中央水研ニュースNo.34(2004...平成16年11月発行)掲載

【研究情報】
新種のヒゲクジラの発見
和田志郎

研究の経過
 私が“新種かもしれないヒゲクジラ”に初めて遭遇したのは今から27年も前のことです。当時,私は遠洋水産研究所の鯨類資源研究室に所属し,東京大学海洋研究所の沼知先生の指導の下で系群識別を目的としたアイソザイム研究を始めたところで,特別捕獲調査(1)で採取された南半球産ニタリクジラの臓器標本を分析していました。そのなかに複数の遺伝子座でユニークな遺伝子をもつ個体が8頭あったのです(2)。これらはソロモン海やジャワ沖で獲られたもので,体長が9.6-11.5 mと小さいにも拘わらず性成熟に達していました。そんなクジラは既知のどの鯨種にも該当しなかったため沼知先生も新種に違いないと確信され,Nature向けのドラフトを作成されたのですが,校閲者から形態情報の不足を指摘され,残念ながら投稿には至りませんでした。そこで,短期決戦は諦めて,採取されたヒゲ板などの生物標本を精査する一方,新たな標本が得られた時に備えてナガスクジラ属鯨類の形態や骨学の知見を総点検しておくこととしました。
 8頭の種不明個体が本当に新種かどうかの疑問に関してまず頭に浮んだのがedeni/brydeiの問題です。戦後の小笠原や日本沿岸の捕鯨で捕獲されていた“南方型イワシクジラ”が実は本当のイワシクジラではなく,1913年に南アで記載されたBalaenoptera brydeiという,当時あまり馴染みのない種であることに最初に気付き,“ニタリクジラ”という和名を与えたのが故大村秀雄博士です。しかし,その直前にライデン博物館のユンゲが,“brydeiは1879年に記載された英領ビルマ産のedeniと同一種である”との論文を公表していたことから,ニタリクジラの学名はbrydeiではなく先行するedeniが適用されてきました(3)。私はedeni の最大体長が未知種とほぼ同じ約12 mであることが気になり,edenibrydeiの骨格論文を取り寄せてみたところ,素人目にも頭頂部の様子が両者で明らかに違っていたのです。過去のどの論文もこの点には全く触れていません。ユンゲのedeni=brydei説は甚だ怪しく,未知種=edeniという可能性が出てきました。しかし,ユンゲの定説を覆すには充分な反証を積み上げる必要があります。そこで,タイ,インド,マレーシア,オランダなどの博物館に行き,実際の骨格を比較したところ,頭頂部の骨学的相違は本質的なもので中間のタイプも見られないことから,edeniとbrydeiは別種であることを確信するに至りました。  未知種の骨格は残念ながら特別捕獲調査では採取されなかったので,未知種がedeniであるかないかを確実に判定できる手段はDNAしか残されていません。そこで,ライデン博物館所蔵のユンゲのedeni標本からDNAを採取してシーケンスしたところ,結果は未知種≠edeni≠brydeiという意外なものでした。話は振り出しに戻ってしまったのです。これに先立って,当時の乗船監督官が私的に撮影した未知種の外観の映像がようやく入手できたのですが,映っていたのはニタリクジラとは似ても似つかぬクジラでした。これで,骨格を除けば,未知種が新種であることを支持する外部形態と分子の証拠が揃ったことになります。
 この時まで未知種の骨格は得られず,この先も全く期待できない状況だったので,私は国立科学博物館の山田格さんと相談の上,それまでの知見をまとめて新種として公表することとしました。ところが,2回目となるNatureのドラフトの校閲を山田さんに依頼した直後の1998年9月に,山口県の角島(つのしま)の近くで未知種と同種の個体が漁船と衝突し,その骨格を他ならぬ山田さんが確保するという信じられない幸運が飛び込んできたのです。さっそく,鯨類の骨学に詳しい岩手県立博物館の大石雅之さんを加えた3者で新種の骨学的研究がスタートしました。またまた内外の博物館をまわるはめとなりましたが,紆余曲折の末ようやく昨年6月になって3度目の正直となる論文(4)をNatureに投稿することができました。新種の学名は故大村秀雄博士に敬意を表してBalaenoptera omurai(英名Omura's whale)とし,和名はホロタイプが得られた角島に因んでツノシマクジラとしました。

