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貝よせの記
木村恭著,前川文栄堂,1775(安永4)年,和装本,32丁,23cm
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 貝の収集や観賞について文献による考証を交えて、木村孔恭(1736-1802)が著した書物です。版心の書名は「奇貝図譜」、版心下部に「蒹葭堂」とあります。
 木村孔恭は江戸時代中期に大阪で酒造業を営むかたわら、巽(遜)斎と号し堂号を蒹葭堂と称して文人としても当時から著名な人でした。本草学や書画、煎茶などに通じ、書画・骨董・書籍・標本などのさまざまな収集家でもあり、幅広い文化人との交友もありました。膨大な蔵書は孔恭が亡くなった後には昌平坂学問所に納められ、現在は内閣文庫に「昌平坂学問所本」の一部として引き継がれています。

 『貝よせの記』は、「序文」と「奈伎左(なぎさ)の玉」「一之源」「二之事」「三之品」「四之證」「古語古歌引證」「拾貝の記」で構成されています。
【序文】
  孔恭と交友のあった国学者、加藤美樹(1721-1777)が静舎宇万伎の号で書いています。「奈伎左(なぎさ)の玉」以降が木村孔恭による本編です。
【奈伎左(なぎさ)の玉】
 この書物に「渚の玉」と名付けたことと書名の由来が書かれています。大枝流芳の著した『浦の錦』を引き合いに出し『浦の錦』に載らなかったものを拾って書いたので、『催馬楽』(註1)の詞をとってこの著作に「渚の玉」と名付けたと書かれています。
【一之源】
 貝合わせ(註2)や貝覆い(註3)など、日本で貝を「もてあそぶ(観賞する)」対象とし始めた始まりについて、文献から言及しています。
 紹介されている文献:
  「堤中納言物語」「源氏物語」「夫木集」「増鏡」「貝おおいの記」「伊勢物語」
【二之事】
 外国の書物についてと日本の貝図録について書かれています。
 紹介されている文献:
  中国:「尚書」「毛詩」「爾雅」「本草」「周書」「山海経」「相貝経」「廣東新語」。
  オランダ:「ラリーテイト・カーメル」。
  日本:高野山北宝院尭暁所持の貝、遍照光院にある貝の図目録、「浦の錦」、歌仙貝、源氏狭衣の巻の名、百人一首の名などつけたる貝、「浄貞五百貝図」
【三之品】
 貝の観賞のしかたについて書かれています。形、色の美しさや光沢が優劣のポイントであり、佳品を作るには貝を生きたまま採ってきて肉をとりよく洗って磨くのがよいと書かれています。また諸国の貝を産する浦や浜について地名が書かれています。
【四之證(しるし) 】
 貝の出てくる書物の抜粋を列挙しています。
 紹介されている文献:
  「周易」「尚書」「毛詩」「爾雅」「説文」「呂覧」「淮南子」「山海経」「拾遺記」「牌雅」「廣志」「雲南記」「山堂肆考」「続文献通考」「廣東新語」
【古語古歌引證】
 貝の出てくる古語や古歌を出典の書名とともに抜粋して列挙しています。『徒然草』からの抜粋では当研究所の所在地、武蔵国金沢(横浜市金沢区)で甲香(かいこう:アカニシ貝のふたで、煉り香の材料)が産し地元では「へなたり」という、という文章が紹介されています。
 紹介されている文献:
  「古事記」「日本書紀」「催馬楽」「万葉集」「拾遺和歌集」「竹取物語」「「堤中納言物語」「土佐日記」「山槐記」「袋草紙」「散木集」「出観集」「山家集」「夫木集」「壬生隆祐朝臣集」「風葉和歌集」「増鏡」「扶桑拾葉集」「徒然草」「御湯殿上日記」「伊勢路のしるべ」「神楽随筆」
【拾貝の記】
 田俊房が延享4(1747)年に書いたものです。亡父の貝収集の経緯や熱意といった様子が語られています。孔恭はこの『拾貝の記』を東国の友人より写して送ってもらったこと、貝収集の手段を極めていると評して、載せた理由であると書いています。

註1)『催馬楽』の詞:『催馬楽』は雅楽歌謡の一つですが、この中に「伊勢の海の清き渚に 潮間(しおがい)に なのりそや摘まむ 貝や拾はむ 玉や拾はむや」の歌詞があります。
*潮間:潮が引いている間 *なのりそ:ホンダワラの古名 *玉:真珠
註2)貝合わせ:貝と貝を見比べて優劣を競う遊び。また貝に和歌を添えて和歌の優劣を競う遊び。
註3)貝覆い:二枚貝を二つに分け、一方を持って対になるもう一方を探し当てる遊び。二枚貝の蝶番の形で合っているかどうか判別します。

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