中央水研ニュースNo.27(2001...平成13年11月発行)掲載

【研究情報】
エル・サルバドル国零細漁業開発計画調査に参加して
田坂 行男

 北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は細長い地峡部で繋がっている。この地域は「中米」と総称さ れており,7つの小国がひしめき合っている。エル・サルバドル国はその中でも最も小さい国であ り(109千平方キロ,中米最大国ニカラグアの6分の1),人口密度は中米の中で最も多い。このた め,国境を越えて,隣国のホンジュラスやグァテマラで働く人が後を絶たず,ホンジュラスでは農 業分野等で働く20万人以上のエル・サルバドル人を強制的に国外退去させた歴史がある。また,1970 年代後半から80年代後半にかけて起こった内戦は北部地域や東部地域から海岸部へと人口流動をも たらしたが,内戦終結後は雇用に就けない者が漁業に糧を求めて海岸部に流入・定着化し,海岸部 における今日の混沌とした状況を形成している。そこでは未組織の零細漁民が行う無秩序な漁獲行 為が資源を枯渇させる一方,品質管理技術や加工技術の遅れが国内需要をさらに低迷させ,生産活 動の不安定さを助長している。
 筆者は1994年から2年間,国際協力事業団が隣国ホンジュラス国で実施した「北部沿岸小規模漁 業振興計画調査」に水産物流通・流通施設担当の作業監理委員として参加した(詳細は中央水研ニ ュースNo.15を参照)。今回エル・サルバドル国政府が日本国政府に要請してきた「零細漁業開発 計画調査」も,零細漁民の組織化や国民経済の実状に即した水産物流通システムの検討が重視され ている点においてホンジュラス国での案件に類似している。ただし,2001年1月の大地震以降経済 が益々疲弊して雇用の確保が早急に求められていることや,国民への動物性タンパク資源の安定供 給が重要さを増していることなど,ホンジュラス国からの要請事項にはなかった差し迫った課題が 含まれており,より実効性のある計画立案が求められている。ここでは2000年5月から流通担当作 業監理委員として参加している「エル・サルバドル国零細漁業開発計画調査」を紹介する中で,開 発途上国における実効性ある水産援助事業(ODA)のあり方とは何かを考える。

エル・サルバドルの水産業が抱える問題とは
 エル・サルバドルの水産業は,企業経営による輸出市場向けのエビトロール漁業と,沿岸水域や 内湾性汽水域(エステロ)で行われる零細漁業,及び湖沼など内水面で営まれる零細漁業の3つに 大別される。それ以外に養殖業もあるが,若干のティラピアとエビの養殖が見られるだけで,概し て発展が遅れ,産業規模も小さい。水産加工業についても,輸出用エビの加工場以外は,漁家や仲 買人による塩干加工と小規模な製氷程度に留まっている。国民経済に占める水産業の位置は小さく ,GDPの0.4%,農林水産業のGDP中でもわずかに3.9%を占めるに過ぎない。ただし,高価格でアメ リカに輸出されるエビは外貨獲得政策上重要な産品として位置づけられており,また国民に動物性 タンパク質を安定して供給できる産業として水産業の重要性は増している。
 農牧省・水産開発局(CENDEPESCA)の統計によれば,エル・サルバドルの総漁獲量は1986年の8,362 トンから1995年には14,999トンまで増加したが,その後減少に転じ,1999年には9,905トンまで減 少している。総漁獲量9,905トンのうち海面漁業漁獲量は6,973トンで,うち2,771トン(40%)は企 業漁業,4,202トン(60%)は零細漁業による生産である。近年の漁獲量低下は1998年のハリケーン ・ミッチによる被害や漁場環境への悪影響が一因となっていると言われているが,過剰な漁獲圧力 によって沿岸資源の状況が徐々に悪化していることも見逃せない。すなわち,エル・サルバドル水 産業の主体である輸出用エビを漁獲しているエビトロール漁業での漁獲量が近年減少傾向にあり, 現在では約90隻あるエビトロール船のうち操業していない船の方が多いと言われるほど状況は悪化 している。また,2001年1月の大地震以降,約1万3,000人が就業する沿岸零細漁業では従来までの 漁獲量の低下トレンドに拍車をかけたかたちで漁獲量が減少し,漁民は危機感を深めている。
 このような水産業の状況を鑑み,エル・サルバドル政府は2000年8月に「国家水産基本計画」を 作成したが,そこでは計画を単に「絵に書いた餅」に終わらせないように,たとえ事業規模は小さ くても漁民の生産活動を改善できる実効性あるものとしていきたいという考えがある。 この背景には,隣国ホンジュラスにおいて拡大しつつある漁民組織化運動を自国へも導入したいというエル・ サルバドル政府の期待がある。そこで,今回日本の援助のもとで実施された「零細漁業開発計画調 査」では,各地での漁獲活動と漁民生活の実際,そして自助努力を基本原則に据えた場合にどのよ うな処方箋が考えられるか等を中心に検討が行われることになった。「零細漁業開発計画調査フェ ーズ1」において摘出されたエル・サルバドル水産業が抱える産業課題は次のような点にあった。

