中央水研ニュースNo.30(2002...平成14年11月発行)掲載

【情報の発信と交流】
ドイツ・ハンブルグ,マックスプランク気象研究所での一年間
小松 幸生

目次
港町ハンブルク
マックスプランク気象研究所
快適な日常生活
渡独の動機
研究成果

 文部科学省宇宙開発関係在外研究員として,平成13年10月15日より1年間の予定でドイツのハンブルクにあるマックスプランク気象研究所に滞在していました。研究テーマは人工衛星のデータを利用した海洋3次元生態系モデルの開発で,同研究所の生物地球化学システム部門の部長を務めるG.P.Brasseur教授のguest scientistとして有意義な研究生活を送っておりました。当地での生活と研究成果の一端を紹介したいと思います。
港町ハンブルク
 研究所のあるハンブルク(Hamburg)は正式にはハンザ同盟都市ハンブルクといい,ドイツを縦断するエルベ川が北海に流れ込む手前の入江にある欧州を代表する港町です。人口は165万人で首都ベルリンに次ぎ,町は港町特有の旅情と活気に満ち,中心にある周囲8kmほどのアルスター湖(Alster)では夏季には多くのヨットが白い帆を浮かべ,重厚な石造りの美しい町並みは何度見ても飽きることがありません。ハンブルクといえばハンバーグ,つまりハンブルク風ステーキがすぐ頭に浮かぶと思います。ハンブルクの主婦が考案したという説がありますが定かではありません。発祥の地だということで,来る前はハンバーグ屋が軒を並べている光景を思い描いていたのですが,米国チェーンのハンバーガー屋が至る所にある一方で,そうした専門店は皆無で,老舗のレストランのメニューに控えめに載っている程度です。ちなみに当地ではフリカデル(Frikadelle,肉団子)といい,到着した日に近所のビアホールで”Hamburg steak, bitte.”と注文したら”Hamburger?”と聞き返され,「いいえ,ハンバーガーのパンの間にあるミンチ状の牛肉でこの町が発祥の料理のことです。」と英語で言うと,「フリカデルのことか。残念ながらうちには置いてない。」といわれ,がっかりした思い出があります。
聖ペトリ教会(St.Petri)の尖塔から市庁舎を臨む。
ハンブルク港と桟橋。
アルスター湖に浮かぶヨット。
マックスプランク気象研究所
 滞在している研究所はマックスプランク協会(Max-Planck-Gesellschaft)の運営する気象研究所です。協会が運営する研究所の分野は自然科学をはじめ社会学,芸術と多岐にわたり,分野ごとに81の研究所がドイツ国内に散在しています。気象研究所は生物地球化学システム部門,気候力学過程部門,物理気候システムの3つの部門で構成され,部門の下には組織としての研究室はなく,主にドイツ政府とEUから資金を得た研究プロジェクトに応じて研究グループが随時編成される流動的組織運営を採っています。現在20の研究グループがあり,各グループにはグループリーダーが1名いて研究の統括をしています。私は生物地球化学システム部門のE.Maier-Reimer博士率いる「海洋循環と地球化学」のグループに所属し,数値シミュレーションによる海洋生態系の研究に取り組んでいます。所員は現在総勢164人で,その内70名が研究者,20人が博士課程の学生,7人のguest scientistがいます。雇用形態は部長など管理職の15人以外は基本的に短期契約で,研究者の場合,プロジェクトに応じて採用,契約の更新が決まるようです。 この研究所には観測部門はなく,専らコンピュータを用いた数値シミュレーションと解析が研究の主体で,各部門にコンピュータの専門家,プログラマーが数名いて,研究の支援を行っています。私もこれらの技術者たちには非常にお世話になり,円滑に研究を遂行することができました。日本の大半の研究所では研究者がこうした技術的な仕事も兼ねているのが現状ですが,研究の集約性と効率性の向上には技術者の存在が不可欠であることを強く感じました。また,宗教的な背景が多分に影響しているためだと思いますが,研究者,技術者,事務員,秘書とそれぞれの役割分担が明確で専門性が高く,職業的自負心が強いことに感心しました。そして,日本では管理職が部下より早く終業する(逆にいえば,部下が管理職より早く終業できない)ことが当然のような風潮がありますが,管理職が深夜まで仕事をしているのには驚きました。研究に加えて管理や各種会議の準備など部下の研究者よりも仕事が多いわけですから当然かもしれません。
マックスプランク気象研究所。
