページ、サイズ 説明
水産博覧会報告 事務顛末之部 織田完之編,農商務省農務局 1883(明治16)年 3,181p.図版,20cm 明治16年3月1日から同年6月8日まで東京上野公園内で開催された水産博覧会の運営事務の記録をまとめたものです。甲第三号開会ノ布達(明治14年5月28日)から第七号事務所ヲ徹スル達(明治16年7月29日)までが記録されています。
水産博覧会褒賞授与人名一覧表 水産博覧会事務所 1883(明治16)年5月 一枚刷,82×63cm 明治16年に開催された水産博覧会の褒賞授与者を一枚紙に一覧したものです。
水産博覧会褒賞授与人名録 水産博覧会事務所 1883(明治16)年5月 44p,19cm 明治16年に開催された水産博覧会の褒賞授与者を冊子にまとめたものです。
水産博覧会規則 農商務省 1882(明治15)年 28丁,18cm 明治16年に開催された水産博覧会の「水産博覧会規則」「水産博覧会地方官心得」「水産博覧会売店規則」です。
水産博覧会審査評語 農商務省農務局 1884(明治17)年 7,118,105,119,24,24,9p,20cm 明治16年に開催された水産博覧会に出品され褒賞された出品物について、その1点1点の審査における評価を簡潔にまとめ記録しています。
水産博覧会第一区第一類出品審査報告 農商務省農務局 1885(明治18)年 246p.図版,20cm 明治16年に開催された水産博覧会の出品審査の報告書です。第一区第一類は漁具(受賞人及び姓名、漁船、漁網、各種漁具、捕鯨器具、釣具、総論)です。
水産博覧会第一区第二類出品審査報告 農商務省農務局 1884(明治17)年 2,116,134p.図版,20cm 明治16年に開催された水産博覧会の出品審査の報告書です。第一区第二類は河漁装置部、海漁装置部、漁場、網干場、漁舎です。
水産博覧会第三区出品審査報告 農商務省農務局 1884(明治17)年 2,82p.図版,20cm 明治16年に開催された水産博覧会の出品審査の報告書です。第三区は養殖之部です。
水産博覧会第四区出品審査報告 統計部 農商務省農務局 1884(明治17)年 2,94p.図版,20cm 明治16年に開催された水産博覧会の出品審査の報告書です。第四区は統計部です。
水産博覧会独案内 村上奉一編纂出版 1883(明治16)年 9丁,18cm 明治16年に開催された水産博覧会のガイドブックです。3月1日に開会した博覧会ですが、この独案内は3月20日に出版され水産博覧会事務局認可でした。定価八銭と表示があります。
第二回水産博覧会審査報告 第一巻第一冊 農商務省水産局 1899(明治32)年 2, 272p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この冊は、第一部漁業第一区鹹水漁業第一類網具及び常置漁具、第一部漁業第二区淡水漁業第十二類網具及び常置漁具です。
第二回水産博覧会審査報告 第一巻第二冊 農商務省水産局 1899(明治32)年 5, 2, 219p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この冊は、第一部漁業第一区鹹水漁業第二類から第十一類まで、第一部漁業第二区淡水漁業第十三類から第二十一類までです。
第二回水産博覧会審査報告 第二巻第一冊 農商務省水産局 1899(明治32)年 2, 2, 663p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この冊は、第二部製造第三区食用品第二十二類から第三十四類までです。
第二回水産博覧会審査報告 第二巻第二冊 農商務省水産局 1898(明治31)年 1, 41p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この冊は、第二部製造第四区肥料第三十五類から第三十九類までです。
第二回水産博覧会審査報告 第二巻第三冊 農商務省水産局 1899(明治32)年 1, 3, 325p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この冊は、第二部製造第五区薬用工用及雑用品第四十類から第四十七類までです。
第二回水産博覧会審査報告 第二巻第四冊 農商務省水産局 1899(明治32)年 1, 1, 170p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この冊は、第二部製造第六区食塩第四十八類から第五十三類までです。
第二回水産博覧会審査報告 第三巻 農商務省水産局 1898(明治31)年 1, 1, 27, 1, 2, 1, 11p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この巻は、第三部養殖第七区養殖第五十四類から第六十類までと第六部水族第十二区鹹水生物第十三区淡水生物です。
第二回水産博覧会審査報告 第四巻 農商務省水産局 1899(明治32)年 1, 3, 2, 219p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この巻は、第四部教育学芸及経済第八区教育学芸第九区経済と附追賞です。
第二回水産博覧会審査報告 第五巻 農商務省水産局 1899(明治32)年 1, 1, 1, 22p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に出品された出品物の審査報告です。この巻は、第五部器械器具第十区製作機械及製造用具第十一区貯蔵運搬用器です。
第二回水産博覧会附属水族館報告 農商務省水産局 1898(明治31)年 2, 92p.図版,25cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会の附属館として、兵庫和田岬和楽園内に建設された水族館についての報告です。水族放養と水族館建築に分けて報告されています。
第二回水産博覧会出品上の注意 第二回水産博覧会事務局 1896(明治29)年 32p.図版,22cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会の出品上の注意が書かれています。第一部漁業、第二部製造、第三部養殖、第四部教育学芸及経済、第五部機械器具の区分別になっています。
第二回水産博覧会道庁府県委員協議会要録 第二回水産博覧会事務局 1897(明治30)年 4,56p.,22cm 第二回水産博覧会(明治30年9月-11月、於神戸)開催にあたり、道庁府県の担当者を集めておこなった協議会の議事録です。明治30年2月13日15日16日17日に行われ、既に出品規則等は道庁府県に配布されており、そのほかの準備にかかる議事について打ち合わせたとあります。
第二回水産博覧会官庁出品目録 第二回水産博覧会事務局 1897(明治30)年 5,82p.,23cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会に農商務省、台湾総督府、文部省、庁府県から出品された出品物の目録です。
第二回水産博覧会審査概評 第二回水産博覧会事務局 1897(明治30)年 92p.,22cm 明治30年9月1日から同年11月30日まで兵庫県神戸市で開催された第二回水産博覧会の出品審査の概評です。
第二回水産博覧会要録 新潟県出品奨励会 1899(明治32)年 12, 16, 479p.,21cm 第二回水産博覧会(明治30年9月1日-同年11月30日、於神戸)に各道庁府県が出品したもののうち、新潟県に紹介するのが適当、または参考にしたいと新潟県出品奨励会が認めたものについて、その出品解説書を写し編集したものです。
第二回水産博覧会誌 大日本水産会出張事務所 1897(明治30)年 第1-10号,21cm 第二回水産博覧会の開催期間に合わせて、明治30年8月31日発行の第1号から明治30年12月12日臨時発行の第10号まで発行された博覧会のための刊行物です。
北海道水産豫察調査報告 北海道廳内務部水産課 1892(明治25)年 13, 265, 11, 8, 26p. 図版,26cm 明治22年から5ヵ年計画で北海道庁が実施した北海道水産調査のうち、初年度の調査報告を予察報告として上梓したものです。  このときの北海道水産調査は、欧米各国が水産調査を行い効果を挙げていることに倣い、北海道においても学理に従った精細な調査を行うことで、養殖や漁業の発展のための基礎固めをしようと計画されたものでした。調査は水族と漁業の2分野に分けて、それぞれに主任を置き実施されました。  なお、本書は『明治22年予察調査復命書』を増補校正して作成されたものでした。北海道本島の重要魚類と水産業について書かれており、千島及び各離島は調査未了のため掲載されていません。精緻な挿入画は伊藤有によるとあります。
