【研究情報】
霞ヶ浦・北浦における帆びき網漁にみる漁村アメニティの評価
玉置泰司

はじめに
アメニティ(amenity)という言葉は、最近耳にすることも多くなりましたが、人々の心に「心 地よさ」、「楽しさ」、「快適さ」等を感じさせるものを意味する英語です。OECD(経済協力開発機 構)の農山漁村地域開発プログラムにおいて、農山漁村のアメニティを地域資源としてどう利用するか検 討することとなり、農林水産省としても積極的に関わることになりました。農村アメニティ3事例と漁村 アメニティ1事例を報告することとなり、漁村アメニティの事例研究を担当することになった次第です。
 漁村アメニティとしてどのようなものが心に浮かぶでしょうか。漁村の伝統的町並み、伝統的漁法、漁 村特有のお祭りなど、各地で色々なものがアメニティを供給していますが、今回は特に伝統的漁法に焦点 を絞りました。我が国の漁村においては、先人の知恵により魚介類の習性や自然条件を巧みに利用して独 特な漁労技術が発達し、漁民の暮らしを支えてきました。ここで紹介する茨城県の霞ヶ浦・北浦で行われ ている伝統的漁法「帆びき網漁」は、独特な操業風景が湖岸の景観と一体となり、有する歴史・文化とと もに、独特のアメニティを形成しています。

1.アメニティの特質
 このアメニティは、湖畔を訪れる不特定多数の方々が平等に享受でき、しかも対価を支払わなかった者 でもアメニティの利用を排除されない性質(「非排除性」)を持ちます。さらに、ある者が帆びき網漁の 風景を眺めている際に、他の者が眺めることができないという競合的な性質もなく(「非競合性」)、本 アメニティは公共財的性質を有しています。ただし、霞ヶ浦では、操業中の帆びき網漁船を湖面で間近に 見学できるように随伴船を運航しており、乗船料を支払った乗船者は、随伴船の上から帆びき網漁船の操 業風景を間近で見学することが出来ます。この随伴船への乗船は対価を支払った者だけができるので、「 排除性」を持っています。さらに、本アメニティが一度途絶えた場合、復活が非常に困難であり、「非可 逆性」を持ちます。1968年に霞ヶ浦で途絶えてから3年後に復活できたのは、アメニティを構成する要素 が完全に消滅していたわけではなく、漁船・漁具や漁労技術を有する漁業者、さらには湖そのものが残っ ていたから、関係者の努力により復活できたのでした。

2.アメニティ維持のための政策の導入
霞ヶ浦の帆びき網漁は、1965年頃からエンジン装備の漁船によるトロール漁法が始まるとともに、急速 に姿を消していき、1968年には霞ヶ浦の帆びき網漁の漁労活動はとだえました。このことに対して地域住 民や漁業者より、長年にわたり親しまれていたアメニティをなんとかして復活・保存したいとの話があが り、自治体や地域住民等による検討の結果、そのための経費を漁獲以外に市町村の交付金、随伴船乗船料 収入等に求めることとして、1971年に出島村(現霞ヶ浦町)で漁労活動が再開されました。つづいて、1986年 に霞ヶ浦の土浦市、1991年に北浦の潮来町で再開され、さらに霞ヶ浦の玉造町では1994年に漁協に対 し帆びき網漁船の新船建造費の補助を行ったうえで漁労活動を再開しました。その後、1995年には北浦の 大野村(現鹿嶋市)でも帆びき網船の漁労活動を再開し、現在霞ヶ浦・北浦では5隻の帆びき網船が就航 しています。

3.アメニティの価値付け評価
 本アメニティはこれまで経済評価されたことはありませんでしたが、今回二つの手法によって数量的な 評価を試みました。第一には霞ヶ浦の随伴船乗船者を対象としたTCM(Travel Cost Methodの略、旅行 費用法)手法による「使用価値」(直接利用することによって得られる効用)の経済評価で、第二には地 域住民を対象としたCVM(Contingent Valuation Methodの略、仮想評価法)手法による「非使用価値」 (直接利用しなくても得られる効用)を中心とした経済評価です。

