千葉貞胤 1838(天保9)年 12丁 23cm (写本)

 1838(天保9)年6月に相模国高座郡辻堂村の地引網に海獣がかかり、それを同年7月より両国で見せていました。その海獣について、本草学の見地から観察し、『本草綱目』『和名抄』『本朝食鑑』『和漢三才図会』『大和本草』などといった諸書に照らし、動物名の特定を試みています。膃肭獣(おっとせい、うにう)、海獺(あしか、うみをそ)の2種に似ていると結論しています。
 本書には巻頭に、辻堂村の地引網に海獣がかかった旨を記した代官江川太郎左衛門による書状の写しがあります。また、当館所蔵本は織田完之(明治期の農政学者)蔵の写本ですが、巻末には、田中芳男(幕末~明治期の博物学者)が織田完之に宛てた手紙(「海獣考」を借り写本した)があります。
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