北海道水産調査報告 北海道廳内務部水産課 1895-1902(明治28-35)年 1-3巻,26cm 明治22年から27年にかけて北海道庁が実施した北海道水産調査の報告書です。  巻之一は鱈漁業について編集され明治28年に刊行しました。巻之二は鰮漁業について編集され明治29年に刊行しました。巻之三は昆布採取業について編集され明治35年に刊行しました。緒言によると、昆布についてはそれまで詳細な研究がなかったことから、札幌農学校教授理学博士宮部金吾と農学士大島金太郎に嘱託し数年をかけて研究をしたとあります。その研究の成果が巻之三第一篇の分類に関する事項、第三篇の分析に関する事項に収められました。
日本製品図説 浅草海苔 高鋭一編,内務省 1877(明治10)年 45丁,24cm 明治政府は、1873(明治6)年に開催されたオーストリア博覧会(ウィーン万国博覧会)に初めて公式参加するため、出品する物産製品を全国から収集しました。以来、外国に日本の物産製品を紹介し名価を得、輸出の増大に役立ってきましたが、製品を著述したものがなかったため、1877(明治10)年、内務省は全国から収集した物産製品の解説書『日本製品図説』を作りました。  本書は浅草海苔について書かれたものです。製品の解説が丁寧であり、画を狩野雅信が描いているたいへん美しい解説書です。
日本製品図説 食塩 高鋭一編,内務省 1877(明治10)年 34丁,24cm 明治政府は、1873(明治6)年に開催されたオーストリア博覧会(ウィーン万国博覧会)に初めて公式参加するため、出品する物産製品を全国から収集しました。以来、外国に日本の物産製品を紹介し名価を得、輸出の増大に役立ってきましたが、製品を著述したものがなかったため、1877(明治10)年、内務省は全国から収集した物産製品の解説書『日本製品図説』を作りました。  本書は食塩や製塩について書かれたものです。製品の解説が丁寧であり、画を狩野雅信が描いているたいへん美しい解説書です。
日本製品図説 錦絵 高鋭一編,内務省 1877(明治10)年 2, 38p.,18cm 明治政府は、1873(明治6)年に開催されたオーストリア博覧会(ウィーン万国博覧会)に初めて公式参加するため、出品する物産製品を全国から収集しました。以来、外国に日本の物産製品を紹介し名価を得、輸出の増大に役立ってきましたが、製品を著述したものがなかったため、1877(明治10)年、内務省は全国から収集した物産製品の解説書『日本製品図説』を作りました。  本書は錦絵について書かれたものです。製品の解説が丁寧であり、画を狩野雅信が描いているたいへん美しい解説書です。
漁業法令 農商務省水産局 1902(明治35)年 80, 36p.,22cm 明治維新以後の日本における漁業の法令は、大改定を繰り返しながら、明治34年漁業法(旧漁業法)、明治43年漁業法(明治漁業法)、昭和漁業法(新漁業法、現行法)といわれる3つの漁業法により引き継がれてきました。  「漁業法令」は、明治34年4月13日法律第34号漁業法として公布され明治35年7月1日に施行された漁業法を掲載した冊子で、現代では明治34年漁業法(旧漁業法)と呼ばれる法律です。明治34年漁業法(旧漁業法)では、江戸時代に藩によって管理されていた漁業を、新政府による免許や許可に移行して管理し、漁業組合を設置することなどが定められました。  本書は明治35年6月に発行された「漁業法令」と明治35年7月に発行された「漁業法令(追加ノ分)」の合冊です。なお、本書の赤字の書き込みは、明治43年漁業法(明治漁業法)に改定されたときに書き込まれた改定箇所です。
改正漁業法規集 大日本水産会 1911(明治44)年 2, 245p.,19cm 明治維新以後の日本における漁業の法令は、大改定を繰り返しながら、明治34年漁業法(旧漁業法)、明治43年漁業法(明治漁業法)、昭和漁業法(新漁業法、現行法)といわれる3つの漁業法により引き継がれてきました。  「改正漁業法規集」は、明治43年4月20日法律第58号漁業法として公布され明治44年4月1日に施行された法律を掲載したもので、現代では明治43年漁業法(明治漁業法)と呼ばれる法律です。明治43年漁業法(明治漁業法)では、漁業組合制度を整理拡充し、漁業権を物権とし法律上の地位を確立するなどの改定が行なわれましたが、漁業権制度に関してはほぼ明治34年漁業法(旧漁業法)を踏襲しました。昭和8年と13年に漁業組合制度に関する大きな改定があったほかは、昭和24年に昭和漁業法(新漁業法)が成立するまでの40年間近くにわたり実効されてきました。
水産関係法規 大改訂五版 大日本水産会編纂,大日本水産会 1938(昭和13)年 1016p.,19cm 明治維新以後の日本における漁業の法令は、大改定を繰り返しながら、明治34年漁業法(旧漁業法)、明治43年漁業法(明治漁業法)、昭和漁業法(新漁業法、現行法)といわれる3つの漁業法により引き継がれてきました。  明治43年に公布された明治43年漁業法(明治漁業法)は、昭和24年に昭和漁業法(新漁業法)が成立するまでの40年間近くにわたり実効されてきましたが、その間改定が幾度となく加えられ、昭和8年と13年には漁業組合制度に関する大きな改定がありました。  「水産関係法規 大改訂五版」は、明治43年漁業法に昭和13年漁業組合制度に関する改定が加えられたときの法令を掲載したものです。
熊本縣漁業誌 熊本縣農商課 1890(明治23)年 上下巻,27cm 第3回内国博覧会(明治23年/東京上野)に向け、熊本県が県内の漁具漁法について調査、編集した漁業誌です。  緒言によると、県下1市15郡のうち7郡が海に面し、そのうち生計の大半を漁業によっているものが70%であった。しかし旧慣例規を無視した乱獲により不漁が続いていたため、往時の漁具漁法を調査し漁の回復に向けた計画を立てたいと思っていたが、実現せずにいたところに、内国博覧会会場出品があり着手することができた、とあります。また、調査においては、漁の時期(季節)が調査時期と一致しているものは実地に実物を調査し、沿革慣習は老漁師の口碑(伝承)を聞き、概要をまとめたとあります。  冊子は上下巻に分かれ、漁法をあらわしたモノクロの精緻な挿絵が挿入されています。
漁具解説 附製造養殖 福井縣内務部第五課 1898(明治31)年 154p.,22cm 第2回水産博覧会(明治30年/神戸)に出品されていた各府県の漁具、水産加工品、養殖法の中から、一部を選び編集した解説書です。福井県内務部は、福井県下の水産業の現況に照らし参考となるものを選び印刷した冊子を、県内の水産業者に頒布し、県内水産業の改良発達を狙ったようです。例えば、漁具では巾着網(岩手県)や鯛縛り網(大分県)、水産加工品では魚煎餅(愛知県)や小魚ノ酢漬け(和歌山県)、養殖法では養鯉(埼玉県)などが紹介されています。
福岡縣漁具調査報告 河川漁具之部 (漁業基本調査第二報) 福岡縣水産試験場編纂 1919(大正8)年 36p.,26cm 「漁業基本調査」(福岡県水産試験場編纂)は福岡県水産試験場により大正2年から漁村について調査が始められ、大正6年に第一報「福岡県漁村調査報告」が刊行されたものが始まりです。  第二報「福岡県漁具調査報告 河川漁具之部」は、山国川(豊前内海)、遠賀川(筑前)、筑後川、矢部川(有明海方面)において漁具を調査した報告書です。緒言によると河川に使用する漁具の種類は、網具25種、釣具8種、雑漁具9種の42種があるとあります。  なお、第三報に「福岡県漁具調査報告 豊前海之部」があります。
福岡縣漁具調査報告 豊前海之部 (漁業基本調査第三報) 福岡縣水産試験場編纂 1927(昭和2)年 4,33p.,26cm 「漁業基本調査」(福岡県水産試験場編纂)は福岡県水産試験場により大正2年から漁村について調査が始められ、大正6年に第一報「福岡県漁村調査報告」が刊行されたものが始まりです。  第三報「福岡県漁具調査報告 豊前海之部」は、豊前海方面の漁具を調査した報告書です。緒言によると、豊前海方面に使用する主要な漁具、網具28種、釣具15種、雑漁具4種の47種を調査したとあります。  なお、第二報に「福岡県漁具調査報告 河川漁具之部」があります。
宮城縣漁具圖解 宮城縣農商課編撰 1888(明治21)年 6, 40, 32p.,19cm 明治21年に宮城県農商課が編撰し刊行した、当時宮城県で使用されていた漁具の解説書です。冊子の前半に漁具の図と水産物略図が掲載されています。後半部分では、前半に図が掲載された漁具についての解説文が掲載されています。
東京府内灣漁具圖集 東京府水産會 1940(昭和15)年 3, 80p.,19×25cm 昭和15年に東京府水産会が当時の東京府内湾の漁具について調査し編集刊行した資料です。凡例によると、網漁具31種、延縄漁具12種、竿釣11種、禁止漁業5種、その他12種の計71種類について、漁具の構造、漁期、漁場、漁獲物、漁法等を調査したとあります。また、同一目的の漁具であっても漁業協同組合によってその構造に違いがあった場合や、同一名称の漁具であっても漁獲物によってその構造に違いがあった場合などは、個別に調査を行なったとあります。