(1)帆びき網漁を見学に来ている人の使用価値の評価
 陸上からの見学者数等の統計はありませんが、帆びき網漁の見学のために随伴船を就航させている出島 村と玉造町については、乗船者名簿から見学者の人数、住所等が把握できます。そこで、今回随伴船乗船 者の使用価値をTCM手法を用いて評価することを試みました。この結果随伴船乗船者の使用価値として 、出島村で289万円、玉造町で475万円が試算値として推計されました。これらの金額は、両町村の年間支 出額(各130万円)を上回るものでした。
(2)地域住民の非使用価値を中心とした評価
 帆びき網漁を実施している出島村、玉造町、鹿嶋市、潮来町の協力を得て行った地域住民へのアンケー ト調査(1996年12月に実施)の中で、アメニティ保存のために「帆びき網漁維持基金」を設定した場合、 年間拠出しても良いと思う額を尋ねるという、CVM手法による非使用価値の評価を試みました。この結 果、4市町村から313人の回答があり、地域住民の評価額として約3,800万円の非使用価値が試算値として 求められました。なお、4市町村合計の市町村財政による運航費等の支出は年間521万円であり、1994年 の玉造町での新船建造補助金額は1,500万円でした。
 アンケートの中では、帆びき網漁の光景についての感想を聞いていますが、有効回答の中では「大変す ばらしいと思う」131人、「すばらしいと思う」149人と、有効回答の92%の人が帆びき網漁の光景を高く 評価しており、「何も感じない」とした人は23人だけで、「目障り」と回答した者は皆無でした。この結 果からも、地域住民の帆びき網漁のアメニティに対する存在価値の高さを示しています。また、アンケー トの中で「帆びき網船の運航風景をながめるために湖畔に年間何回位訪れますか。」という問いに対し1 回以上訪れた者が173人(有効回答の58%)いたものの、0回と回答したものが126人(有効回答の42%) と多く存在しました。つまり地域住民はアメニティを実際に見に行かなくても、アメニティそのものの選 択価値、存在価値、遺贈価値を高く評価し、これらの非使用価値が彼らに安らぎを与えていることを示し ています。

4.今後の展望
 現在、帆びき網漁船は1994年に新船建造された玉造町の船を除くと他地区は漁船船齢が30~42年と老朽 化が進んでおり、維持・修繕費が嵩んでいます。近い将来使用に耐えられなくなる漁船が出ることも考え られますが、新船建造は1,500万円以上かかるので、帆びき網漁の運航主体にとって大きな支出となりま す。北浦では陸からの見学であるため観光客等からの収入は皆無であり、霞ヶ浦では随伴船乗船観光者か らの乗船料収入はあるものの、収支はマイナスであり、市町村からの補助金・委託費でほとんどがまかな われています。今後新船建造や大補修等が必要となった場合の費用負担が課題となります。さらに、木造 船の造船技術を持つ船大工も減少・高齢化しており、費用面で工面がついても技術者がいなくなれば新船 建造することはできません。
 また、操船を行うことが出来る漁業者の減少と高齢化が進んでおり、操船技術者の消滅が懸念されます 。漁業後継者そのものが少なくなっている中、生活に直結しない帆びき網漁の技術の継承が危ぶまれてい ます。
 霞ヶ浦・北浦の帆びき網漁によるアメニティは、1度は姿を消したものが元通り復元されたということ で、本来のアメニティとは異なるものがあるとも考えられますが、本アメニティは、従来のものと全く同 質のアメニティを地域住民や観光客に与えているということから、我が国における漁村アメニティの一つ の形態として紹介しました。このような復活された地域資源が持つアメニティの評価手法の開発と、評価 結果から得られた知見をどのように漁村地域活性化に反映するかについて考えることが今後の課題になっ ています。


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