【研究情報】
研究題目「黒潮変動を引き起こす外的要因とその動態の解明」について
瀬藤 聡
はじめに
私は科学技術振興事業団の科学技術特別研究員として平成13年1月1日より中央水産研究所黒潮研究部海洋動態研究室に派遣されております(研究題目は「黒潮変動を引き起こす外的要因とその動態の解明」)。今日は中央水研ニュースの貴重な紙面をお借りして,私の行っている研究の目的と方針,研究課題と結果の一部を紹介したいと思います。ご意見ご指摘等いただければ誠に幸いです。
研究の目的と方針
日本の南方を流れる暖流黒潮は,北太平洋亜熱帯循環の西岸境界流として日本近海のみならず地球規模の気候変動にきわめて重要な役割を果たしています。それだけでなく,この海域はカツオやマグロ等の多獲性浮魚類の好漁場であり,日本の水産資源の最も重要な供給源の一つとして我々日本人の生活に密接に関わっています。これらの観点から,黒潮海域,黒潮変動の動態を正確に把握することは日本人,そして地球人の責務としてきわめて重要であると思われます。
これまで,数多くの黒潮の研究によって,黒潮変動の動態が明らかになってきました。例えば,観測データを用いた研究では,Hasunuma and Yoshida(1978)は黒潮海域の平均的な海面高度を示し(1),小畑 (1993) は黒潮流路と黒潮流量の経年的な変化の関係を明らかに(2),Ichikawa and Imawaki(1992)は黒潮と中規模渦の相互作用について(3),斉藤(1994)は黒潮によって及ぼされる土佐湾の流況変化について(4),秋山 (1994) は黒潮変動と沿岸域の海洋環境の変化について具体的に解明(5)しています。一方,数値モデルを用いた研究では,Yoon and Yasuda(1987)は蛇行の力学(6)を,Sakamoto and Yamagata(1996)は黒潮流量の季節変動について(7),Akitomo et al.(1991)は黒潮の蛇行と沿岸域の関係を明らかに(8),郭ら(2001)は,黒潮変動をより正確に再現するには数値モデルを高解像度化する必要がある(9)ことを示しています。また,近年では観測データと数値モデルを融合するデータ同化という手法を用いることにより黒潮流路変動予報も行われるようになってきています(10)。しかし,大蛇行・小蛇行の発生要因に関わる課題など未解明の課題があること,また,最近10年来行われている四国沖の
大規模係留観測ASUKA(11)や,1992年より運用されている衛星TOPEX/POSEIDONの海面高度計データを用いた精細な黒潮の研究(12)が,新たに興味深い研究課題を生み出しています(13)。「黒潮はどのような要因によって変化するのだろうか?そして,それらの物理的な時空間構造はどのようになっているのだろうか?」これが私が大変興味を持っている課題です。
私の派遣されております黒潮研究部海洋動態研究室では,最新の黒潮域および縁辺沿岸域の現場観測,モニタリング,衛星観測データ等を包括的に用いることによって黒潮域や沿岸域の動態を明らかにし,それらの結論を黒潮変動予報に応用するという研究が行われています。私は,同研究室から全面的な協力を得て「黒潮変動を引き起こす外的要因とその動態の解明」という題目で,次の3つの研究テーマに取り組んでいます。
1. 黒潮変動と外洋・外的要因の関係について
2. 黒潮変動と沿岸域の関係について
3. 黒潮変動予報
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テーマ1では,黒潮が黒潮に変化をもたらす外的な要因とどのように相互作用しているのかに注目しています。黒潮変動の要因は季節的な大気場の変化のみならず,経年的な大気場の変化,ロスビー波,中規模渦との相互作用などが知られており研究されていますが,すべてが解明されているわけではありません。本研究では,地球観測衛星や近年整理されてきた過去の大気海洋観測資料などと数値モデルなどを組み合わせることによって,黒潮に変化をもたらす外的な要因を特定し,両者の関係とその動態を明らかにしたいと考えています。
テーマ2では,日本沿岸域が黒潮変動によってどのように変化するのかに注目しています。黒潮に隣接する大隅海峡,日向灘,豊後水道,土佐湾,紀伊水道などの海域を具体的に取り上げ観測データの解析を行うとともに高解像度の数値モデルを用いることによって,黒潮変動と関連した沿岸海洋環境変動を詳しく解明していく予定です。
テーマ3では,海洋学と社会との最も重要な接点である黒潮変動予報に挑戦したいと考えています。テーマ1の研究で得られる外洋・外的要因と黒潮変動の関係・テーマ2で導き出される黒潮変動と沿岸海洋環境変動の関係に関する知見を,近年の最新の解析技術と組み合わせて用いることによって,黒潮変動および沿岸海域の予報モデルを開発したいと考えています。
研究課題と結果の紹介
具体的な研究課題として以下の5つを取り上げました。
1. 北太平洋および黒潮域の季節変動と経年変動
2. 日本沿岸域の季節変動と経年変動
3. 黒潮流路変動と沿岸域の関係
4. 物理パラメータの推定
5. 海面高度計データと数値モデルを利用した黒潮流路の予報