慣用魚名集 水産庁漁業調整第一課 1953(昭和28)年 83p.,25cm 明治34年漁業法(旧漁業法)、明治43年漁業法(明治漁業法)施行当時、漁業の名称、漁獲物の種類は概ね漢字をもって表すことが励行されていました。そこで俗字を使ったり無理をして文字を造ることなどがなされ、辞書にも出ていないような魚名が当時の漁業権原簿等の資料には記載されています。ところが大正期頃から専用漁業などではつとめてこれらを平仮名で表すようになったようで漢字と平仮名の混用時代がありました。昭和24年に公布された新漁業法後は、公用漢字の制限や混用による混乱を防ぐ等の事情から、これらはすべて平仮名をもって表すことになりました。しかし、漢字名を忘れてよいかというと事務処理上は却って知っている必要が生じたため、水産庁漁業調整第一課では概ね使用される水族名を検出し漢字と仮名とを照合した資料「慣用魚名集」を作成しました。  作成にあたって使用した参考資料は、「日本魚名集覧」(渋沢敬三著 生活社刊)、「専用漁業権水族名」(農林省水産局 謄写刷)、「有用有害水産物植物図説」(田中茂穂他 大地書院刊)、「瀬戸内委員会だより」(瀬戸内海漁業調整事務局)とあります。漢字と仮名の対応表の構成は、(1)漢字から引くもの(頭文字の画数順に配列)、(2)仮名からひくもの(50音順に配列)となっています。
魚類地方名調査 水産廳資料課 作成年不明 1冊,24cm 水産庁資料課が魚類の地方名を県別に調査し編集した資料です。  北海道(6頁)、岩手県(9頁)、秋田県(6頁)、山形県(1頁)、新潟県(14頁)、富山県(7頁)、石川県(2頁)、愛知県(14頁)、三重県(12頁)、滋賀県(2頁)、京都府(6頁)、和歌山県(22頁)、鳥取県(9頁)、島根県(7頁)、岡山県(2頁)、広島県(11頁)、山口県(10頁)、徳島県(9頁)、香川県(3頁)、愛媛県(7頁)、佐賀県(5頁)、熊本県(12頁)、大分県(6頁)、宮崎県(12頁)、鹿児島県(7頁)の25道府県があります。内容は、地方名、和名、地方名を使用している地域の3項目の対応表の一覧になっています。
水産俗字集 農商務省農務局編纂課編纂,大日本水産會 1887(明治20)年 31丁,22cm 明治19年3月に東京上野公園で開催された水産共進会において農商務省農務局が出品した「水産俗字集」を、大日本水産会が願い出て許可をもらい出版しました。  日本の水産物の名称は漢字を当て嵌めるものが多くまた民間慣用の俗字も多いこと、各地の方言により同物異名等もありわかりづらいことなどから、農商務省農務局は室町時代の辞典「下学集」や江戸時代の魚の実用書「魚鑑」をはじめとするたくさんの書物から俗字異名を集録して仮名字をつけた辞書のような参考書「水産俗字集」を作成し、水産共進会に出品しました。
水産名彙 全(大日本水産會報第227-237号附録) 田中芳男編纂,藤野富之助補輯,大日本水産會 1901-1902(明治34-35)年 8,88,34p.,22cm 明治19年に農商務省農務課が編集した「水産俗字集」に、田中芳男、藤野富之助が掲載する水産物数を増補して編集しなおし新たに刊行したものです。日本の水産物の名称は各地の方言により同物異名や異物同名があったり、漢字や俗字を当て嵌めることもありわかりづらかったため、農商務省はたくさんの古書を調査し俗字異名を集録して仮名をつけた「水産俗字集」を作りました。しかし掲載された語彙数が少なく不便であったため、田中芳男らがさらに多くの古書を調査し、当世(明治時代)の書物も調査し、集録数を増やしました。また、巻ノ上では仮名からひけるように、巻ノ下では漢字からひけるように編集に工夫を加えました。  刊行にあったては、「大日本水産会報」第227-236号の末尾に附録として、分割して掲載していき、第237号に合本用の表紙を添付して、購読者自身が最後に合冊製本するという手法でした。
水上語彙 (智徳會雑誌第40号) 幸田露伴,智徳会 1897(明治30)年 4,100p.,22cm 明治26年幸田露伴が倭寇を題材にした小説を書こうとしたときに、まず水上の事を知らなければ臨場感のある描写はできないと考え、分野を問わずさまざまな書物から水上に関わる語を採録し一冊にまとめました。50音順に船に関する語や海に関する語、気象に関する語などがその意味とともに掲載されています。なお、大橋乙羽、光村利藻のすすめで智徳会雑誌に寄稿し「智徳会雑誌第40号」として刊行されました。
水産考證書目 全 農務局纂輯 1883(明治16)年 1枚刷折, 36×60cm 附言によると、水産業の将来を考えるとき過去の書物や出来事を考証することは重要であるとの考えから、農商務省農務局が水産に関係する全ての書籍を調査し、農務局の所蔵の有無に関わらず考証のために準備しておくべきと思われる書籍を選出し、和書部、漢書部、訳書部の3部に分けて一枚の紙に列挙したものが「水産考証書目」であるとあります。水産業の発展に志のある者に見せるために作成した書目で、第1回水産博覧会(明治16年)に農商務省農務局から扁額(横額)にして出品されたともあります。たいへん参考になる書目だったことから、さらに多くの人に見てもらえるよう、農商務省農務局と水産博覧会事務局の許可を得て印刷、刊行されました。  なお、附言には、欧米原書は膨大な数があるため今回は省略したこと、書目の中で解題のない書籍は農務局に所蔵がなく会期が迫っていたため探しあてることもできず解題を省略したことなどが書かれています。
農事参考書解題 全(大日本農史附録) 農商務省蔵版,博文館 1891(明治24)年 4,4,274p.,19cm 明治15年4月に農商務卿が本朝農書編纂の創意を太政大臣に上申してから8年をかけて「大日本農史」は編纂されました。「大日本農史」は編年の体裁となっており、神代、上世、中世、近世、今世の5つに分けて編纂されました。この編纂にあたり、あまねく国内の農書を蒐集することとなり、まず既に所蔵している約530部の農書名を掲載した「本朝農事参考書目」を各府県に配布し、この書目以外の農書を蒐集している旨呼びかけた結果、500部以上の農書が集まり「書目第二編」も作られました。しかし、1000部を超える農書は農政農業諸般の慣例を探求するのに有効な文献ではあるものの、書目だけでは農書の内容まではわからず不便だったため、そのうちの約870部に解題を作成して編年形式で並べることとなり、「農事参考書解題」は作成されました。
品川灣の投網 桐島像一著,交通道徳會 1925(大正14)年 4,6,460p.,19cm 60歳を過ぎた著者が、30年来の趣味である品川湾での投網について書いた本です。  はしがきによると、財界人であった桐島像一が投網を始めたきっかけは、某男爵に随行して品川湾の網打ちに出かけその面白味に病みつきになった出来事にあり、それ以来休日はたいてい品川湾に出かけるようになったとあります。本書の中にも愛漁家として伯爵や男爵や法学者らが寄稿していたり、網を打っている写真を載せたりしています。当時は漁業としての投網とは別に、趣味としての投網も流行していたようです。  本書には、投網の打ち方、品川湾の潮や風、本職の話、愛漁家の感想、浅海利用法、網の値段と網屋、東京湾の生物、船宿と船賃など幅広い視点で、著者の文章のほか寄稿も多数掲載しています。
水産調査報告 農商務省 1893-1908(明治26-41)年 1-14巻
日本製品図説 昆布・凍瓊脂(かんてん) 高鋭一編,内務省 1877(明治10)年 51丁,24cm
日本製品図説 雑種海草 高鋭一編,内務省 1877(明治10)年 33丁,24cm
日本製品図説 香魚 高鋭一編 作成年不明 和綴じ稿本,60丁,24cm
海獣考 千葉貞胤 1838(天保9)年 12丁,23cm,(写本)
膃肭臍猟図説(おっとせいりょうずせつ) 作者不詳 作成年不詳 24丁,26cm,(写本)
鯨方祥伝集 中根七郎写 63丁,27cm,(写本)
肥前唐津鯨捕りの記 豊秋亭里遊著,大谷穐次郎写 1840(天保11)年 36丁,25cm
施福多(シーボルト)先生文献聚影抄 キシウ産鯨に就(つ)いて 岡研介著,大谷穐次郎写 15丁,23cm,(写本)
何羨録 津軽采女 1723(享保8)年 118丁, 24cm 趣味としての釣りが日本で発展をはじめたのは、江戸時代といわれています。最初は武士の間で、しだいに庶民へと浸透し発展しました。  『何羨録』が書かれたのも江戸時代、享保8年(1723年)でした。陸奥国黒石3代当主 津軽采女の作です。采女が江戸湾でのキス釣りなど遊びの釣りについて記したものでした。 上中下の3巻で構成されていて、巻之上では江戸湾でのキスの釣り場についてなど、中之巻では釣具や餌について、下之巻では釣期や気象について、記しています。  ところで、『何羨録』は現代に伝わる日本最古の釣りの専門書といわれていますが、手書きの書物で版本にはなっておらず、現在確認されているものは当館所蔵を含め6冊のみといわれ、全て写本です。当館所蔵のものは、織田完之翁(明治期の農政史学者)から澁澤敬三が譲り受けた織田完之本です。
