中央水研ニュースNo.25(2000...平成12年12月発行)掲載

【研究情報】
潜水艇の利用で広がるプランクトン研究の可能性
豊川雅哉

 「前進停止」「スラープガン吸って」「入った」「ボリュームしぼって,キャニスター回せ」「なつしま,しんかい。1番キャニスターにクシクラゲを一個体サンプリングした。深さ1241,どうぞ。」「ザザザー(雑音)。なつしま了解」
 写真1のクシクラゲは,こんな風に採集された。海洋科学技術センターの潜水艇「しんかい2000」は,我が国近海を中心に年間90回程度の調査を行なっている。以前は地質や底生生物の調査が中心だったが,最近は中層のプランクトン(浮游生物)の研究が盛んである。筆者も1998年から今年まで,北海道釧路沖で4回,プランクトン調査のための潜航の機会をいただいた。
 潜航は朝9時に始まり,夕方の4時頃に終わる。この間,7時間ほど2名のパイロットとともに,狭い耐圧殻に入る。昼には海底でサンドイッチとコーヒーのランチを楽しめ,ちょっとした小旅行気分が味わえる。観察者は3つある窓のうち一つを占有し,肉眼による観察を行なう。観察窓は厚さ9cmのアクリル樹脂製だが,ひずみもなく透明で全く厚みを感じさせない。外部に2基のビデオカメラが設置され,時間と深度の入ったビデオ映像が得られる。一方,クシクラゲ類など柔らかく壊れやすい生物を採集するための機器も近年開発された。ゲートサンプラー(写真2中央,丸い入口をこちらに向けている透明アクリル製の四角い箱)は,ポンプの水流で試料を内部に引き込んでから,両側のゲートを下ろして中に閉じ込める。6連キャニスター(写真2右,透明プラスチック製の大きなドラム状の容器,中に3と書かれた小円筒が見える)は,内部に試料をおさめる小円筒を6本備え,スラープガン(写真中央を横切るホース,小型ポンプに接続し,試料を吸い取る)で吸い取った試料を小円筒中に衝撃をおさえながら採取する。
 我々プランクトン屋にとって潜航調査の魅力は,プランクトンネットという制限を越えて生物を直接観察採集できるということにある。ネット採集や採水による調査というのは,汁がにごって具が見えない鍋からお玉で具をすくうようなもので,ある程度鍋の中身を知ることはできるが,直接覗けば取りこぼした具がたくさん入っていたりする。海中にはサイズは大きいのに,ネットでは採集できない生物がかなりの量存在する。写真1のクシクラゲはその代表的なもので,釧路沖での我々の調査では,海底付近に高密度で存在することが明らかになりつつある。しかし,ネットを曳く時の水流で網地に押し付けられると壊れてしまうために,ネットで採集した試料中には全く形をとどめない。これまでの調査方法では,全くその存在が知られていなかった。亜寒帯域では表層で大型カイアシ類が摂餌して脂肪を蓄積して休眠し,中・深層に沈むことが知られている。このクシクラゲはこうしたカイアシ類の有力な捕食者であろうと考えられ,亜寒帯域の表層と中・深層の生態系のダイナミックな結びつきを示す証拠になるかもしれない。クシクラゲ類では,潜水艇で発見された新種も多い。
また,尾虫類(オタマボヤの仲間)は自分の身体の周りに,粘液でハウス(包巣)というフィルターを張った袋をこしらえて,海水を濾して餌を集めるが,ハウスもネット採集では原形をとどめない。このハウスは表層で生産された粒子を下層に速く落とす役割を果たしたり,小さな生物が取り付く足場になったり,ウナギやアナゴの仲間の幼生の餌になったりすることが知られているが,潜水艇からの観察で今まで知られていなかったような大きなハウスが多数観察されている。この他にも,海中の生物を直接目で見ることができるので,摂餌行動,同種個体同士や他種とのかかわりなどの行動様式や,詳細な鉛直分布など,様々な情報を得ることができる。
 これまでは有人潜水艇が主に使われて来たが,将来は船から信号ケーブルで遠隔操作する無人潜水艇(ROV)が主流になりそうだ。というのも,ハイビジョンカメラなどによって,画像情報の質が格段に向上したからだ。ビデオ記録もデジタル化されて高画質になった。有人潜水は人命がかかっているので,運用に多くの人員を要し,艇の設備も大掛かりになる。ROVでは生命維持に関わるコストを抑えることができるので,水産研究所にも手が届く買い物かもしれない。今年の調査では北水研の方々が,スケトウダラの遊泳行動を観察されるのを拝見した。魚がどんな姿勢で泳いでいるか,群れの中の各個体がどれくらい密集しているのか,同じ方向を向いているのか違う方向を向いているのか,活発に泳いでいるのかじっとしているのか,といった情報が,魚群探知機のデータを解析する上で重要で,しかも詳しく調べられていないそうである。もし野外で研究に使えるROVが水産研究所にあれば,他の資源生物の行動研究にも役立つだろう。多くの研究者と競合して年に1回もらえるかどうかの潜航枠を待っている現状では,一人の研究者が何十回も潜航を繰り返してデータを出す欧米の研究レベルには遠く及ばない。
 映像技術の発達は研究手段としてのROVの魅力を高めたが,映像だけでできる研究の範囲は限られている。映像だけでは種の同定が不確実であり,見た生物をその場で採集して正確に同定して初めて映像データの解析に裏付けができる。また,試料を採集すれば化学分析や飼育実験など多様な研究を行なうことができる。ビデオカメラやマニピュレーターを備えたROVは民間等にもあるが,せめてスラープガンがなければ生物を傷つけずに採集することは難しい。クシクラゲやマリンスノーのようなデリケートな試料を採集するには,上で述べたような特別な採集具が必要である。水産研究で使うことを考えた場合,2000mも潜れなくても,海洋表層と大陸棚に相当する200mを自在に潜航して採集と観察が行えるROVがあればかなりの現象をカバーすることができる。そんな夢を買ってみてはいかがだろうか。

(海洋生産部低次生産研究室研究員)


写真1.クシクラゲの仲間(撮影:豊川)


写真2.「しんかい2000」の採集装備(撮影:三宅裕志氏(海洋科学技術センター))


back
back