中央水研ニュースNo.31(2003...平成15年3月発行)掲載

【研究調整】
中学校における漁村宿泊の動向
松浦 勉

漁業・漁村の多面的機能
 水産基本法の制定をきっかけとして,水産分野においても,多面的機能に関する調査が行われている。水産庁の委託を受けた全漁連は,多面的機能評価等検討委員会を組織して,2001年度の事業では,漁業・漁村の多面的機能についてその具体的内容を明らかにした。2002年度においては,循環型社会の維持,環境の保全,国民の生命財産の保全,保養・交流・学習の場の提供,漁村文化や漁村社会の維持・継承,所得と雇用機会の提供の6つの作業部会を組織して,それぞれの機能の実証と貨幣評価が可能なものについては定量的評価を行う方向で作業が進められている。筆者も「漁村文化や漁村社会の維持・継承」の部会メンバーとして参加している。

漁村宿泊のはじまり
 学校行事として生徒が漁村を訪れるのは,従来は地びき網,定置網などの漁業体験が主体であり,そのほとんどは日帰りであった。しかし,最近では,学校の集団宿泊行事として漁村の民宿に数10人,数100人単位で宿泊するようになった(以下,学校の集団宿泊行事として漁村の民宿に宿泊することを「漁村宿泊」という)。
 各漁業集落における漁村宿泊の体験メニューとして,魚(アジ)の開き,釣,磯遊び,民宿の夫婦との交流会などの共通なものの他に,地区ごとの特色を生かしたもの(定置網,刺網,底びき網などの漁業体験や,カッター訓練やボート・筏遊びなど)が行われている。
 現在の漁村宿泊は,一部に小学校や高校もあるが,多くが中学校によって行われている。中学校の漁村宿泊は,岐阜県の中学校が初めて行ったようである。1980年静岡県南伊豆町にある弓ヶ浜国民休暇村に岐阜県のある中学校が宿泊した際に,同町妻良地区が観光定置を実施していたことから,学校側が定置網体験を要望して実施した。同中学校は,翌年の1981年にも同様に同休暇村へ宿泊して妻良地区の定置網体験を計画した。この計画に対して,当時の妻良観光協会長は,同休暇村ではなく妻良地区の民宿に泊まって欲しい旨要請した。学校側は民宿に生徒が宿泊した時に安全が確保できるかどうかを危惧した。これに対し,同会長は,東京のホテルに泊まっても一つの部屋にボーイが1人つくことはないが,民宿に泊まると少なくとも2人のボーイ(民宿の夫婦)がつくので民宿の方が安全であるとして,学校側へ妻良地区の民宿へ宿泊する了解を取り付けた。これが,全国的に初めての漁村宿泊と思われる。その後,妻良地区は,毎年多数の中学生を受け入れているが,これまで安全面での問題が発生したことはない。
 一方,福井県においては,1988年に小浜市にある国立若狭少年自然の家の予約が取れなかった岐阜県のある中学校から,旅行会社を通して小浜市に隣接している三方町の観光協会に漁村宿泊の要請があった。同町は4つの定置漁村地区を有しており,同町で唯一観光定置を行っている神子地区が,定置網体験を主体とした受入を行った。これが三方町における漁村宿泊の始まりである。その後,同町の小川地区と世久見地区も中学校を受け入れるようになり,この2つの地区は漁村宿泊の時のみ定置網体験を行っている。

中学校における集団宿泊行事の変化
 岐阜県教育委員会が2002年度に実施した体験活動推進(モデル)事業における漁村体験は,「感動体験を通して豊かな心をはぐくむ」ことを目的として,「生徒による企画・運営・評価」,「自然の中で勤労生産体験・奉仕体験」,「仲間とともに集団宿泊体験,地域の人々から学ぶ体験」などを推進している。
 現在,漁村宿泊の実績が多い同県多治見市内における複数の中学校の集団宿泊行事をみると,従来は,1年生が日帰りによる地元の社会学習,2年生はスキー宿泊,3年生は東京宿泊が多かった。しかし,総合的学習への移行が始まった1998年ころから1年生は農業体験(山),2年生は漁業体験(海),3年生は東京宿泊または平和学習(広島県,長崎県)というパターンが多くなった。2002年には県下の中学校198校のうち,少なくとも68校(全体の34%)が,漁村宿泊を実施したと推定される。

