魚を使って,アポトーシス(自己細胞死,プログラム細胞死)の研究を進めている。アポトー
シスは,熱や放射線などのストレスやシグナル分子の刺激によって細胞が死に至る機構である。
不要な細胞や障害のある細胞が死ぬ(細胞を殺す)ことにより,組織や生体を守る生体防御機能
であると考えられている。
ゼブラフィッシュ胚を用いるアポトーシスの研究はハーバード大医学部の貴志周司博士(当時,
JT基礎医薬研究所)との共同研究から始まる。老化と寿命の機構を解き,不老長寿の夢の薬を
創る?のが目標だったが,とりあえず胚のアポトーシスを調べることから始めた。細胞の刺激物
質であるセラミドを培地に添加すると動物の培養細胞は,アポトーシスが誘導された。このセラ
ミドで魚類胚を処理すると,アポトーシスが生じて膜ひれが溶け,目が小型化し,脊索が屈曲す
ることがわかった。そのころ,ニワトリの足の指にある水かきの形成過程にアポトーシスが関与
するという論文が発表されたばかりであった(1)。魚にも
同じ機構があるに違いない。個体の発生,変態,性分化,老化,寿命など生命科学のビッグ
テーマを展開するには,魚は格好の材料である。
初期発生
従来のアポトーシス研究では哺乳類の培養細胞系を材料として,培地へのシグナル物質や阻害
剤の添加によってアポトーシスを調べるという手法がとられてきた。魚類胚もマイクロプレート
で培養できるという利点があり,セラミドやストレス処理によってアポトーシスが誘導されるの
を観察できる。断片化したDNAを蛍光標識して死細胞を染色するTUNEL法によって,胚のアポトー
シス細胞を特異的に染色し,アポトーシスの発現を可視化することできるようになった。熱や放
射線などのストレスによってスフィンゴミエリナーゼが活性化されることによって,膜脂質スフ
ィンゴミエリンからセラミドが生成される。ゼブラフィッシュの場合,培養温度の上昇やガンマ
線・紫外線の照射でも,セラミドの場合と同様の形態形成異常とアポトーシスが認められた
(2)。
プロテアーゼであるカスパーゼの不活性前駆体が限定的に分解されて,活性型の酵素が生じ,
それが他のタンパク分子をさらに分解するカスケード反応経路が核DNAの断片化を促すことが推
定された(3)。
その結果,ストレス→セラミド→カスパーゼ→核DNA断片化→アポトーシス→形態変化・異常,の
図式が明らかとなった。東水大連携大学院生の藪健史君(現在,京大医学部)が魚類胚を使
ってセラミドとカスパーゼを介するアポトーシスの発現機構を生体レベルで解明し,今春,学位
論文と学会誌の論文としてまとめたところである(2-4)。
発生の過程でのアポトーシスは,分化して役割を終えた細胞やストレスの障害を受けた細胞が
死んでいき,除去されるシステムとして作用しているのだろう。しかし,セラミドのシグナルを
認識する分子やカスパーゼの標的タンパク質もまだ見つかっておらず,まだ,多くの課題が
残されている。
熱ショックタンパク質は死のシグナル?
熱ショックタンパク質(heat shock protein, HSP; ストレスタンパク質)は,ストレスが生
じた細胞内で特異的に合成され,タンパク合成や細胞内輸送を補助する分子として働くと考えら
ているが,これまでの研究例は,大腸菌と酵母がほとんどで,高等動物での役割はほとんどわか
っていない。分子量70kのHSP70は酵母では熱耐性に関与するが,魚類の環境耐性との関係は
あるのだろうか。それを解明するために,HSP70遺伝子を導入してこの分子を過剰に発現する
形質転換モデル魚(トランスジェニック魚)を作製し,HSP70とストレス耐性との関係を明ら
かにした。重点研究支援協力員の北条弥作子さんが多数のゼブラフィッシュの系統を作って,HSP70
の発生における作用を調べた結果,HSP70を過剰に発現する胚ではアポトーシスが誘導された
。HSP70によるアポトーシスは体節形成期にとくに頭部で強く生じ,顎の欠損や目の小型化な
どの形態異常の原因となることがわかった。
高レベルのHSP70が形態形成因子を誘導した結果
,発生分化の時・空間的パターンに異常が生じて,過剰なアポトーシスのシグナルが生じたため
だと考えられる。これとは逆に,HSP70とそれ以外のHSPsの発現を誘導する転写因子HSFを過剰
に発現するゼブラフィッシュではストレス耐性が高まるので,別タイプのHSPがストレス耐性を
もたらすことがわかり,ストレス耐性魚を作ることもできた。この画期的な成果は,数編の論文
と特許として発表する予定である(5)。
性分化と性転換
生殖腺の分化とアポトーシスの関係も重要なテーマである。ヒトの性はXとYの性染色体の組み
合わせによって遺伝的に厳密に決定されるが,魚類の性は遺伝的な機構だけでなく,水温やホル
モンなど環境の影響によって性分化が大きく左右され,性転換が生じるが,それは魚種ごとに違
っており,その機構はほとんど解っていない。横浜市大院生の内田大介君は魚の性転換には卵細
胞のアポトーシスによって生じることを発見し,学位論文を執筆中である。ゼブラフィッシュは
,稚魚期は雌雄ともに卵細胞をもつメス型の生殖腺をもつ性分化パターンを示すが,オスでは,