新種の特徴
 ツノシマクジラの外観(表紙写真参照)は,①体色が左右不対称で,左胸部だけ黒い着色部が広がる,②畝(うね)は臍(へそ)の後方に達し,全部で90本近い,③胸ビレの前縁と裏側は左右とも付け根から先端まで白いなど,ナガスクジラによく似ています。しかし,ヒゲ板の色調はナガスクジラとは全く違っていて,クロミンククジラのものによく似ています。右列では前方の3割ほどが全黄白色,後方の2割ほどが全黒色,中間の5割ほどが黄白色と黒のツートンカラーです。一方,左列の先頭は全黄白色ではなく,ツートンカラーの板で始まっています。つまり,体色と同様にヒゲ板でも黒色は左側で優勢です。他の同属種は体の大小とは余り関係なく片側で300枚以上のヒゲ板をもっていますが,ツノシマクジラでは200枚前後しかありません。
図1
図1. ツノシマクジラ頭骨の背側観
 頭骨(図1)では,まず,上顎骨を背側から見た場合の外縁のラインが,ミンククジラなどでは直線的であるのに対し,ツノシマクジラでは丸みを帯びています。左右の上顎骨の背内側縁間の最大幅(図中の両矢印)は同属種の中で最小の水準にあり,吻基底幅の約30%を占めるに過ぎません。前頭骨の眼窩上突起の後内側部が頭頂骨で大きく半円状に覆われていることも一見してわかる特徴です。さらに,上顎骨の上行突起が内側に大きく膨らんでいるため,圧迫された前上顎骨が鼻骨の側面で上行突起の下に隠れてしまっています。
図2
図2. ミトコンドリアDNA調節領域全域の塩基配列に基づくナガスクジラ属8種の近隣結合系統樹 (セミクジラを外群とする)
 塩基配列の比較にはミトコンドリアDNAの調節領域の全域を使用しました。ツノシマクジラ3個体と他の同属種との塩基の違いの数は,整列後の901塩基のうち62-97でした。この違いはニタリクジラとイワシクジラとの違い(31塩基)の2-3倍にも達しており,ツノシマクジラが同属のどの種とも独立した関係にあることがわかります。近隣結合系統樹(図2)によれば,ナガスクジラ属の共通祖先から[クロミンク/ミンク]グループが分岐し,次いで[ナガス/シロナガス]グループが分岐した後にツノシマクジラが分岐したことになります。ツノシマクジラは外観が似ているナガスクジラやヒゲ板の色調が似ているクロミンククジラとはむしろ分子的には遠いのです。なお,東シナ海および高知・和歌山沖の“体長が小さい沿岸型ニタリクジラ”が実はedeniであることもこの解析でわかりました。

今後の研究
 edeniはその外部形態がまだ知られていません。このことが長らくbrydei(ニタリクジラ)と混同されてきた原因の一つでした。高知県の大方町沖のedeniの映像資料を見る限りではbrydeiに酷似した外観をもつようですが,細かいことはわかりません。早急に正確な外部形態を記載し,この鯨種の標徴形質(diagnosis)を確定することが必要です。
 論文ではツノシマクジラの骨学的標徴形質をひとつしか挙げていませんが,もっと多くの骨格を調査して個体変異の幅がわかれば,標徴形質の数が増えることは確実です。ツノシマクジラが過去の日本の捕鯨で捕獲されていたことを示す証拠や遺物は今のところ何もありませんので,新たな標本は将来のストランディングに期待するしかなさそうです。しかし,他方,本研究の過程で私たちは海外の博物館で“種不明”あるいは“B. edeni”とラベルされた,幼鯨から成体までの本種の骨格標本を多数確認しており,既にそれらの所有者との共同研究が始まっています。その結果によっては,本種は“ナガスクジラ属鯨類の中で骨学的知見が最も充実した鯨種”になるかも知れません。

参考文献
(1)Ohsumi, S. 1980. Population study of the Bryde’s whales in the Southern Hemisphere under scientific permit in the three seasons, 1976/77-1978/79. Rep. int. Whal. Commn 30: 319-331.
(2)Wada, S. and Numachi, K. 1991. Allozyme analyses of genetic differentiation among the populations and species of the genus Balaenoptera. Rep. int. Whal. Commn 13 (special issue): 125-154.
(3)Omura, H. 1959. Bryde’s whale from the coast of Japan. Sci. Rep. Whales Res. Inst. 14: 1-33.
(4)Wada, S., Oishi, M. and T. K. Yamada. 2003. A newly discovered species of living baleen whale. Nature 426: 278-281.
(生物機能部 細胞生物研究室長  現 資源評価部 上席研究官)

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