中央水産研究所
中央水研ニュースNo.27(2001(H13).11発行)掲載

【情報の発信と交流】
研究室紹介-黒潮研究部資源評価研究室
三谷卓美

 資源評価研究室の担当する課題について,その端緒を中心に紹介する。  まず研究として,1.水産資源の持続的利用のための調査研究の高度化,が大きな課題で,このうち経常研究 として(1)黒潮域における主要水産資源について「イワシ類等主要浮魚類の加入量変動の把握」を課題として いる。また,(2)水産資源の加入量決定機構の解明について「太平洋岸南部におけるマアジ稚幼魚の加入過程 の把握」を担当している。(2)の課題は(1)の課題から摘出されたプロジェクト研究である。
 「イワシ類等主要浮魚類の加入量変動の把握」の端緒は,浮魚類の産卵状況調査に求められる。これに先立 つ体系的な取り組みとして,昭和26年から和歌山から鹿児島までの各県と実施した,魚群調査と産卵稚仔調査 を主体とした沿岸資源に関する協同調査は特筆に値する。この魚探調査の定線が漁海況の沿岸定線に引き継が れている。調査の設計には標本論や推計学が生かされた。当時,現在の当研究室の前身である南海区水産研究 所沿岸資源部が設置されていた延岡市の旭化成(株)において品質管理を指導した北川敏男が,山本忠の漁獲 統計標本調査法を校閲し,浅見がデミングの講演を聴講し,横田が推計統計学の導入について猛烈に勉強した とされるのはこの頃であろう。この課題は研究室の共通課題として取り組み,イワシ類等主要浮魚類の産卵, 初期成育の場である黒潮域において,卵・仔稚・幼魚各期の分布実態を明らかにし,産卵量や海洋環境の変動 等と加入量変動との関連についても検討するなど,加入量変動の実態解明に取り組み,加入量変動の予測の精 度向上に資することとしている。
 「太平洋岸南部におけるマアジ稚幼魚の加入過程の把握」は,昭和40年代前半に数次にわたって実施された 「俊鷹丸による台湾東方~四国南方海域の海洋環境と水産資源の分布消長に関する調査航海」の資料に,大き な影響を受けている。この課題は,マアジの西日本太平洋岸における輸送過程を把握するために,仔稚魚の分 布実態に即した調査手法を確立して,発育段階別の分布や移動特性を把握することを目的としている。
 次に社会貢献としては,2.我が国周辺水域における漁業資源の適切な保存・管理の推進,が大きな課題で, (1)「資源評価調査事業」と(2)「沿岸沖合漁業漁況海況予報事業」を実施している。
「資源評価調査事業」は ,水産資源の状況や動向予測のより的確な把握に努め,その保存・管理に関する施策の実施に必要な基礎資料 を整備するため,調査,資源評価,データの蓄積等を行うことが目的である。これは戦後の鰮資源協同調査, 沿岸資源協同調査,我が国200カイリ内漁業資源調査等の後継の調査事業であり,都県の水産試験場等と連携 して実施している。昨年,国立の水産研究所創立100周年を迎えたが,中央ブロック各都県の水産試験場等も 100年を越える歴史を持つところが多い。ここでは明治期まで遡って,水産資源管理のための調査について国 と県との連携をみて,参考としたい。
 愛知県水産試験場の水産試験場創立百周年記念誌にはその創設について以下のような記事がある。「打瀬網 の有害無害の論争が激しくなった。当時は水産知識が幼稚であったため明快な解決を下すことができず・・・ 愛知,三重,静岡の3県協定により3ヶ年間の禁止が決定され・・・布告されたが,しかし実際には打瀬網は益々増加し ・・・さらに2年の延期を諮ったところ,静岡県は賛成したが三重県は反対し・・・明治25年2月,知事は農商務大臣に 対して打瀬網漁業の実態調査を依頼した。