性分化期に卵細胞がアポトーシスを起こして消失するとともに,未分化生殖細胞から精巣が形成
される。魚類は高温や酸性などストレス条件で,本来遺伝的にメスであるはずの個体がオス化す
る現象が知られているが,この性転換の機構として,ストレスによって卵細胞のアポトーシスが
誘導され,生殖腺が精巣に分化することがわかってきた(6)。
南米産の養殖魚ペヘレイも稚魚期の環境水温で雌雄が決まり,28℃だとすべてがオスに,
20℃以下だとすべてメスになる。東水大連携大学院のブラジル人留学生ラウロ・サトル・
イトウ君はペヘレイを高水温に置いた時,生殖細胞のアポトーシスが不妊化の原因になることを
つきとめた(7)。環境水温の変化は,アポトーシスを誘導し,
性分化を促す。性転換や性比の変化は,種苗生産の技術開発や地球温暖化に伴う生態系の変遷にも
影響する重要な課題である。未分化の生殖腺は培養や生化学的な分析が難しく,組織学的な
実験手法に頼らざるをえないが,生殖腺特有のアポトーシスの分子機構を解明するため,
分子生物学的な手法でこの壁を打ち破ろうと考えている。
魚肉の死後変化と軟化
活魚を刺身にしたときの肉のこりこりした硬さは,冷蔵中に変化し,柔らかくなっていく。こ
の原因は筋細胞を構成する繊維状のタンパク質が酵素作用で分解されるために生じることが推定
される。石田典子主任研究官は,活魚に酵素阻害剤を潅流投与する手法を開発し,死後の肉質軟
化とプロテアーゼとの関係を調べた結果,ティラピアではセリン型酵素とカスパーゼが軟化に関
与することを明らかにした(8)。死後,筋細胞がアポトーシスを起こして死んでいく過程で,筋
肉タンパク質を分解する酵素が細胞内外に放出され,筋細胞の構造が崩壊して軟化するのだろう
。アポトーシスに関わる誘導剤や阻害剤を水産物からスクリーニングすることも試みている。今
後,食品,医薬品,餌料などに利用できる夢の薬の開発を目指していきたい。
(加工流通部加工技術研究室長)
- 引用文献
(1) |
H. Zou and L. Niswander: Requirement for BMP signaling in interdigital
apoptosis and scale formation. Science, 272, 738-741 (1996).
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(2) |
T. Yabu, S. Todoriki, and M. Yamashita: Stress-induced apoptosis by heat shock,
UV and gamma-ray irradiation in zebrafish embryos detected by increased caspase activity
and whole mount TUNEL staining. Fisheries Sci., 67, 333-340 (2001).
|
(3) |
T. Yabu, T. Okazaki, and M. Yamashita: Characterization of zebrafish caspase-3
and induction of apoptosis through ceramide generation in fish FHM cells and
zebrafishembryo. Biochem. J. (投稿準備中).
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(4) |
T. Yabu, Y. Ishibashi, and M. Yamashita: Apoptosis in the larval embryos of
Japanese flounder. Fisheries Sci. (投稿準備中).
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(5) |
北条弥作子・山下倫明:ゼブラフィッシュ胚におけるストレスタンパク質HSP70の役割.
マリンバイオテクノロジー学会講演要旨(2001).
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(6) |
内田大介・山下倫明・北野健・井口泰泉:ゼブラフィッシュの性分化過程における
卵母細胞のアポトーシス. マリンバイオテクノロジー学会講演要旨(2001).
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(7) |
L. S. イトウ・C. ストルスマン・山下倫明:ペヘレイの高温処理に伴う生殖細胞の消失.
平成13年度日本水産学会春季大会講演要旨 (2001).
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(8) |
石田典子・古泉直子・山下倫明:プロテアーゼ阻害剤潅流投与による肉質軟化の抑制効果.
平成12年度日本水産学会秋季大会講演要旨 (2000).
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