受入漁村の増加
 漁村宿泊は,静岡県と福井県の事例からわかるように定置漁村から始まった。定置網体験は,一度に全員が見学できるので,多数の学生を大型船に乗船させることなどにより,比較的低いコストで実施することができる。また,定置網は,沿岸域で大規模な漁具が用いられ大量の水揚げがなされることや,10~20人の漁師による共同作業であることから,集団生活や社会のルールを学ぶことに役立つとして,学校側にも好評であった。
 その後,漁村宿泊が好評になるにつれて,定置漁村以外の漁業集落でも漁村宿泊を行うようになった。妻良地区は宿泊を希望する学校が増加したため全部の中学校を受け入れられなくなったことから,岐阜県のある中学校が,1987年隣りの漁業集落である子浦地区に宿泊した。子浦地区は,1987年と1988年は妻良地区の定置網体験を行ったが,1989からは,子浦地区が地びき網やカッター訓練など独自の体験メニューを作って漁村宿泊を本格的に行うようになった。なお,妻良地区は1996年に定置網の村張り経営が廃業となり,現在は個人経営になったので,中学校を対象とした定置網体験は中止され,その代わりに各民宿が刺網やかご網の漁業体験を行っている。
 上記の漁業集落に共通することは,表1に示したように,総世帯数が100世帯台以下と小規模な地区であり,鉄道の駅からかなり離れた場所に位置している。また,農地が少なく海岸線に沿って漁家が並んでいる,集落の規模が小さいまま維持されているため景観が保全されやすい,自然が残されており風光明媚であるという特徴を有している。
 これらの小規模な漁業集落において漁村宿泊は,1980年代に始まったが,1990年代になると,総世帯数が600世帯台の比較的規模の大きい2つの漁業集落が漁村宿泊も行うようになった。下田市須崎地区は伊豆急下田駅に近接しているため,鉄道の便がよいところである。同地区が漁村宿泊を始めたきっかけは,1993年に妻良地区が受けられなかった岐阜県のある中学校を妻良観光協会の依頼により受け入れたことである。須崎地区の受入中学校は1996年までは少なかったが,1997年以降岐阜県のほかに愛知県の中学校を受け入れるようになって増加した。また,日間賀島は,知多半島の南端の師崎から高速船でわずか10分の島であり,1日に50本の高速船が運行する交通の便の良い都市近郊離島である。同島は,1989年頃からホテルが毎年数校の中学校を受け入れていたが,1998年になって民宿が主体となって漁業体験メニューを充実して漁村宿泊を始めたことによって受入中学校が増加した。これら4市町の漁業集落に訪れた中学校の関係都府県は,2001年には岐阜県の他に,愛知県,静岡県,群馬県,大阪府,神奈川県,長野県,滋賀県,東京都,福井県と増加した。

中学校側の感想
 中学校のある先生は,漁村宿泊に対する期待として,日本古来の文化にどっぷりつかって,歴史の重みや日本人としての誇りを感じ,公共マナーを学んで帰ってくることであると述べている。生徒にとって,漁村宿泊はかなり鮮烈な印象であったようであり,家庭で子供たちがよく話題にすることから,親にも好評のようである。
 生徒の作文などをみると,(1)漁業者が船上で酔わないで,厳しい力仕事をしながら,食料を供給してみんなのために役立っていることを体験したことは,自分たちの職業観の中で役立つ。漁業はたんなる金儲けではないという生き方が感じられた。(2)定置網が早朝4時に出漁することは驚きであった。定置網の操業が集団操業であるので,会社組織への就職においても学ぶものが多い。定置網の重い網をわずかな人数で持ち上げてぐいぐい引っ張る漁師さんは,かっこよかった。(3)これまで刺身嫌いであったが船上で出された刺身を食べて,その後刺身が食べられるようになった。漁師さんが苦労して漁獲しているのがわかった。今後は,好き嫌いをせずに,食べ物を大切にしていきたい。(4)民宿のおばさん,おじさんとの交流会では,漁村での生活の様子や昔話,または苦労話などを聞いたり,昔の遊びで遊んだりしたことで,こんなに人と触れあうことが楽しくて温かいものだとは思わなかった。(5)海が汚れると魚が捕れなくなるなど,環境学習に目覚めてきた。(6)子浦に宿泊したある生徒は,「結局,漁村宿泊は身にしみるほどの道徳の授業だった。歴史や地理よりも人間学を教えてくれた」,などと書いている。

おわりに
 受け入れる集落住民は,漁業者が釣や地びき網等を教え,民宿の夫婦が魚の開きの作り方を指導したり夕食後の交流会で学生たちと話し合いを行うなど,積極的にかかわっている。住民が役割分担をすることにより,住民相互の絆が強まるとともに,学生との交流が住民の大きな励みになっている面もある。
 1981年に南伊豆町で始まった中学校の漁村宿泊は,2001年には,表1に示した4市町で合計2万人近くに達した。漁村宿泊は海のない岐阜県からスタートしたが,その後,海を有する多くの都府県でも行うようになった。漁村宿泊が漁業・漁村がもつ多面的機能のうち,国民の交流・学習の場として有効に機能していることが,全国的に実証されたといえる。
 なお,本調査研究は,農林水産省農林水産技術会議の交付金プロジェクト「農村経済活性化のための地域資源の活用に関する総合研究」の一環として実施したものである。

(経営経済部 主任研究官)

表1.主要な漁業集落における中学校の漁村宿泊の概要(2001年)
県・市町名漁業集落名総世帯数漁家世帯数民宿数受入開始年受入人数
(学校数)
所属中学校の県名
(学校数)
主な漁業体験
福井県三方町神子4633231988年642人(4校)岐阜(4)定置網
小川5734211994年597人(4校)岐阜(4)定置網、釣
世久見3023221991年1070人(7校)岐阜(6)、福井(1)定置網
静岡県南伊豆町妻良13331281981年4453人(15校)静岡(8)、愛知(4)、岐阜(3)刺網、かご網
子浦19435231987年7235人(29校)岐阜(17)、愛知(7)、静岡(4)地びき網
静岡県下田市須崎613112251993年3549人(20校)愛知(15)、岐阜(5)
愛知県南知多町日間賀島636370671998年2375人(19校)岐阜(8)、長野(6)、愛知(2)釣、底びき網
総世帯数と漁家世帯数は、第10次漁業センサス(1998年11月調査)による

Tsutomu Matsuura
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