快適な日常生活
 私は毎日メルセデスベンツに乗って研究所に通っていました。といってもバスのことですが,床が低く平らでその上広く,スロープがついていて乳母車や車椅子が容易に昇降できるなど(犬も乗ってきます)非常に優れています。また,運賃箱は最前部の乗車口にあるのですが,ドアの開閉ボタンを押せば中部,後部のドアからも昇降可能で,基本的に検札がないことには驚きました。しようと思えば簡単に無賃乗車(Schwarz Fahren)ができますが,乗客の良心を信頼しているようです。当地で最も感銘を受けたことの一つです。なお,私の知る限りタクシーも大半がメルセデスです。住居は秘書のH. Stadelhoferさんに紹介していただいた文房具屋の3階にある2LDKのフラットです。6畳一間,バストイレ共同の独身寮に起居する身には贅沢過ぎる間取りですが,安アパートは治安の面で不安がありましたので,研究所からバスで10分ほどのこのフラットで快適に暮らしていました。
食事は当たり前のようですが毎食パン(Brot)です。夕食は基本的に自炊で,種類が豊富な缶入りスープ(Suppe)を暖め,ソーセージ(Wurst)をはじめとする肉類を焼いて,パック入りのサラダ(Salat)を添えたメニューを毎日繰り返していますが,不思議にも全く飽きません。金曜日には近所のビアホールで豚肉料理を食べ,スポーツ新聞を読みながら(見ながら)フルーティーな小麦のビール(Weizenbier)を2杯飲むのが唯一の楽しみでした。月曜から金曜日はフラットと研究所を往復するだけの毎日ですが,土,日は市内及び近郊を散策して息抜きをしていました。商店は土曜日は16時に閉まり(平日は20時に閉まる),日曜は駅とガソリンスタンドの売店以外は開いていないので,必然的に買い物は土曜日しかできません。コンビニエンスストアはありません。日本では毎朝夕コンビニを利用していたので当初は不便を感じましたが,今ではコンビニのない生活にすっかり慣れました。それと,商店で感心したのは簡易包装が徹底していることで,買物袋は大抵有償で,また飲料水はほとんどが瓶売りであり,リサイクルならぬリユース(洗浄して再利用)が普及しています。
 欧州は町の公園が広く数も多いことで有名ですが,ハンブルクも例に漏れず,公園の中に町があるような印象を受けます。菩提樹,ポプラ,プラタナスをはじめとした街路樹が町に季節の彩りを添え,緑の中を思索しながら歩いていると時が経つのを忘れてしまいます。公園内はもちろんですが町中を歩いていても快適なのは,歩道が広いことにも一因があります。また,歩道と車道の間に自転車の専用道が設けられているのには驚きました。人口の割に排気ガスが少ないのは,バス,地下鉄(U-Bahn),郊外電車(S-Bahn)と公共の交通網が発達していることに加えて,自転車の利用者が多いことに原因があるようです。早朝のラッシュの排気ガスで目を覚ます生活にまた始まるのかと思うと憂鬱になりました。
ある日の夕食。
Ost-West通りから聖ニコライ(St.Nikolai)を見上げる
渡独の動機
 私の専門は海洋物理学です。口の悪い研究者は流体力学だといいますが,日本の南岸を流れる黒潮域の表層から深層に至る流動と水塊の変動と,これに関連した動植物プランクトンの変動の機構の解明に向けて,調査船による観測を行うとともに,人工衛星のデータと数値シミュレーションを利用した研究を行っています。海洋のシミュレーションは天気予報で使用されている数値モデル(力学過程に則って未来値を数値的に推定する手法)を海洋に応用したもので,海洋を格子で表現し,各格子点での水温,塩分(密度),流速といった物理場を流体力学と熱力学の方程式に従って予測,もしくは推算するものです。しかしながら,海洋はモデル計算の初期値設定に不可欠な観測データが大気に比べて圧倒的に少ないこともあり,例えば黒潮の動向を天気予報のような精度で予測することは現段階では不可能です。そうした中,船舶による観測では不可能だった広範囲の連続的な海洋観測が人工衛星によって可能になり(海面の情報に限られますが),衛星のデータを逐次数値モデルに当てはめてモデル推算値を修正していく衛星データ同化という手法を利用することで最近の海洋モデルの性能は急激に向上しています。ただし,これは海洋物理場を対象としたモデルに限った話で,栄養塩や動植物プランクトンをはじめとする生物地球化学的な場の変動予測はようやく緒についた段階です。