1.漁船規模が小さく,漁船や漁具の種類が少ないこと。また漁獲技術が低次であること。
 エル・サルバドル沿岸域には1万3,000人を越える零細漁民が6,000隻以上の漁船を使って操業し ている。またその多くは船外機を使っており,カヌー中心の隣国ホンジュラスに比較して近代的で ある。また網漁具もホンジュラスに比べて広く普及している。ただし,波を切って沖合操業できる だけの力はなく,技術も伴っていない。また漁船や漁具の種類に限りがあり,自ずと対象魚種は限 られている。
2.未利用資源が多く漁獲対象魚の多様化が進んでいないこと。
 エル・サルバドル沿岸域には,イワシ,アンチョビなどの小型浮魚資源が約5,000トン存在し, ヒラアジやその他のアジ類,サワラなど中型の浮魚も約15,000トン生息していると言われる。また ,カツオ,マグロ,シイラ,カジキなどの大型浮魚資源やアカイカの存在もアメリカが何度が実施 した資源量調査によって明らかになっている。また,深海部に豊富なチリアンロブスターの存在が 確認されている。ただし漁具の制限により,これらを対象とした産業は成立していない。さらに, 底魚の中でもハモはエビトロールや零細漁業の延縄で混獲されているが,資源として利用されずに 投棄されている。
3.漁民の組織化が遅れており,資源管理意識も遅れていること。
 エル・サルバドル沿岸域で操業する約1万3,000人の零細漁民のうちの約95%が未組織の漁民であ る。 また,組織化されている15漁協についても経営状態は悪い。自主的に資源管理に取り組む地区 が一部に見られるものの,多くの地区は資源管理に対する意識が低く,資源悪化を加速化している 。
4.流通技術が低次で,かつ鮮度管理に対する意識が低いこと。
 エル・サルバドルは潮の干満差が大きい地域であるが,一部の漁港を除き水揚げ施設は未整備で あり,不効率な水揚げが行われている。また,流通技術は低次であり,漁民及び仲買人の鮮度管理 に対する意識が低い。
5.国内市場に潜在力がありながら未開拓であり,市場に関するデータが整っていないこと。
エル・サルバドルで食されるのは白身魚であり,赤身魚は食されない。また年間水産物摂取量は 首都であるサン・サルバドルで3.54kg,その他の地域で0.99kg,全国平均で1.79kgである。ただし ,この値は中米諸国の中でも特に低く,実勢よりも低い予測値である可能性がある。水産業開発計 画調査を実施に移すためには水産物の需給バランスを正確に押さえるための生産・消費に関する統 計データを整備する必要がある。
6.女性の地位向上を図ることが漁村の社会政策上大切であること。
 エル・サルバドルを含む中米諸国ではシングルマザーが多く,社会の最貧困層を形成しているこ とが社会政策上問題である。女性に水産加工技術等の技術を習得させ,雇用機会を増やすことは, 漁村社会の生活向上のために不可欠である。