来県した技術官は直ちに各地を調査したが,両者間の情勢険悪で黒 白を決することができず,『利害相半ばす』という曖昧な結論となった。このようなことから県下独自の水産 試験場を持つことの必要性が痛感された。明治27年(1984)に全国府県に先駆けて県営の水産試験場が設立さ れたが,それには以上のような経緯があったのである。」この経緯については,農商務省にあり後に水産講習 所長となった下啓助は回顧録の中に次のように記している。「特にやかましかったのは大阪府と和歌山県,愛 知県と三重県の問題である。・・・間を採って(大阪府が和歌山県に支払う1隻当たりの入漁料は)7円位で落着し たのであった。三重県と愛知県はなかなかに話がつかないので,岸上君が出張して,伊勢湾の調査をなし,そ の結果区域を限り三重県の沿岸を禁止して尚蕃殖上の調査をするとの条件で治まりが付いたがこの時岸上君が 勧めて愛知県に水産試験場を越し,同君の推薦で・・・。これが我国最初の水産試験場で同県に養殖業が起ったの は勿怪の仕合せであった。
現在,国の施策である資源回復計画等に伴い広域漁業調整委員会や地域や漁業種 類の漁業者協議会が設置されている。資源状況や管理方策の説明をさせて頂く機会も増えよう。ここで来県し た技術官岸上君とは,サンゴや浮魚類の分類等で現在でもたびたび引用される岸上鎌吉である。
 (2)「沿岸沖合漁業漁況海況予報事業」の目的は,我が国周辺水域における水産資源の合理的利用,漁業経 営の安定及び操業の効率化に資するため,沿岸,沖合漁業に関する漁況海況の長期予報を行うことであるが, その初期に既に次のような構想があった。
 下啓助は同じ回顧録で中央水産試験場を説明し次のように記している。「水産試験場が独立してより海洋調 査の一として海洋の等温線図として表面と百米層を表わし,等比重線図として表面と海底比重を示せるものを 時々発行し且つ此の表には鰹,鮪等の回遊魚と鱈,鱈場蟹の如き海底魚の漁況を付記してあるが此種調査にし て将来大いに発達せば精確なる漁況の予測も出来て漁人の利益も大なるべく若し之を放送局に依って全国漁村 に周知せしめば漁業気象の放送が漁船に多大なる注意を喚起する好果あるべきを信ず次第である。」
 宇田道隆らがまとめた「水産海洋観測改善に関する研究」の中で,横田は暖流系沿岸回遊魚の資源研究に必 要な海域として20゚N以北,120゚E以東の海域を挙げ,12月から4月に流速と流量,水温,塩分の鉛直,水平分布 ,潮目の状況を調査項目とする必要があるとしている。このような具体的な海域と流量,流速,そして潮目の 状況を観測すべきと挙げている研究者は限られている。
この念願が本人の死後に,「俊鷹丸による台湾東方~ 四国南方海域の海洋環境と水産資源の分布消長に関する調査航海」として実現したと言える。なお,水産海洋 研究という用語が何時頃から国内で使用されるようになったか話題となるが,水産海洋観測あるいは水産海洋 調査から水産海洋という言葉が生まれたと解するのはうがった見方だろうか。

(黒潮研究部 資源評価研究室長)

参考文献
愛知県水産試験場(1994):水産試験場創立百周年記念誌
下 啓助(1932):明治大正水産回顧録.東京水産新聞社
宇田道隆他(1958):水産海洋観測改善に関する研究.農林畜水産業関係応用科学研究費による研究報告書
和歌山県水産試験場・徳島県水産試験場・高知県水産試験場・愛媛県水産試験場・大分県水産試験場・ 鹿児島県水産試験場・宮崎県沿岸漁業指導所・南海区水産研究所沿岸資源部(1962):沿岸資源研究10ヶ年経過報 告昭和26から35年.
山本 忠(1954):漁獲統計標本調査法.農林水産統計協会


Takuya MItani
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