水産図解 藤川三渓著,井上神港堂 1889(明治22)年 上下巻(40,30丁),27cm 和装本。上巻には淡水産81種、鹹(かん)水産157種、下巻には海獣部18種、介貝部168種、海草部24種が収録されている明治時代の水産生物の図鑑です。上段に生物の名称、中段に生物の図、下段に形態や生態、利用法などの解説があります。  著者の藤川三渓は、高松藩の医者の家に生まれ自身も医者でしたが、長崎に留学し兵学や捕鯨学などを学びました。幕末には農民兵による「竜虎隊」を作り、勤王派として活躍しました。明治時代になってからは、「開洋社」という水産会社を設立し、また晩年には公立水産教育機関(東京農林学校水産簡易科)に先駆けて、日本最初の私立水産教育機関「大日本水産学校」を創立するなど、漁業の振興に尽力しました。
東京名物浅草公園水族館案内 藤野富之助,瞰海堂 1899(明治32)年 17p.,19cm 浅草公園水族館は、1899(明治32)年浅草四区に開館しました。開館まもなく発行された水族館解説・案内書がこの『東京名物浅草公園水族館案内』です。日本で最初の水族館解説・案内書といわれています。  日本最初の水族館は明治15年に上野動物園の中に開設された「観魚室(うをのぞき)」でした。その後、明治18年浅草六区に浅草水族館が開館しましたが、これは今ご紹介している浅草四区の浅草公園水族館とは別物です。
少年教育水族館 山崎暁三郎,国華堂書店 1900(明治33)年 32p.,21cm 浅草公園水族館がオープンした翌年に出版されました。水族館の中のようすを、絵入りで子供向けに紹介しています。冊子の冒頭に「水族館を這入ると實におどろきました。まるで海の底へ遊びに行くやうです」とあります。当時の人々の水族館への関心の高さが伺われます。
龍宮怪こはだ後平治(「こはだ」は魚偏に祭) 談洲楼焉馬作,喜多川月麿画,山口屋藤兵衛 1809(文化6)年 15丁,19cm 江戸後期に書かれた、お魚を擬人化した物語の絵草紙です。作者談洲楼焉馬は、又の名を烏亭焉馬、立川焉馬といい、落語中興の祖といわれています。戯作、狂歌、落語などいろいろなところで活躍しました。「談洲楼」という名前は、親交があり贔屓にしていた歌舞伎役者五代目市川団十郎にひっかけて「ダンジュウロウ」と名づけたといわれています。
第五回内國勧業博覧会堺水族館図解 金港堂 1903(明治36)年 69p. 図版23,22cm 日本の水族館は明治15年の上野動物園内「観魚室(うをのぞき)」に始まり、明治時代だけで15以上の水族館が作られました。そうした中には、博覧会の会場に作られた水族館もありました。  1903(明治36)年に大阪で第5回内国勧業博覧会が開催され、その会場内に「堺水族館」が設置されました。その案内書が『第五回内国勧業博覧会堺水族館図解』で、博覧会会期中に作られました。日本で2番目の水族館案内・解説書といわれています。魚類やクラゲやアザラシなど、さまざまな展示生物の正確な図版が掲載されています。なお、堺水族館は博覧会の会期終了後、堺市に払い下げられ、堺市立水族館として親しまれました。
第五回内國勧業博覧会附属水族館図 作者不詳 制作年不詳 3図秩入,76×56cm,写本 1903(明治36)年に大阪で第5回内国勧業博覧会が開催され、その会場内に「堺水族館」が設置されました。そのときの水族館会場の図面です。「水族館全図」「水族魚槽位置図」「館外養殖魚類位置図」の3図あります。彩色があります。
皇和魚譜 栗本丹洲纂,大淵常範[ほか]校録 1838(天保9)年 50丁,27cm 江戸時代の医者であり本草学者でもあった栗本丹洲が編纂した魚類の図譜です。 当時有用な植物に関する書物が多くあるのに対し、動物特に虫や魚に関する書物が少ないことを憂いて、丹洲は長い年月をかけて虫や魚の図譜を作りました。『皇和魚譜』のほか『栗氏魚譜』『千蟲譜』などがそれです。また、丹洲はたいへん画技に優れ科学的で観察力に富んでおり、シーボルトの『Fauna Japonica』(1833-1850)に丹洲の甲殻類の図が引用されたほどでした。こうした研究への姿勢や観察眼は本草学者の枠を越えて博物学者に近いところにあったといえるでしょう。  さて、『皇和魚譜』は丹洲の夥しい著作の中で唯一出版されたもので、丹洲の没後4年後に外孫の大淵常範らが出版しました。二巻からなっており、巻一では「河魚類凡五一種」、巻二では「河海通在魚類凡一三種」を図説しています。琵琶湖、越前、筑後など分布が広範囲に及び、図も文も簡潔で要を得ています。しかし、残念なことに、図は印刷に適するよう丹洲の友人栗本伯資が模写したものを載せており 、丹洲本来の写生の質の高さは失われています。カジカの図の背腹両面を描いているところなどに、丹洲の観察者の視線を感じ取ることができます。
水産調査豫察報告 農商務省 1889-1893(明治22-26)年 1-4巻 明治時代に農商務省が全国の水産事情を調査した報告書です。  明治21年、農商務省水産局は水産業の発展のために学理研究に基づく水産調査を計画し調査を開始しました。全国を5海区に分け、それぞれの海区を豫察調査と本調査の2方法で調査する計画で、まず豫察調査から始められました。調査を本調査と予察調査に分けた理由は、先に予察調査をして、各地における水産物の状態、漁業の状勢等を把握し、本調査の目的とすべき事物を決定する資料にしようとしたもので、予察調査の結果に基づいて本調査の事項を決定するためでした。  そのため、豫察調査では、当時の第一人者たちが現地に長期滞在し綿密に調査しました。調査の事項も、海岸の地勢、海底の地形、地質、潮流、環境から漁獲される魚の種類、生態、漁場、漁獲方法、利用方法など極めて多面的なものでした。  海区の分け方は、本書第一巻巻首にある「水産調査海区之図」によると、西南海区(九州四国以南)、内海区(瀬戸内海)、東海区(本州太平洋側)、北海区(本州日本海側)、東北海区(北海道以北)の5海区でした。農商務省は、西南海区(第1巻)、内海区(第2巻)、東海区(第3巻)、北海区(第4巻)の豫察調査を実施し、『水産調査豫察報告』としてまとめました。東北海区(北海道以北)は、北海道庁内務部水産課が明治22-26年にかけて調査を行い、『北海道水産予察調査報告』『北海道水産調査報告』を刊行しています。  ところで、水産局は明治23年に廃止となり、農務局水産課となりました。水産課となった後も豫察調査は継続して実施されましたが、本調査への取り組みは明治24年に「水産豫察調査は略々完了せしを以て将来本調査に着手すべき順序方法を定め本年十月東京市麹町区道三町本省構内に仮試験所を設け先づ東京近海の重要魚介の種類、産卵期等を実験するの目的を以て解剖的調査に着手し又化学的の研究をなさんが為め分析室を仮設し食塩及魚介海藻等の成分検定に着手」(『大日本水産史』p.99)した程度で、計画当初のような壮大な調査とは程遠いものとなってしまったようです。明治26年農商務省内に水産調査所が新設され水産調査事業は再開されました。『明治二十六年度上半期水産調査成蹟摘要報告』によると、幾つかの調査事項は仮試験所から引き継いでいるとあり、ある程度は豫察調査がベースとなっているようですが、「水産調査所官制」には豫察調査との関係は書かれていないため、これが本調査にあたるのかあたらないのかはさらなる調査が必要と思われます。
さかなつくし 歌川広重画,大黒屋版 1911(明治44)年 24cm,折本,1帖7図 江戸時代後期の浮世絵師歌川広重が描いた『魚づくし』から7図を収録した画帖です。この画帖が編集されたのは1911(明治44)年で、表紙をあけると「御うつくしみの波 明治四十四年 希典題」という明治時代の陸軍大将乃木希典の揮毫が印刷されています。
東京湾漁場図 :漁場調査報告 第五十二版 泉水宗助 1908(明治41)年 108×69cm 地図資料1枚 明治41(1908)年に千葉県君津郡真舟村櫻井の泉水宗助が、農商務省の認可を受けて発行した漁場図です。図中にたくさんの根や瀬や藻場が記されています。但し、明治漁業法(1909年)による漁業権が確定する前に作成されたものなので、漁業権の区画は記されていません。   この漁業図と深い関わりがあるのが、『水産調査報告』(農商務省,1893(明治26)-1908(明治41))の第7巻第2冊、第8巻第2冊、第9巻第1冊です。この冊の内容は、金田歸逸、熊木治平による『東京湾漁場調査報告』で、この中に「漁場誌」という一節があります。ここに出てくる漁場名と泉水宗助の『東京湾漁場図』に記された漁場名は一致しており、各漁場の解説を「漁場誌」で知ることができます。また。副題になっている「漁場調査報告第五十二版」の「第五十二版」とは、金田らの『東京湾漁場調査報告後編ノ二』(『水産調査報告』第8巻第2冊)の図版に振られた通し番号が第五十一版で終わっていることから、それに繋げた通し番号と考えられます。
東西蝦夷山川地理取調図 松浦竹四郎著 多氣志樓蔵 1859(安政己未)年 38×52cm 28巻 江戸後期から幕末にかけて、私人として幕府役人として数度に渡り蝦夷地(北海道)を訪れ、蝦夷地の内陸までくまなく踏査した松浦竹四郎によって作成された蝦夷地の地図です。彼は蝦夷に住むアイヌ人とも交流し、地図中にも詳細にアイヌの川や地名を記しました。また、この地図のほかにも蝦夷に関する著作を遺しています。  取調図は、凡例や地名案内の書かれた首巻尾巻の2冊と、蝦夷を26区分した地図第1-26巻で構成されています。地図は1区分が38×52cmでこれを繋げると大変大きな地図になります。