 また,これらの課題に加えて,開発計画調査では水産行政を司る水産開発局内部における開発プ ロジェクトの実行体制やモニタリング体制の評価を行い,今後マスタープランの作成・実行に必要 な技術が政策担当者に移転できる調査体制が組んでいくことになった。
 実効性ある援助の実現に向けたパイロット事業の展開 エル・サルバドル水産業の実状を精査し たフェーズ1を受けて,2001年9月からは1年間の予定でフェーズ2調査が開始されている。フェーズ 2では,より完成度の高い開発計画にするために,フェーズ1調査を通じて提案した計画の中でもプ ライオリティの高い4つの分野において小規模ながらパイロット事業を実施し,その実効性や事業 を漁村に定着させていくための課題を摘出していくことを目的としている。
 フェーズ2調査において実施されている4つのパイロット事業は以下の通りである。

1.水産統計システム改善プロジェクト
 沿岸漁業の水揚げ状況が性格に把握されておらず,また集計作業に時間がかかるために水揚統計 が数年発行されていない。このため,効果的な漁業管理計画を策定することができず,マスタープ ランの作成に支障をきたしている。改善プロジェクトでは,地元の漁業リーダーの協力の下,出漁 隻数と漁獲実績に関するデータを安定的に収集できる体制を整えるとともに,既存のパソコンを使 った現実的かつ効率的な水産統計システムの導入を図り,現実に即した統計情報の収集・整理・分 析体制の構築を目指す。
2.漁民組織形成支援プロジェクト
 漁民の組織化が遅れており,沿岸資源管理や市場開拓を実践できる漁民組織が必要である。また ,いくつかある漁業協同組合はほとんど機能しておらず,今後の自己発展が困難な状況にある。改 善プロジェクトでは,意識の高い漁民グループを対象に,主体的・能動的に資源管理を行う意識を 根付かせ,漁民組織化の成功例として他地域へ啓蒙していく。
3.漁村女性生計向上プロジェクト
 漁獲量の減少により漁業者の生活は困難な状況にあるが,漁村に暮らすシングルマザーの生活は さらに困難さを増している。 漁村には女性の雇用機会は少なく,この現状を女性が主体的に改善し ていく手段もその基礎となるグループもほとんどない。改善プロジェクトでは,積極的な参加意志 を持つ女性グループへの支援を通じて,他地域への発展の基礎となる成功例の形成を目指す。具体 的には,カツオ,ハモなど未利用資源を使った低次加工品の試作とその販売,貝殻を原料とした工 芸・建築資材の生産や土産品の生産などが挙げられる。
4.零細漁業多様化プロジェクト
 エル・サルバドルの漁業はフェーズ1の調査結果からも分かるように,特定魚種の偏った漁業と なっている。目的魚の資源は枯渇状態にある一方,活用できていない魚種が複数種存在する。改 善プロジェクトでは,既存の漁船を地元にある資材を使って改造するなどして,小型巻き網船や 改良刺網,籠延縄等を作成し,試験操業を通じてその有効性や未利用資源の加工・流通の可能性 を検証する。

 これらのパイロット事業には互いに関連しあったところもあるので,フェース2ではそれぞれ の事業を有効に関連づけながら実施していくことが目指されている。また,これらの事業の実施 にあたっては,零細漁業多様化プロジェクトにおける資機材の調達方法等に見られるように,従 来の援助事業では一般的に行われる機材の無償提供は行わず,現地にある資材や施設を使って, 地元漁民参加のもとで行われることを基本としている。このような援助姿勢は,現地に最も適応 した技術水準を見極める手段として,また振興計画の実効性を高める手段として有効であり,今 後の水産援助政策においても大きな柱として位置づけられてくることが期待される。

(経営経済部消費流通研究室長)


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