中央水研ニュースNo.22(平成10年10月発行)掲載

【研究情報】
アカガイ垂下養成の可能性と問題点
-忘れられた研究データからの情報-
沼口勝之

はじめに
 この副題は、日本海区水産研究所の伊藤克彦企画連絡室長が 養殖研究所におられた時に養殖研ニュースNo.24(1992)に 書かれたものと同じ表題を使わせていただいた。筆者は、 伊藤企連室長がニュースの前置きで述べられたことと 同様なことを図らずも経験したからである。その当時、 時間と労力と研究費を費やして得られたデータを発表する 機会もなくダンボール箱の中に入れたままにしておくこと はもったいないことであるし、また「故きを温ねて新しき を知る」ことも大切だと思い、1982-1983年にマリーン ランチング計画(大型別枠研究)で行った調査で、 未発表のまま眠ってしまっていたデータを起こして みることにした。
 近年、我国浅海域のアカガイScapharca broughtonii (Schrenck)の生息域は沿岸域の底質が悪化していること から減少している。このため、アカガイ増養殖の展開を 図るための一つの方法として、アカガイを垂下養成する ことが考えられる。筆者は長崎県の大村湾でアカガイの 垂下養成試験を行う機会があり、いくつかの知見を得る ことが出来た。本論ではその概要と、養成試験を行った上 で考えられたアカガイの垂下養殖の可能性と問題点について 紹介してみたい。

アカガイ垂下養成の試み
1.垂下養成アカガイの成長と生残
 垂下養成試験に用いたアカガイは、山口県内海栽培漁業 センターで人工種苗生産され、中間育成後に山口県下で 養殖された殻長が2~3cmに達する満1年貝である。養成 試験は、養殖研究所の旧大村支所地先の筏に供試貝を 真珠養殖用の丸籠に1籠あたり50個体ずつ収容し、水深2m 層に垂下して行った。アカガイのへい死率の算定には100 個体(2籠)あたりのへい死個体数を用いた。また、へい 死率測定用の1籠を用いて50貝中で生き残っている貝の 全個体について殻長と全重量を毎月1回測定した。 図1にアカガイ個体重量の 経時的変化を、図2にその累積へい死 率を示した。1982年4月に平均全重量2.6g(平均殻長22.4mm)で あったアカガイは1983年4月には40.2g(平均殻長48.3mm)に なった。また、同養成期間の累積へい死率は32%であった。
 図1からアカガイは8月下旬から 9月下旬及び2月下旬から3月下旬の期間に成長の停滞すること、 図2からアカガイのへい死率は 8月下旬から11月下旬にかけて高くなっていることが分かる。 アカガイの水温耐性についてはいくつかの研究報告があり、 アカガイの生存可能な上限水温は25-27℃付近と考えられている。 1982年における垂下層の旬別平均水温は7月下旬には25℃に達し、 8月上旬から下旬までの1月間は27-28℃(最高水温29.0℃)であり、 9月下旬には再び25℃にまで低下した。本研究におけるアカガイ 垂下層の水温変化とアカガイの生存可能な上限水温とを照らし 合わせると、8月下旬からのアカガイの成長停滞とへい死率 増大の原因の一つとして、垂下層の高水温の影響が 考えられそうである。
2.アカガイのへい死と水温についての検討
 アカガイのへい死要因についてはいくつかの研究報告がある。 主なへい死要因を整理すると漁場環境では高水温、低酸素、 低塩分、赤潮、貝の生理として産卵による衰弱、へい死 貝の腐敗による他貝への影響等が挙げられる。前述の垂下 養成試験において、アカガイのへい死要因となるような低酸素、 低塩分、赤潮等はみられなかったので、本調査でのアカガイの へい死率を増大させた主な環境要因は漁場の高水温ではないかと 考えられた。そこで、アカガイのへい死と水温との関係に ついてさらに検討するため、1年貝を用いて以下の室内飼育実験を行った。
 実験は供試貝(平均殻長28.7mm)を、15℃に調温した10L容の 水槽2基に10個体ずつを収容して、水温を上昇させていく 昇温群と下降させて行く降温群とを設けて54日間行った。 昇温群は約3時間かけて水温を15℃から20℃にまで昇温し 以後9日目まで20℃の一定温度で、9日目に20℃から25℃に まで昇温し以後45日目まで25℃の一定温度で、45日目に25℃ から30℃にまで昇温し以後30℃の一定水温で飼育した。 降温群は約3時間かけて水温を15℃から10℃にまで降温し 以後9日目まで10℃の一定温度で、9日目に10℃から5℃に まで降温し以後5℃の一定温度で飼育した。飼育期間中は 無給餌で通気のみを行い、数日おきに調温した海水で換水 した。対照群の飼育は研究所地先海水を用いた流水水槽(水温 15.3-23.7℃)に供試アカガイを収容して、実験群と同じ期間 行った。その結果、対照群と降温群とには飼育期間中にへい死は 見られなかったが、昇温群は水温を25℃から30℃に昇温後5日目 からへい死が始まり、9日目には90%の個体が へい死した(図3)。