曲寸准里内海深浅浜浦図 作者不詳 制作年不詳(幕末~明治初期) 143×66cm,地図1枚 東京内湾から相模湾、伊豆七島、小笠原諸島にかけての海防絵図です。国境、郡堺、城陣屋、駅市、村名、国名、往還船路、要所の距離が記されています。東京湾品川沖の台場の様子も詳しく書かれています。彩色があります。
嘉永年中幕府にて調 内洋浅深図(江戸湾内) 江戸幕府 嘉永年間(1848-1854) 53×76cm 地図1枚 「嘉永6(1853)年夏に米人が内湾に闖入し江戸湾の海底の浅深を測量したことを受けて、 幕府も内海を測量した」という意味のことが記されています。嘉永6年といえばペリーが黒船4隻を従え浦賀に来航した年です。この事件がきっかけとなって作られた海図のようです。またこの文章の署名には「森重遠所蔵」とあります。この来歴は「内洋浅深図」を後に所蔵した森重遠が記したものと思われます。図は、三浦半島の久良岐郡(横浜市金沢区)と房総半島の久津間村(木更津市)を結ぶ線より内洋について、沿岸からの距離と浅深を調べ記録しています。
江戸湾口水深図 游樂民画 1847(弘化4)年5月23日 39×52cm 地図1枚 弘化4年5月に作られた江戸外湾の海防絵図です。陣屋や台場も記載されていますが、この図の特徴は房総半島と三浦半島の要所を結んだ海の水深を詳細に測量して記載していることです。富津-走水、竹ヶ丘-鴨居、洲ノ嵜-城ヶ島の3つの線を測量しています。  作成されたのは、アメリカ東インド艦隊司令長官ビットルが三浦半島の野比沖に2隻の軍艦を率いてあらわれた1846(弘化3)年の翌年です。黒船で有名なペリー提督が来航したよりも6年も前に作成された水深図でした。
水産一班幻燈圖解 第拾参號 鶴淵初藏編,鶴淵幻燈舗 1892(明治25)年 2,3,45,4p.,19cm 鶴淵初藏は明治時代に流行した幻燈や写真の技術者でした。店は東京浅草にありました。幻燈とはスライドのようなもので、当時は教育、娯楽などの場で上映されていました。  この「水産一班幻燈圖解」は、大日本水産会の依頼を受け鶴淵初藏が制作した水産に関する幻燈の解説書です。上映時に語ったと思われる文章で書かれており、1枚1枚の幻燈に漁法の方法や知識が丁寧につけられ水産への興味と理解を深めるものとなっています。
北千嶋幌莚島近海漁塲沿革寫眞帖 日本漁業株式會社漁撈部 1924(大正13)年 地図1p. 図版28p. 文章5p.,23cm 幌莚島は千島列島の北東部にある島です。カムチャツカ半島からみると占部島の次に位置しています。大正12年から13年にかけて、日本漁業株式会社が漁場としていた幌莚島に出張した古川氏と岩井氏が出漁中にたまたま撮影したものを写真帖にまとめたとあります。漁業や生活がわかる写真56枚のほかに、「北千島幌莚島近海鱈漁業ト日本漁業株式會社漁塲沿革」など文章もあります。
韓國沿海水産物分布圖 農商工部水産局編纂,日韓印刷 1908(隆熙2)年 一枚刷,112×81cm 『韓国水産誌』の附属資料です。沿海地形、水深、底質等は日本水路部刊行の「朝鮮全岸圖」をもとに、郵便、電信、電話線路は明治41年3月統監府通信管理局刊行の「通信線路圖」をもとに、灯台、測候所、警察、税関その他の官公署、団体等の配置は各官庁刊行の報告書をもとに、水温等温線(1月が青線、8月が赤線)は仁川観測所長和田雄次氏の調査報告をもとに、水産物の分布は各調査員の報告をもとに作成されました。水産物名は青文字で表記されています。  また、縮尺の異なる枠囲いの図として、左上方に「南満州全図」、左下方に北太平洋を中心にしたアジアからアメリカまでのメルカトル図法の地図があります。
韓國水産誌 第一輯 農商工部水産局編纂,日韓印刷 1908(隆熙2)年 4,2,13,16,618p. 口絵写真22枚, 図解52図, 23cm 『韓國水産誌』は第1輯から第4輯の4冊で構成されています。また附属資料として大地図「韓國沿海水産物分布圖」があります。それぞれの内容は次の通りです。
韓國水産誌 第二輯 農商工部水産局編纂,印刷局 1910(隆熙4)年 10,37,54,717,125,69p.,23cm 『韓國水産誌』は第1輯から第4輯の4冊で構成されています。また附属資料として大地図「韓國沿海水産物分布圖」があります。それぞれの内容は次の通りです。
朝鮮漁業暦 朝鮮總督府 1915-1916(大正4-5)年頃 130p. 図版1枚,19cm 「漁業暦」とは水産生物の分布・遷移・回遊等の状況を通覧できるよう水産生物の漁期等を記したものです。この資料では魚種ごとに道別「朝鮮名称」「漁期」「盛漁期」「主要漁場ノ位置」「漁具又ハ漁法」「最近一箇年生産額」「処理ノ大要」の項目を一覧にしています。  また121頁以降に、漁業に従事した漁民についての概況が、「内鮮人漁業概況」「内地人捕鯨概況」「内地人漁業者移住漁村調」として記されています。
朝鮮の十大漁業 朝鮮總督府殖産局 1921(大正10)年 2,68p. 図版1枚,22cm 年産額百萬圓以上の漁業を十大漁業として取り上げ、変遷、漁場及び漁期、漁獲高、操業の概況、所要経費の項目について解説しています。十大漁業に選ばれたのは、鯖、鰮、明太魚、石首魚、鱈、鰊、鰆、鯛、太刀魚、鱶の各漁業です。  付録として、明治44年から大正8年の統計(「朝鮮海漁獲高累年比較」「重要水産物漁獲高累計比較」)と「重要水産物分布略圖」があります。
大日本水産暦 水産新報社出版部編纂 1914(大正3)年 142, 36p.,19cm 「暦表」では府県道、朝鮮、台湾、関東洲、トロール漁業、捕鯨業の各項目ごとに、漁獲物名、漁期、主要漁場の位置、漁具又は漁法、生産年額、処理大要を一覧にした表と、水産試験場の有無、主要漁港、重要製造物年額を掲載しています。
大洋新話 蛸入道魚説教 初編 仮名垣魯文著,暁斎画,存誠閣 1872(明治5)年 19丁,18cm 総括(目次)には、初編(第一回竜宮城の大変革、第二回魚官員の水浴論)、二編(第三回鯛博鱗の諫語盡、第四回海坊主の蛇宗門)、三編(第五回蛸入道の教訓話、第六回浮漂洲の海化城)が書かれています。
漁樵酒茶四詠唱和 館機樞卿校,玉巖堂(和泉屋金右衛門) 1810(文化7)年 52丁,13cm 江戸後期の漢詩人館機樞卿(館柳湾)が、中国唐代の詩人陸龜蒙と皮日休の唱和詩集『松陵集』から抜粋して、漁具詠・樵人詠・酒中詠・茶中詠の項立てで編纂しなおした漢詩集です。
舊藩時漁業裁許例 農商務省水産調査所調査,大日本水産會 1895(明治28)年 2,9,228p.,22cm 江戸時代の旧藩や奉行所が裁定した漁業に関する争論紛議の裁許書状を県別に収録しています。また、旧藩時における漁業の争論紛議の裁定の手続き方法が各藩・地域によって違いがあるため、巻首にその手続き方法を「漁業裁許順序」として県別に掲載しています。
舊藩時代の漁業制度調査資料(水産調査資料第三輯) 農林省水産局編纂,農業と水産社 1934(昭和9)年 782p.,22cm 本書は漁政上の参考資料とするため、旧藩時代における漁業制度の沿革について、地方庁に調査を依頼して得たものを取り纏めた資料です。28府県を県別に掲載しています。
海洋研究漁村夜話 北原多作著,大日本水産會 1921(大正10)年 2,5,342p.,20cm 大正4年1月から大正10年1月にかけて、『水産界』に「通俗海洋研究談」と題して掲載したものを多少の訂正を加えて1冊の本にまとめたものです。「通俗海洋研究談」は、海洋学者の北原多作が大日本水産会の依頼を受け、海洋学について素人にもわかりやすく書きました。科学的な理論のほか、観測方法や観測機器についてなど当時の最新の情報が多岐にわたって書かれています。
水族志 畔田翠山著,堀田龍之助校,田中芳男閲,河原田盛美再校,田中芳男 1884(明治17)年 5,4,7,4,19,316,33p.,20cm 畔田翠山(1792-1859)は江戸時代後期の和歌山藩士であり本草学者でした。名を源伴存といい、翠嶽、紫藤園、十兵衛とも号していました。翠山は和歌山を中心に動植物や地理、民俗などのフィールド調査をおこない『和州吉野郡群山記』『熊野物産初志』『紀南六郡志』など多くの著作を遺しました。  本書は文政10(1827)年に翠山によって書かれた総合的な水産動物誌で、明治時代になってから宍戸昌に見いだされ、田中芳男、河原田盛美、翠山の門人だった堀田龍之助等によって出版されました。  出版にあたり、文政10年に書かれた『水族志』10巻は、その分類方法を尊重しつつ10編に改訂されました。掲載された水族は本條257種、異種478種合わせて735種。異名を含めると1312種に及びます。なお、『水族志』ではありますが貝類は含まれていません
