豊橋ちくわ

○豊橋ちくわとは
 16世紀、今川義元公隆盛の頃、熊野権現神社(現在の豊橋市魚町)境内で、 魚の売買が行われたことに発達の基盤がありました。
 この地で魚問屋を営んでいたヤマサちくわ株式会社の先祖、佐藤善作氏が、 19世紀(天保8年、1837年)、魚問屋の仲間とともに四国の金毘羅参りに出かけました。 そのときに、名物として売られていた練り製品を見つけ、味もよく、使用している材料は 吉田(現在の豊橋市)近くでも獲れるものであったことから、買って帰り、研究を続け、 現在広く販売されているちくわの原型を作り上げたと伝えられています。
製品
製品
   塩をふりかけ、箱詰めとした保存の効く塩漬けちくわが開発され、 魚類の乏しい信州で好評を博し、吉田ちくわの名が知られるようになりました。 そのため、明治時代には、ちくわ専門業者も増え、一日の生産量は4万本にのぼりました。
 昭和の初期になると豊橋ちくわは、小形で、小口を残して焼色をつけた現在の形状となり、 エソやハモなどの味を生かした風味と、砂糖を加えた甘味を特徴とし、 生で食べられるちくわとして普及していきました。

○生産と消費の動向
 昭和35年頃に開発された、冷凍すり身の技術の向上と流通網の発達により、 昭和50年には焼きちくわの生産量は25万tを超えていました。 以後、生産量は年々減少し、平成に入る頃から20万tを切るようになり、 平成14年には14万tと減少傾向にあります。
○原料選択のポイント
 豊橋ちくわの原料は、三河湾で獲れるタチウオが主体でこれにエソ、ハモ等を加えていました。 現在はスケトウダラ主体にイトヨリ、エソ等を加えています。高級品は、キグチ、 エソなどの割合が高くなっています。
○加工の原理
 魚肉に食塩を混ぜ、すり潰してすり身とし、これを加熱することで、 液汁の分離のない弾力のある練り製品となります。
○実際の製造
 スケトウダラ、キグチ、エソ、ハモ、タチウオなどの魚が原料として使用されます。 手作業、もしくは魚体調理機で頭と内臓を取り除いた後、魚洗機で、魚体表面の粘液、 鱗、内臓破片などを除去します。その後、魚肉採取機で魚肉と皮、骨を分離します。 採取した魚肉を「落とし身」ともいいます。魚肉は魚臭が強いので、水でよく洗います。 血液や脂肪分、血合い肉などを除去します。
●製造工程図
原料魚 スケトウダラ、エソなど。
魚体処理 魚肉から頭、内臓を除去後、洗浄。
採肉 魚肉採取機で魚肉の分離。
水晒し 魚肉に含まれる不純物の除去。
脱水 冷凍すり身
 
砕肉 解凍
 
擂潰 擂潰魚肉の擂り上げ。
成形(串巻) 一連の機械装置が組み込まれた自動ちくわ製造器を使用。
焙焼 
串抜き 
冷却 自然放冷
検査 商品本数に応じて包装。
出荷  
製品
擂潰工程
 続いて、過剰の水分をスクリュープレスなどで除去します。そして脱水された魚肉の 結合組織や小骨を除去します。冷凍すり身を使用する場合、自然解凍もしくは機械を用いて解凍します。 そして擂り潰しの工程に入ります。
 魚肉繊維を壊し、食塩の作用で塩溶性タンパク質を溶出させ、調味料等の副原料を混合し、 擂り上げます。魚肉繊維をほぐしてタンパク質を溶出しやすくする「空ずり」、食塩を加えて 塩溶性の筋原繊維タンパク質を水和、溶出させる「荒ずり」があります。擂潰中の魚肉の 温度は10℃以下が望ましいです。
製品
成形工程
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焼成工程
 いよいよ焙焼の工程です。まず、すり身をステンレスの焼串に巻きつけます。 加熱することで、殺菌と足の形成を行います。回転させながら火床上を移動させて焼き上げ、 最後にちくわ中央部にしぼった火床上を通過させ、中央部に焼色をつけます。
 最後に、焼き上がったちくわを固定器に挟み、焼き串の片端にあるくびれに引き抜き装置の爪をかけ、 ちくわから焼き串を引き抜きます。ちくわはコンベアにより冷却工程に送られ、数本ずつ自動包装されます。
 抜き取られた焼き串は、自動ちくわ製造機の上部をチェーンにより成形機に返送します。 返送の途中、焼き串に付着したカスをかき取り、串抜けを良くするために植物油を含ませた布ベルトにより、 焼き串に植物油を塗布します。
○製品の形態・包装等
 だいたい4~6本ずつ包装されます。大型のものや高級品は、1本もしくは2本ずつ包装されます。
○食べ方
 主に生食で食べますが、おでん、煮物、炒め物、和え物、揚げ物など広く利用されています。
○使用する副原料
 卵白、砂糖、食塩、みりん、デンプン、大豆油、発酵調味料などが味の調整に用いられます。

伊藤雅子(愛知県産業技術研究所)
写真提供:(株)かね貞