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以下に個々の研究課題のねらいと結果の一部,今後の課題について述べます。
課題1では,大気変動を外的要因の一つとして捉えています。本課題では大気変動が北太平洋,および黒潮海域に対してどのような影響を及ぼしているのか調べるために,観測データと数値モデルの結果を解析しています。図1は風を強制力とした数値モデルの出力結果で北緯26度における内部境界面(主温度躍層に相当)変位の経年変化を示しています。この変位は概ね東太平洋から西太平洋に向けて進行し,位相速度は約4.8cm/s,アメリカ大陸西岸から4~5年ほどかけて日本近海に到達していることが分かります。これらの特徴から,この変位は傾圧ロスビー波(地球の表面が球面であることに起因する波)であることが推測されます。この数値モデルの出力結果は観測データの解析結果とよく一致しています(図省略),このことは,この海域における海洋変動が主に風強制に応答したものであること,また,現在の風速(大気)場の状態が分かれば4~5年後の日本近海の海洋環境を理解できる可能性があることを示唆しています(14)。
課題2は,高解像度数値モデルを用い,沿岸海洋環境現象を具体的に解明しようという取り組みです。成層期・非成層期における沿岸域への流れの侵入度合の違い,エルニーニョ現象等の異常気象に伴う成層構造の変化,急潮の発生メカニズム,黒潮暖水舌の挙動,瀬戸内海の温暖化(15)などの課題について,観測データの解析だけでは不足する点を数値モデルで補いながら解明したいと考えています(結果省略)。
課題3は,黒潮流路が変動することによって沿岸域の流況がどのように変化するのかを数値実験によって調べようという試みです。図2は,数値モデルによって平均的な黒潮の状態を再現し,そこに外的要因として渦を浮かべ,その後,黒潮や沿岸域がどのように変化していくのかを観察した数値実験の結果です。まず,北緯28度東経135度付近に高気圧性の地衡流渦を浮かべました。渦はゆっくりと西に進み,30日後に図2(上)の位置に到達しました(図2上は海面高度, 図2下は,図2上の土佐湾付近を拡大し同湾内のみ流速ベクトルを重ねて示している)。この渦は九州南東沖から四国西部にかけて黒潮を外洋側に剥離します(図2上)。この時,黒潮の一部は土佐湾内に侵入し,湾内に反時計回りの強い流れを形成しました(図2下)。以降,この渦は黒潮の南縁側を東進し,四国沖で黒潮を離岸,紀伊半島南西沖で黒潮を大きく蛇行させ沿岸域の流れを大きく変化させました(図省略)。このように現象を典型化し,さらに実験事例を多くすることで,黒潮変動と沿岸域の流れの関係を明確に整理出来るのではないか,と考えています。
課題4は,数値モデルにおける物理パラメータをデータ同化の手法によって推定しようという試みです。比較的簡単な数値モデルでは,物理パラメータ(例えば逓減重力加速度や鉛直拡散係数など)は定数として取り扱われることが多いのですが,課題1のような時空間的に大きな現象を取り扱うときは,この物理パラメータの定数化による誤差が数値モデルの時間発展とともに無視できなくなるほど大きくなることがあります。そこで本課題では,このような誤差を軽減し数値モデルを高精度化するために,データ同化という手法によって物理パラメータを合理的に推定することを目的としています。本課題の結果は,課題1のような比較的長い周期の変動を扱う研究や課題5のような予報モデルの精度向上にきわめて大きく貢献すると思われます(結果省略)。
課題5は,観測データと数値モデルを組み合わせて黒潮流路変動予報を行おうという取り組みです。図3は衛星海面高度計TOPEX/POSEIDON・ERSの2001年1月初旬の海面高度データを初期値とした予報モデルによって2ヶ月後の黒潮流路の予報を試み,その海面高度を描いたものです(流れは海面高度の等値線にほぼ平行で,高い方向を右にみて正面方向に向かう)。この予報結果によると2001年1月初旬に蛇行の遷移的な状態にあった黒潮流路(図3上)が,2ヶ月後にB型とC型の中間的な流路に変化していました(図3下)。この結果を海上保安庁水路部発行の海洋速報と比べると良く一致している点も見られますが,蛇行が強く現れないなどの不一致点も見られ,社会的要請を満たすには十分ではありません。今後は物理パラメータや初期値の改善を行って数値モデルの精度を向上させるとともに,課題3の手法と組み合わせることで,沿岸の流況予報モデルも構築したいと考えています。
おわりに
現在,大変興味を持っていることは課題1で見いだされたような波動が海山と相互作用し,複雑な振る舞いをすることです。瀬藤ら(2001)はロスビー波の強度が海山の付近で強化されること(14),田中ら(2001)はロスビー波が伊豆海嶺などと干渉することでモード変換をすることを見いだしました(16)。波動や流れが海山や海底斜面と相互作用してどのように変化するのかという問題は,黒潮に変化を引き起こす要因として無視できないものであり,課題1,課題2を補完する重要な課題として今後取り組みたいと考えています。
謝辞