相模灘海魚図絵 湊左文 作成年不明 57丁,25cm (写本) 相模灘の魚、鮫、鯨、蛸、烏賊、海月、海牛などの彩色図とその解説文の構成で書かれています。本草学的な解説が中心ですが、それに混じって歌川広重の「魚づくし」から引いてきた狂歌が添えられている項目もあります。例えば、鯒の項では真垣春友の「あらくうつ波の下より生れ出て鯒はかしらのひしけたりけむ」が、カサゴの項では年舎富春の「時来ぬとひらきて見ても五月雨にほすいとまなきからかさごかな」が添えられています。こうした項には広重の「魚づくし」を意識したと思われる絵も添えてあります。2尾の鯒を描きそれぞれ表と裏から描写する構成や、口を開けた赤いカサゴの描写は「魚づくし」を真似たものと思われます。  巻頭には「相模灘海魚図絵序」があり、序の署名に相陽三崎の漁人湊左文とあります。序の中ほどの本文横に「本ノマヽ」という注釈があることから、別に底本が存在し当館所蔵本は写本であると推測されます。  また、最後から2丁目に「蔵月明」の朱印があることから、明治から昭和の石川県の俳人で江戸・明治期の歌集の収集家でもあった蔵月明の蔵書だったことがあったのではないかとも推測されます。  後ろ見返しに描かれた蝉の落書きは誰がいつ描いたのか不明です。  東京国立博物館画像検索データベースで検索できる『相模灘海魚部』と似ています。
繪本龍之都 前編 北尾紅翠齋,大橋堂 作成年不明 15丁,22cm 北尾紅翠齋は江戸中期の浮世絵師北尾重政(1739-1820)の画号です。北尾重政は北尾派の開祖であり、その門人には北尾政演(山東京伝)、北尾政美(鍬形蕙斎)、窪俊満らがいました。肉筆浮世絵や一枚絵もよりも絵本など版本の挿絵を多数遺しています。
さかなづくしこちやぶし 作者不明 作成年不明 4丁,19cm この冊子は「さかなづくし こちやぶし 上」と「肴尽こちやぶし 下」の合本です。
麑海魚譜 (再版) 白野夏雲編纂,木脇啓四郎,二木直喜写生,中村月嶺銅鐫,鹿兒島縣勸業課出版,鹿兒島縣立第一鹿兒島中學校再版発行 1911(明治44)年 175,15p,23cm 『麑海魚譜』は明治16(1883)年3月から6月にかけて開催された第一回水産博覧会に出品するために、鹿児島県令渡邊千秋の指示により作成されました。「麑海」とは鹿児島の海のことで、掲載された魚種は325種、魚名には地方の呼称を採用しました。鹿児島県勧業課の白野夏雲が編纂にあたり、鹿児島の絵師木脇啓四郎と二木直喜が絵を描きました。明治16年に水産博覧会のために作成された初版は彩色画の和装本上下巻でしたが、本書は明治44年の再版で魚図はモノクロです。巻末に「麑海魚譜學名表」が添付されていて、その中に田中茂穂による附記が記されています。
魚づくし問答 蟲づくし問答 鈴木熊次郎編輯,内田彌兵衛,東生鐵五郎発行,袋屋書店発売 1893(明治26)年 24,20p.,9×12cm 鈴木熊次郎編輯の「魚づくし問答」(24丁)と「蟲づくし問答」(20丁)の合冊です。  小学生や幼稚園児にいろいろなものの名称を教えるために作成された問答書のうちの魚類と蟲類の2巻です。頁を上段と下段に分け、上段に文章、下段に絵があります。上段の文章は、質問、答え、解説からなる問答形式です。例えば「ここに、いろはのいのじが、かしらにつきます、さかなはなんです、かひるいが、はいってもよろしいから、よくをかんがへなさい」と問いがあり、「いせえび いいだこ いわし いか いるか いしもち いな いたらがひ」と答えて「いせえびは、さかなではありませんが、をほきなえびです、たべられます、うみでとれます」と解説がつきます。下段の絵はこの問答の答えに対応した魚や海老の絵です。いろは順に続いていきます。「魚づくし問答」には人魚が書かれていたり、「蟲づくし問答」には昆虫のほか爬虫類や両棲類も混ざっています。
貝よせの記 木村恭著,前川文栄堂 1775(安永4)年 和装本,32丁,23cm 貝の収集や観賞について文献による考証を交えて、木村孔恭(1736-1802)が著した書物です。版心の書名は「奇貝図譜」、版心下部に「蒹葭堂」とあります。
七浦大漁繁昌之図 一勇斉(歌川)国芳,山口屋藤兵衛版 作成年不明 3枚組錦絵のうち2枚 歌川国芳(1797-1861)の大判錦絵3枚続きの浮世絵ですが、当館所蔵は1枚が欠損しており2枚のみの所蔵です。
韓國水産誌 第三輯 朝鮮総督府農商工部 1910(明治43)年 1053p,23cm 『韓国水産誌』は第1輯から第4輯の4冊で構成されています。また附属資料として大地図「韓国沿海水産物分布図」があります。それぞれの内容は次の通りです。 第1輯:第1編 地理,第2編 水産一班 第2輯:第1章 咸鏡道(北道,南道),第2章 江原道,第3章 慶尚道(北道,南道) 第3輯:第4章 全羅道(南道,済州島,北道),第5章 忠清道 第4輯:第6章 京畿道,第7章 黄海道,第8章 平安道(南道,北道) なお、明治43年8月に日韓併合があったため、それ以前に刊行された第1輯(隆熙2年(明治41年))と第2輯(隆熙4年(明治43年)5月)の編集者は統監府農商工部水産局ですが、併合後に刊行された第3輯(明治43年10月)と第4輯(明治44年)の編集者は朝鮮総督府農商工部です。 ご利用にあたっては、各輯とも最後に正誤表がありますのでご留意ください。
韓國水産誌 第四輯 朝鮮総督府農商工部 1911(明治44)年 669p,23cm 韓国水産誌』は第1輯から第4輯の4冊で構成されています。また附属資料として大地図「韓国沿海水産物分布図」があります。それぞれの内容は次の通りです。 第1輯:第1編 地理,第2編 水産一班 第2輯:第1章 咸鏡道(北道,南道),第2章 江原道,第3章 慶尚道(北道,南道) 第3輯:第4章 全羅道(南道,済州島,北道),第5章 忠清道 第4輯:第6章 京畿道,第7章 黄海道,第8章 平安道(南道,北道) なお、明治43年8月に日韓併合があったため、それ以前に刊行された第1輯(隆熙2年(明治41年))と第2輯(隆熙4年(明治43年)5月)の編集者は統監府農商工部水産局ですが、併合後に刊行された第3輯(明治43年10月)と第4輯(明治44年)の編集者は朝鮮総督部農商工部です。 ご利用にあたっては、各輯とも最後に正誤表がありますのでご留意ください。
福岡県物産誌 福岡県第二課 1879(明治12)年 111丁,25cm 明治10年度の福岡県内の調査をもとにして編纂された物産誌です。  編纂の経緯を記した「緒言」に続き、「物産誌概計表」「正誤表」があります。「物産誌概計表」には、県内各郡の町村数や戸数、郡別人員数、職分別人員数と、物産品を農産天産、諸製造物、海産の3分野に分けた分野別の価額などの概要があります。その後ろに筑前国(1-48丁)、筑後国(49-82丁)、豊前国(83-111丁)の物産品を、物産品ごとに物名、性質効用、産地名、産地面積、産額数量、自国消費、内国輸出、外国輸出、費用賃金標準、事業人当標準、沿革景況について掲載しています。
漁業誌 長崎県編纂. 鶴野鱗五郎 1896(明治29)年 174p,19cm 1890(明治23)年に開催された第三回内国勧業博覧会を機に編纂された『漁業誌』を、1896(明治29)年に出版したものです。長崎県管内全図と長崎県内の61種の漁業法や採集法が収載されています。漁法及び漁具製造法の説明では各地漁夫の俚言を用いたと凡例にあります。  デジタルアーカイブ掲載の資料は、落丁(p.37-44)と乱丁(p.147-150, p.163-166)があります。
樺太南部水産豫察調査報告 樺太民政署 1907(明治40)年 186p. 図表16枚, 図9枚, 写真14枚,23cm 樺太民政署の水産事務に従事する技師と技手たちの見聞及び調査報告をもとに作成された予察調査報告です。また、和田健三技師の序文には、昆布の分布種類については札幌農学校教授の宮部金吾博士の調査をもとにし記載したこと、海洋観測には軍艦武蔵の航海中の観測記録などもいかされたこと、調査及び編集にあたって農商務省水産技師(後に東京帝大教授)の岸上鎌吉博士の助言があったことが書かれています。  目次は、第一章沿岸の地貌、第二章海況、第三章気象、第四章有用水族ノ分布、第五章漁業(第一節鰊漁業、第二節鱒鮭漁業、第三節鱈漁業及雑魚手繰網漁業、第四節昆布採集業)です。冊子の後半には図表や地図や写真があります。図表は海水温等の観測記録、鮭鱒鰊特許漁場一覧表、鮭鱒鰊の収穫高一覧表など。地図は鮭鱒鰊の分布図、海温図、沿海水層断面図など。写真は海岸の写真や漁業と水産物加工の写真など。
撮影鮮美水の風景寫眞大觀 挿画社 1936(昭和11)年 152p,26cm 200枚を超える釣りの写真を集めた写真集です。 写真につけられた標題から、関東地方7県(群馬・栃木・茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川)、中部地方6県(富山・岐阜・長野・山梨・愛知・静岡)、近畿地方4県(滋賀・大阪・和歌山・三重)、外国(台湾・アイスランド等)で撮影された写真であることがわかります。相模桂川周辺の鮎釣りや利根川周辺のフナ釣りなど川釣り、池釣りのほか、クロダイやサバなどの海釣り、成城園の釣り堀の釣りなど釣りの種類も多彩です。撮影者や写真提供者には、『釣魚秘伝集』『釣魚夜話』を著した大橋青湖や『海釣り』を著した岩井新太郎らがいます。 また、「釣魚図鑑」と題して「くろだい」「「あいなめ」「せいご・すずき」「うぐい・はや」の4つのコラムが掲載されています。 ●写真タイトル一覧