私は平成13年度に終了した農林水産省の現場即応研究「太平洋漁業資源」において,黒潮域の動物プランクトン現存量を予測するモデルの開発を担当し,現実的な生物過程を組み込んだ高解像度の3次元モデルを作成しました。これはおそらく世界で最初の試みだったのですが,境界条件の設定が不十分であることが一因となって,人工衛星や船舶観測で見られるようなプランクトンのパッチ状の水平分布や黒潮フロント(前線)での増強が上手く再現されない欠点がありました。この点を解決するためには適切な境界条件の設定が必要で,そのための有力な手法が前述の衛星データ同化であり黒潮域の境界条件を与える全球規模の数値モデルです。マックスプランク気象研究所は衛星データ同化の優れたノウハウを有しており,またHamburg Ocean Primitive Equation Model (HOPE)という河川と海氷の影響が陽に組み込まれている大循環モデルを開発しています。つまり,短期間で先の問題点を解決したい私にとっては打ってつけの研究所なわけです。そしてこれもこの研究所を選んだ動機の一つなのですが,この研究所には流体力学,海洋物理学,気候学の世界的権威で,欧州の気候問題委員会では先導的な役割を担っているK.Hasselmann教授(G.P.Brasserur教授の前任の部長)がおられるということです。教授が定式化した風波の共鳴相互作用の研究を大学院時代にしていた縁もあり,教授には今回の滞在の便宜を図っていただきました。
研究成果
 快適な研究環境並びに居住環境で未投稿のものも含めて現在までに9編の論文を仕上げることができました。雑用から解放され専ら研究に打ち込めたわけですからむしろ少なすぎるかと感じています。研究の生産性が上がったのはうれしいことですが,それ以上に前述の教授や博士をはじめU.Mikolajewicz博士,M.Latif博士といった優れた研究者と頻繁に議論できる機会を持てたことは今後の研究生活で貴重な財産になると思います。今回の滞在で多くの知見を得ることができましたが,その一部としてデータ同化を利用して高精度化を図った黒潮域の生態系モデルの結果を紹介します。
図1は数値実験の結果の一例で1997年4月1日の外力下にある,水深30mの流速ベクトル(図1a),0-100mの値を積算した硝酸塩濃度(図1b),大型植物プランクトン(珪藻中心,図1c),小型植物プランクトン(珪藻以外,図1d),大型動物プランクトン(大型カイアシ類中心,図1e),小型動物プランクトン(大型カイアシ類以外,図1f)の水平分布です。図に示した時期はちょうど遠州灘沖合(静岡県の南方)でブルーム(植物プランクトンの大増殖)が起こった時で,親潮の流れる東北地方沖合ではまだブルームが起こっていません。黒潮は遠州灘沖で蛇行し,房総半島をかすめて東向きに流路を変え,南に蛇行しながら東進しています。硝酸塩は遠州灘沖と親潮の影響で福島から茨城の沖合で高くなっています。プランクトンは遠州灘沖合と房総半島の東側で高濃度域が見られ,黒潮フロントの北側で増強が顕著であるのが特徴的です。これらの結果は黒潮フロント域のプランクトン現存量を決めるのはその場の生物的増殖よりもむしろ黒潮による上流からの移流効果が顕著に効いていることを示しており,人工衛星の海色データでもこのような分布が捉えられています。動物,植物ともに小型の方が大型よりも現存量が多いのは,現場観測データに基づいて小型の増殖度を大型よりも大きく設定していることが主因であり,各々の現存量変動の時系列を比較しますと,小型は大型に比べて黒潮流路の変動,並びに蛇行や冷暖水塊の形成に伴う栄養塩供給の変動に対して現存量が安定しているという結論を得ました。このことは黒潮域において幼魚期に小型カイアシ類を摂食する冬生まれのサンマの加入量が比較的安定していることの一因かもしれません。ただし,このモデルはパラメータの設定で曖昧な部分が多く,その他未だ多くの問題点を抱えており,今後も精錬を図る必要があります。
 最後になりましたが,今回の外国出張では変動機構研究室前室長の川崎さん,研究員の廣江さん,非常勤職員の山田さんと廣野さん,海洋生産部前部長の友定さん並びに海洋生産部のみなさん,文部科学省宇宙政策課,農林水産省技術会議,水産総合研究センターと中央水産研究所の担当部署の方々に大変お世話になりました。心よりお礼申し上げます。
(海洋生産部 変動機構研究室)

nrifs-info@ml.affrc.go.jp
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