黒潮研究部では,平成10年度の機構改革によって中央水研所属となる以前(南西水研外海資源部
および外海調査研究部時代)から,土佐湾において調査船こたか丸によるトロール調査を行ってきた。こ
の調査の成果は,日本水産資源保護協会発行の「九州-パラオ海嶺ならびに土佐湾の魚類」や「日本陸
棚周辺シリーズ」など7冊の図鑑を始め,底魚類の群集構造や生活史の解明に関する論文として公表さ
れている。また,巻貝の一種であるエゾバイ科のコタカエゾボラNeptunea kotakamaruaeは,こたか丸
によって土佐湾で採集された標本を用いて記載された。動物相や新種の記載に関する業績の多くは,大
学などに在籍する分類学者との共同研究によるものである。水産研究所では重要水産資源の生態把握や
資源量解析が重要な責務となっており,動物地理学や系統分類学の研究のために割ける時間や人員には
限りがあるからである。
一方,国立科学博物館(以下,「科博」)動物研究部は我が国における系統分類学の拠点であり,海
洋生物の分野においても専門の研究者を擁している。しかし,科博では水産研究所のように自前の調査
船を持たないため,深海における調査を行う場合には漁船の用船や調査船への便乗などにより標本の採
集を行ってきた。平成5年度から立ち上がった深海動物相に関する科博プロジェクト研究においても,
前期(平成5~8年度)の駿河湾における調査では地元の底びき網漁船の用船により標本の採集を行っ
た。そこで,科博プロジェクト中期(平成9~12年度)の調査海域である土佐湾では,トロール調査
が可能な調査船こたか丸を有し,土佐湾の生物相調査に実績のある黒潮研究部(当時は南西水研外海調
査研究部)に対して共同研究の提案がなされた。このような経緯で,中央水産研究所黒潮研究部と国立
科学博物館動物研究部との共同研究による「土佐湾における深海性動物相の解明」が始まったのである。
調査はこたか丸によるオッタートロールを用いて(図1),土佐湾中央部の水深100~800mの
水域で行われた。調査開始当初は,我々が底びき型幼魚ネットと呼んでいるコッドエンドの目合い2mm
の小型のネットを用いた。土佐湾では水深が深くなるほど底質は泥深くなるため,水深500m以上の
調査点では大量の泥が入網し,その重量のためにネットが破損してしまったこともあった。しかし,そ
のような深海の泥中には珍しい小型ベントスが生息しており,貝類や多毛類の分類学者にとっては宝の
山である。特に微少貝類を専門とする科博の長谷川和範博士は,それまでの船酔いはどこへやら,一心
不乱に船上の泥の山に取り組んでいた。一方,沈木や二枚貝の貝殻には珍しいヒザラガイが付着してい
ることがあるので,これを専門とする科博の斎藤 寛博士が丁寧に採集していた。このように,これま
でのような水研独自の底びき網調査ではかえりみられなかった泥や沈木までが調査の対象となった。
魚類など比較的大型の生物を目的とする研究者にとって,泥や貝殻が大量入網すると標本が傷んだり
,標本の採集量が少なくなるなど不都合な面が多い。また,たびたびネットが破損していては調査の実
行自体に支障をきたす。そこで,底びき型幼魚ネットよりやや大型で目合いが粗く網糸の太い丈夫な深
海型底びきネットを作成し,平成10年度途中から使用した。これにより,泥の大量入網がほとんどな
くなり,500m以上の水深における魚類の採集に大きな成果をあげた。
調査の結果は,科博から2001年3月に出版されたDeep-Sea Fauna and Pollution in Tosa Bay.
National Museum Monographs,20に掲載の13本の論文にまとめられた。黒潮研究部の研究者は,調査
の概要,刺胞動物,エビ類,魚類および魚類群集の5つの論文の執筆を単著または共著で担当している
。土佐湾で確認された種数は,ほとんどの分類群において駿河湾で確認された種数を上回り,いくつか
の新種も記載されている。また,深海生物は色彩情報に乏しいことが多いが,この報告では新鮮標本の
カラー図版が数多く示されている。図2に示したのはクボイシエビSicyonia trancata (Kubo, 1949)で
,これまでその色彩は知られていなかった。本研究で採集された標本は科博および黒潮研究部に保管さ
れ,今後の分類学や動物地理学の研究に使用される。さらなる成果をご期待いただきたい。
土佐湾には未だに多くの未知の生物が生息していると考えられるが,前述のように,水産研究所では
動物地理学や系統分類学の研究のために割ける時間や人員はわずかである。しかし,黒潮研究部資源生
態研究室では,今回の科博との共同研究の経験やそこで培ったネットワーク,それに黒潮の影響の強い
土佐湾をフィールドにできるという立地条件を生かし,今後も地道な研究を続けていきたいと考えてい
る。水産研究所には,国連海洋法条約に示された自国の200海里水域内の生物相の把握はもちろんの
こと,生物多様性条約に示された種多様性の保護に関しても海洋生物分野における貢献が求められてお
り,それが研究所としての責務と考える。
最後に,総トン数59トンという小型の調査船こたか丸を用いて,水深800mの海底においてオッ
タートロールを曳網するという困難な調査が無事完遂できたことは,乗組員の方々の貢献によるもので
す。中尾律雄船長(平成9,10年度),本間盛一船長(11年度),栃山光彦船長(12年度),深
川博之機関長,竹井義治甲板長(9~11年度),松元文行甲板長(12年度),鷹架亘甲板員(9,
10年度),亀澤誠甲板員(11,12年度)に心から感謝いたします。
(黒潮研究部資源生態研究室主任研究官)
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