山陰落栗 柳楢悦. 御木本幸吉 1906(明治39)年 59丁,23cm 海軍少将正三位勲二等柳楢悦(1832-1891)の十七回忌辰(明治40年1月15日)に合わせ、御木本幸吉が柳楢悦への謝恩の記念として、その遺稿の中から水産及び料理に関する部分を選び出版したものです。 各種の遺稿のうち「山陰落栗」と題する全24巻の中の水産と料理に関する第1巻及び第18巻にあたる部分です。出版にあたり田中芳男が本文の校正をしています。本書には柳楢悦の自筆を写真石版した自序が掲載されておりますが、この中に「山陰のむかし枝折あととめて峯の落栗ひろひあつめむ」という歌があります。各地で食した飲食物を思い出しては書きとめて、尊き饗膳、賤しき食物、珍しい調理、田舎風のもの、現代風のもの、伝統的なものなどさまざま集まったと書いた序文と呼応しています。書名の「山陰落栗」はこの歌に由来するものと思われます。 本書は2部構成となっており、前半は鯛鼈甲漬、飛騨鰤、鰻加賀焼など50種類以上の全国各地の水産物や水産加工品の紹介や解説、後半は「菜単百珍」と題して1月から12月までの月毎の会席料理の献立表です。献立は伝統的なものと現代風なものを加味して作ったといいます。 ●前半部の「山陰落栗」に掲載されている水産物
釣ノ房総 房総観光協会 1935(昭和10)年 102p,19cm 房総は東京に近く温暖な気候で海、川、池沼に恵まれた好釣地です。本書は、娯楽としての「釣」に広く親しんでもらう目的で、房総観光協会が房総半島の釣り場を紹介した釣り場案内です。  1~36頁には主な釣魚について魚種ごとに釣り場、釣期、餌、釣り方、交通機関、注意点などが地図つきで掲載されています。37~99頁には郡別に釣魚の時期、場所、交通関係、飼料種類、備考が一覧にして掲載されています。100~102頁には千葉県下の釣り堀情報が掲載されています。そのほか、「魚類分布図」「県下鐵道、軌道賃金表」「袖ヶ浦自動車賃金表」も掲載されています。 附録の「東京内湾潮汐表」「銚子海岸潮汐表」は所蔵していません。
釣遊秘術釣師気質 石井民司(石井研堂)編著. 博文館 1906(明治39)年 775p,22cm 石井研堂(1865-1943)が、釣遊のたびに書きためてきた多年の筆録をもとに、上中下三巻にまとめた釣遊記です。出版にあたり幸田露伴(1867-1947)と矢野龍渓(1851-1931)の協力があったと著者識の「凡例」にありますが、本書の「序」はその幸田露伴と矢野龍渓が書いています。 上巻は「釣遊文草」と題し、1月から12月までの釣遊記46編収められています。中巻は「雑著」と題し、釣りや漁に関連する随筆などの雑著が19編収められています。下巻は「釣魚術略」と題し、釣具や餌の種類と使用法、天候や釣り場の話、釣り客の心得など、これから釣遊を始めようと思う人のための釣り入門となっています。 また、研堂の釣遊に対する考え方が、下巻第九章「研堂釣規」に書かれています。釣りを満喫するための五箇条のようです。 ・「人は、遊ばんが為に職業に勉むるに非ず、職業に勉めしが為めに遊ぶなり。釣遊に、前後軽重の分別有るを要す」(人は遊ぶために働くのではなく、よい仕事をするために遊ぶのである。釣遊も度をこさず分別をもつこと。) ・「単に、魚のみを多く獲んことを望むべからず、興趣多きを望むべし」(魚をたくさん獲ることを目的とせず、釣りの興趣を楽しむこと。) ・「釣遊は、養神摂生の為めのみ。養神摂生に害あるは釣遊の道に非ず」(自身が不快に感じる釣りはしないこと。) ・「金銭にけちなる釣遊は、却て不廉なる釣遊なり」(けちけちしないこと。) ・「十分確信したる釣日和に非ざれば、出遊せず」(確信の持てる釣日和でなければ、出遊しないこと。)
漁釣 石塚書店 1901(明治34)年 43p,19cm 大阪心斎橋の石塚書店が発行していた『通俗全書』のうちの1冊です。遊漁としての釣りについて、魚の感覚性質から釣り具、飼料、釣法に至るまで解説しています。また、鮒、鰷(はや)、鯇(あめのうお)、鯉、鱸、石斑魚(うぐい)、鮭の釣り方も書かれています。 奥付の発売元は石塚書店、発行者は石塚猪男蔵です。昭和5年の『日本出版大観』に石塚猪男蔵についての記述があります。それによると大阪の(鹿田)松雲堂で修行したのち、札幌で北海道庁の印刷製本出版の御用商人となったが大火にあい、明治24年に大阪へ戻って(石塚)松雲堂を創始し、英語辞書、国語、漢和辞典、小中学参考書等を刊行し、長年に亘り大阪書籍雑誌商組合評議員や大阪出版業組合の役員を務めた大阪出版界の重要人物だったとのことです。
写真解説日本の釣 松崎明治. 三省堂 1939(昭和14)年 80p,21cm 釣りの魅力を伝えるには従来の文章のみではなく写真で伝えることが効果的だという意図で編集された写真集です。写真は著者自身が長年にわたって撮りためた中から選りすぐりのものを集めています。編集方法には、「水」の心に従って“高きより低きに”即ち、1.高層地の釣(渓魚)、2.山上湖の釣(姫鱒其の他)、3.中流の釣(鮎)、4.低地の釣、5.磯陸釣、6.沿岸の舟釣、7.鯛の沖釣、8.一般沖釣、9.海釣スナップ、というように山間の高地から河口へ、さらに磯から沿岸へ、沖へという水の流れの並び順を採用しています。 また写真1枚1枚に簡単な解説文があります。例えば、「2.唐松澤の谿入り(東京附下)」は沢入りする釣り人がいつどこの澤に入ったかを書き記すための澤入口にある告知板の写真です。渓流釣では静けさが重要で当日はもちろん前日、前々日同じ澤に入った人がいたら釣果に影響するためだと説明がついています。「70.沼津の車竿」では、近年東海道で車竿が流行しているが少し前までは車竿は北海道と台湾で使われていて内地にはなかったと説明されています。「79.青鱚の下駄釣」「80.下駄釣師の歩き方」は、脚立釣りが有名な東京湾の青鱚釣りのもう一つの釣り方である高下駄釣りの写真とその説明です。これらの解説文は読者に日本の釣りを正しく認識してもらおうという狙いがありました。
諸国水産銘物集 京都府水産講習所 1912(明治45)年 58p,19m 日本各地の水産に関係ある名産品を製造法とともに一冊にまとめて掲載した冊子です。京都府水産講習所製造部の講習上の参考資料として作成されました。日本国内の29道府県の79品について、産地、販売者、価格、販売時期、製造法が掲載されています。
水産名物集 京都府水産講習所 1924(大正13)年 159p,19cm 日本各地の水産に関係ある名産品を製造法とともに一冊にまとめて掲載した冊子です。京都府水産講習所製造部の講習上の参考資料として作成されました。日本国内の40道府県の229品について、産地、販売者、製造時期、販売時期、製造法が掲載されています。
水理生物学要稿:漁業基本 北原多作,岡村金太郎著. 岡村金太郎 1910(明治43)年 59p. 図版11p.,27cm 明治時代後期に農商務省水産局は全国の漁業基本調査を計画して実施しました。その調査のため地方水産局の技員を対象に講習を実施しましたが、本資料はそのとき講習にあたった北原多作と岡村金太郎が講習のために作成した稿本を翌年私費で刊行したものです。 本資料の中で「水理生物学ハ近ク成立シタル学科ニシテ海洋学生物学及ビ水理学等ヨリ成リ、主トシテ物理的並ニ化学的原因ノ水族ニ及ボス関係ヲ攻究スルモノナリ」と定義しています。また「漁業上諸般ノ現象ハ単ニ気象学、海洋学、水理学、生物学等単独ノ力ニテハ之ヲ知ルニ易カラズ此等諸学ノ力ヲ併セテ始メテ為スアルモノ多キ」ため「海洋調査ニ依テ得タル事実ヲ基礎トシテ水族ノ関係ヲ明ニスル」と書いています。漁業はさまざまな分野の学術調査や複合的な応用の上に立つことでさらに発展させられるという考え方でした。 本資料の本文の最後は「Thulet氏日ク、海洋学の成効ハ巨万ノ資ヲ要スルヨリモ当事者ノ熱心ナル力ニ依ル所多シト蓋シ至言ト云フベシ」で締めくくられています。
漁業気象一班 千葉県銚子二等測候所 1904(明治37)年 20p. 図版20p.,22cm 千葉県の漁業と気象の関係について、明治37年に書かれた調査報告です。特に、九十九里の鰮漁業の大不漁については項目立てして取り上げています。九十九里は江戸時代から鰮漁業が盛んな地域でしたが、明治中頃から不漁となり明治35年秋から翌春にかけて大不漁となりました。その原因について、多量の降水量、風向き・風力の変異、沿岸付近の海水の塩分稀薄など、特に通常北東風が吹くのにこの年は北風だったことで九十九里湾に冷水が流れ込んで不漁となったのではないかと言及しています。 なお、「漁獲と気象との関係」として、鰮、鰹、鮪、鯛、秋刀魚、鯖、蛸、鮑、牡蠣、アサリ、バカガイ、ヒジキ、海苔、食塩の豊凶年における気象変化図が掲載されています。