黒潮研究部入江隆彦部長には本研究を進めるにあたり懇切丁寧なご助言を頂いております。同部海洋動態研究室秋山秀樹室長には研究の方向性から細部に至るまで常に適切なご指導を頂いております。同部海洋動態研究室斉藤勉主任研究官には問題提起から理論に至態研究室斉藤勉主任研究官には問題提起から理論に至るまでご指摘ご意見を頂いております。深く感謝申し上げます。また,このような機会を与えていただいた中央水産研究所企画連絡科岸田達科長,同所企画連絡室情報係半田広生係長,黒潮研究部資源生態研究室本多仁室長,本原稿に有益なご指摘を頂いた編集委員の皆様方,常日頃から暖かく見守っていただいている黒潮研究部,中央水産研究所の皆様方には深く感謝申し上げます。本研究の計算は農林水産研究計算センターの計算機を利用させていただいております。同センターの西田様,古野様をはじめ全スタッフの皆様方にはこの場を借りて深く感謝申し上げます。
(黒潮研究部 科学技術振興事業団科学技術特別研究員)
引用文献 |
(1) | Hasunuma, K. and K. Yoshida: Splitting of the subtropical gyre in the western North Pacific. J. Phys. Oceanogr. , 21, 610-619, 1978. |
(2) | 小畑淳: 本州南方に於ける黒潮の流量と流路の関係. 平成3年度黒潮の開発利用調査研究成果報告書, 44-55, 1993. |
(3) | Ichikawa, K. and S. Imawaki: Fluctuation of the Sea Surface Dynamic Topography Southeast of Japan as Estimated from Seasat Altimetry Data. J. Oceanog. , 48, 155-177, 1992. |
(4) | 斉藤勉: 黒潮が土佐湾の流況に及ぼす影響. 月刊海洋, 293, 715-719, 1994. |
(5) | 秋山秀樹: 九州南・東岸域に出現する黒潮暖水舌の動態. 月刊海洋, 293, 689-697, 1994. |
(6) | Yoon, J.-H. and I. Yasuda: Dynamics of the Kuroshio large meander: Two layer model. J. Phys. Oceanogr. , 17, 66-81, 1987. |
(7) | Sakamoto, T. and T. Yamagata: Seasonal transport variation of the wind-driven ocean circulation in a two-layer planetary geostrophic model with a continental slope. J. Mar. Res. , 54, 261-284. |
(8) | Akitomo, K. , T. Awaji and N. Imasato: Kuroshio path variation south of Japan. 1 Barotropic inflow-outflow model. J. Geophys. Res. , 96, 2549-2560, 1991. |
(9) | 郭新宇,升本順夫,山形俊男,宮沢泰正,福田久: モデルの解像度と黒潮の再現性, 2001年度日本海洋学会春季大会講演要旨集, 2001. |
(10) | 淡路敏之, 小守信正, 倉賀野連, 石川洋一, 秋友和典, 市川香, 中村啓彦: 黒潮の流路変動の1ヶ月予測, 月刊海洋, 32, 521-528, 2000. |
(11) | Imawaki, S. , H. Uchida, H. Ichikawa, M. Fukasawa, S. Umatani and ASUKA Group; Time series of the Kuroshio transport derived from field observations and altimetry data, Intl. WOCE Newsletter, 25, 15-18, 1997. |
(12) | Ichikawa, K. : Variation of the Kuroshio in the Tokara Strait induced by meso-scale eddies, J. Oceanogr. , 57, 55-61, 2000. |
(13) | 内田裕, 今脇資郎, 馬谷紳一郎, 鹿島基彦, 市川洋, 中村啓彦: 日本南岸の黒潮の観測, 月刊海洋, 32, 496-503, 2000. |
(14) | 瀬藤聡, 和方吉信, 斉藤勉, 秋山秀樹: 風成循環による北太平洋の経年変動, 2001年度日本海洋学会秋季大会講演要旨集, 2001. |
(15) | 宇野奈津子,秋山秀樹,斉藤勉,瀬藤聡: 愛媛県海域に於ける水温・塩分の長期変動傾向について. 第31回南海・瀬戸内海洋調査技術連絡会議事録, 2001. |
(16) | 田中潔,池田元美,升本順夫: 大気変動によって作られる黒潮流量の経年変動 -伊豆海嶺,シャツキーライズによる海底地形効果-, 2001年度日本海洋学会秋季大会講演要旨集, 2001. |
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