水産業諸組合要領 農商務省農務局 1893(明治26)年 80p,23cm 農商務省農務局が、各地方に設置されている漁業組合、水産物製造業組合、水産協会、水産業伝習所並びに試験所、水産業会社について、その名称、所在地、業務等を調査して、印刷刊行したものです。調査基準日は、漁業組合、水産物製造業組合、水産協会、水産業伝習所並びに試験所が明治25年6月30日、水産業会社が明治24年12月31日でした。 漁業組合は総数545組合、人員430,573人。水産物製造業組合は71組合。水産協会は14協会、会員3762人。水産伝習所は大日本水産会設置のものが1つ、卒業人員147名。試験所は静岡、富山、鳥取が設置しているものが3つ、卒業人員は124名。水産業会社は188社、その内訳は漁撈関係18社、養殖関係6社、そのほかは水産物製造及び肥料売買等。 水産物製造業組合には、営業組合、問屋組合、市場組合、販売組合などの名称のものも含まれています。
漁業組合範例 農商務省水産局 1909(明治42)年 372p,23cm 明治41年5月から明治42年1月までの間に各府県において調査した漁業組合の中から、模範であるもの、比較的成績良好であるもの、漁村経営の事蹟について報告のあったものを、府県順に掲載した資料です。北海道、大阪、滋賀、秋田、富山、岐阜、沖縄は特に掲載すべき組合がなかったということで本資料には掲載がありません。埼玉、群馬、栃木、奈良、山梨、長野の6県は当時漁業組合が未設置のため掲載がありません。 このときの漁業組合は明治34年に公布された漁業法による漁業組合でした。この調査の翌年明治43年に漁業法は改正されましたが、改正漁業法による漁業組合を調査した模範例は『漁業組合模範例(第二次)』として大正3年に刊行されました。
漁業組合範例 (第二次) 農商務省水産局 1914(大正3)年 554p,23cm 大正3年5月1日現在、全国の漁業組合の中で比較的成績良好であるもの、漁村経営の事蹟について報告のあったものを、道府県順に掲載した資料です。前編と後編にわかれています。前編では「漁業組合ノ現況」「施設事業ノ概目」「優良組合ト其施設」のテーマで全国の概要がまとめられています。後編では「各組合ノ事蹟」として、成績良好な組合の報告が道府県順に掲載されています。大阪、神奈川、群馬、滋賀、長野、富山、沖縄は特に掲載すべき組合がなかったということで本資料には掲載がありません。埼玉、栃木、奈良、山梨の4県は当時漁業組合が未設置のため掲載がありません。 書名に「第二次」とあるのは、明治34年の旧漁業法による漁業組合調査の報告『漁業組合範例』(明治42年刊)を第一次と数えているからです。 明治時代の漁業組合制度は、明治19年の「漁業組合準則」、明治35年の「漁業組合規則」、明治43年の「漁業組合令」というように改正されながら確立していきました。本資料は「漁業組合令」が公布された後の漁業組合の資料です。改正前の「漁業組合規則」では、漁業組合の目的は漁業権の享有・管理の主体となることでしたが、明治43年に漁業法が改正され漁業権に抵当権が付与され、漁業組合は漁業権の享有・管理のほか共同施設事業もおこなうことができるようへと改正されました。共同施設事業は明治44年の農商務省訓令第1号にその大綱が示されています。例えば、漁港や魚揚場など共同で使う営造物の設置、魚礁や魚附林、共同販売、共同製造、共同購買、共同運搬等、暴風雨警報、遭難救助などです。本書では、各漁業組合の共同施設事業についての報告も掲載されています。
日本水産製品誌(第一~第五の合本) 農商務省水産局 1913-1916(大正2-5)年 5冊合本(593p),22cm 『日本水産捕採誌』『日本水産製品誌』『日本有用水産誌』を「日本水産誌」と呼びます。明治19年に農商務省水産局が編纂を企画して、調査、執筆、編纂をおこない、明治28年に原稿が完成しました。3誌の編纂監督には田中芳男がつき、『捕採誌』は金田帰逸、竹中邦香、中村利吉が、『水産製品誌』には山本由方、河原田盛美が、『有用水産誌』には加藤正韻、柏原忠吉が、それぞれ編纂員としてあたりました。たいへん貴重な資料が完成したものの、水産局の経済的事情により原稿完成時に公刊することはできませんでした。明治40年代になってやっと、水産書院が農商務省の許可を得て、自社の刊行物『水産文庫』に順次分載することになりましたが、残念ながら『日本有用水産誌』は水産書院からも刊行されることはありませんでした。 『日本水産製品誌』は、編纂当時日本に現存した水産製品の製造方法について、水産製品の絵とともに各地の特徴などをまとめたものです。全国各地の調査、古書から当時最新の書物までの幅広い文献の調査などをもとにしています。水産製品を、「第一編食用品」「第二編工用品」「第三編肥料品」「第四編薬用品」の4編に分けて編集しています。 水産書院の『水産文庫』には大正2年から大正5年までの間に5回掲載されましたが、第一編食用品第二章植物第一節乾品類第三十九奴麻海苔までの掲載で終了しました。本資料は、その5回の掲載を合本したものです。 その後、『日本水産製品誌』は昭和10年に全編を収録したものが刊行されています。大正12年の関東大震災で農林省に保存していた原本の原稿は焼失しましたが、水産書院(後の水産社)相談役宮崎賢一氏が謄本を所蔵していたため、農林省の許可を改めてとって水産社から全編が刊行できました。
日本水産捕採誌 (第1,2,3,4合本) 農商務省水産局 1910-1911(明治43-44)年 548p(上巻[第1-第3]448p,中巻[第4]100p), 22cm 『日本水産捕採誌』『日本水産製品誌』『日本有用水産誌』を「日本水産誌」と呼びます。明治19年に農商務省水産局が編纂を企画して、調査、執筆、編纂をおこない、明治28年に原稿が完成しました。3誌の編纂監督には田中芳男がつき、『捕採誌』は金田帰逸、竹中邦香、中村利吉が、『水産製品誌』には山本由方、河原田盛美が、『有用水産誌』には加藤正韻、柏原忠吉が、それぞれ編纂員としてあたりました。たいへん貴重な資料が完成したものの、水産局の経済的事情により原稿完成時に公刊することはできませんでした。明治40年代になってやっと、水産書院が農商務省の許可を得て、自社の刊行物『水産文庫』に順次分載することになりましたが、残念ながら『日本有用水産誌』は水産書院からも刊行されることはありませんでした。 『日本水産捕採誌』は、編纂当時日本に現存した全国の漁具漁法について、その特徴を、できるだけ漁具の構造操作の方法を掲載して、まとめたものです。全国各地の現物の調査、古書から当時最新の書物までの幅広い文献の調査などをもとにしています。漁具漁法を、「第一編網罟」「第二編釣漁業」「第三編特殊漁業」の3編に分けて編集し、漁具や漁法の絵も掲載しています。 水産書院の『水産文庫』には明治43年から大正元年までの間に8回掲載されました。本資料はその合本です。なお、大正元年十月に水産社から『日本水産捕採誌全』が刊行されました。
日本水産捕採誌 (第5,6,7,8合本) 農商務省水産局 1912(明治45-大正元)年 542p(中巻[第5-第6]295p,下巻[第7-第8]247p),22cm 『日本水産捕採誌』『日本水産製品誌』『日本有用水産誌』を「日本水産誌」と呼びます。明治19年に農商務省水産局が編纂を企画して、調査、執筆、編纂をおこない、明治28年に原稿が完成しました。3誌の編纂監督には田中芳男がつき、『捕採誌』は金田帰逸、竹中邦香、中村利吉が、『水産製品誌』には山本由方、河原田盛美が、『有用水産誌』には加藤正韻、柏原忠吉が、それぞれ編纂員としてあたりました。たいへん貴重な資料が完成したものの、水産局の経済的事情により原稿完成時に公刊することはできませんでした。明治40年代になってやっと、水産書院が農商務省の許可を得て、自社の刊行物『水産文庫』に順次分載することになりましたが、残念ながら『日本有用水産誌』は水産書院からも刊行されることはありませんでした。 『日本水産捕採誌』は、編纂当時日本に現存した全国の漁具漁法について、その特徴を、できるだけ漁具の構造操作の方法を掲載して、まとめたものです。全国各地の現物の調査、古書から当時最新の書物までの幅広い文献の調査などをもとにしています。漁具漁法を、「第一編網罟」「第二編釣漁業」「第三編特殊漁業」の3編に分けて編集し、漁具や漁法の絵も掲載しています。 水産書院の『水産文庫』には明治43年から大正元年までの間に8回掲載されました。本資料はその合本です。なお、大正元年十月に水産社から『日本水産捕採誌全』が刊行されました。
日本釣鉤図 橋本哲太郎 写 明治時代 1冊, 27cm. 水産伝習所第五回卒業生の橋本哲太郎の蔵書だったものです。橋本哲太郎は伝習所の学生時代の講義ノートや参考資料を筆写したものを多数残し水産資料館にて収蔵してきました。本書「日本釣鉤図」もその内の1冊です。哲太郎自身の筆写なのか、筆写を依頼して作られたものなのかは不明ですが、題簽の文字は橋本哲太郎の手によるものです。表紙をあけた標題紙の絵には「T.Hashimoto」も描き込まれています。 筆写のもとになった底本が何かは不明ですが、水産伝習所の講師だった中村利吉の「釣針図譜」や「魚釣針一覧図」などと比較しながら見るのも興味深いでしょう。