 水温変化がアカガイにおよぼす影響を調べるため、 17、22、27℃の大型のウォータバスと、平均殻長30mmの 1年貝10個体ずつを収容した10L容水槽3基とを用意して、 供試貝を収容したまま1つの水槽は17℃と22℃のウォータバス間を 24時間毎に移し替え、もう1つの水槽は22℃と27℃の ウォータバス間を24時間毎に移し替え、残りの1水槽は 22℃のウォータバスに放置したままにした。このようにして 22℃の一定水温におき温度変化を与えなかったアカガイの群、 1日おきに17℃と22℃の水温を感受する群22℃と27℃の水温を 感受する群の3実験区を設けて21日間の室内飼育試験を行った。 この結果、温度変化を与えなかった群と、17℃と22℃の 水温を交互に感受させた群は試験期間中にへい死は見られ なかったが、22℃と27℃の水温を交互に感受させた群は 飼育開始後16日目から死亡しはじめ21日目にはすべての 個体がへい死した。
 以上の実験結果から、アカガイ1年貝は5℃までの低水温に 対しては耐性を有すること、水温が25℃以下の場合は長期間の 生存が可能であることが明らかになった。一方,30℃になると 貝のへい死率が急激に増大したことから水温30℃はアカガイに 対して致死的な水温であると考えられた。アカガイの垂下層では 水温の日変化とともに気象や海象による急激な水温変化があると 考えられる。本実験では1日おきに17℃と22℃の水温を感受させた群は へい死しなかったのに対して、22℃と27℃の水温を交互に感受 させた群はへい死がみられた。この結果からアカガイは垂下層で 水温変化があっても、その上限水温がアカガイの生存に安全な 水温域内(本試験では22℃)であれば、5℃程度の水温変化は へい死を引き起こす要因とはならないが、水温変化の上限水温が アカガイの生存に危険な値(本試験では27℃)にあると、 貝の生存に影響が現れるのではないかと思われた。

3.アカガイの成熟について
 垂下養成したアカガイの成熟状況を知るため、大村湾の支湾に ある真珠養殖筏において1983年5月から9月にかけて満1年貝を 水深10m層に垂下した。アカガイの成熟調査は毎月1回、供試貝 14-15個体を任意に選んで行った。アカガイは成熟期になると 雌の生殖巣は橙赤色に、雄の生殖巣は黄白色になり肉眼でも 貝が成熟しているかどうかを観察できることから、本調査では 供試貝の体中央部背面から腹面にかけてメスで切り開いて生殖巣の 肉眼観察を行った。
 生殖巣の発達の程度は表皮下の筋肉層と内臓部との間に 発達するアカガイの生殖巣の厚さをディバイダーで計測する 簡便法を用いて算出した。その結果、8月中旬には観察に 用いた満1年貝の15個体(平均殻長43.7mm;平均全重量;20.9g) すべての貝で成熟が確認された(表1)。 この観察結果からアカガイの生物学的最小形は殻長44mmで あると考えられた。本調査で得られたアカガイの生物学的 最小形値は、これまでアカガイの成熟に関する調査研究で 報告されていたものの中で最も小さい値であった。

アカガイ垂下養成の可能性と問題点
 筆者は本調査で初めてアカガイを扱うことになったので、 調査を行うにあたってアカガイの養殖や生態に関する報告書や 論文を読んである程度の予備知識は得ていたが、実際にアカガイの 垂下養成試験を行ってみて初めて知ることや予測していなかった 事象にぶつかることが多くあった。また、調査をしてみて調査計画を 組み立てる時にこうしておけば良かったとか、調査結果を解析する 上でこの測定をしておけば良かった等の反省点もあった。これから アカガイの増養殖についての調査研究を行う研究者の方々の参考に なるかもしれないので、アカガイの垂下養成試験を実施してみて 考えられたアカガイ垂下養成の可能性と問題点について整理を してみた。
 本調査で得られた結果からアカガイの垂下養殖は夏季の 高水温に注意すればある程度可能と考えられた。 アカガイが生存できるための上限水温については25℃までは 安全で、それ以上の水温になると要注意、30℃は致死的な 水温と思われた。アコヤガイでは水温が28℃以上になると 要注意である1)ので、 養殖業者は高水温による貝のへい死を防ぐため、アコヤガイの 垂下層水温が28℃を超える時期には水温がより低い深層に 垂下したり、潮通しが良い漁場に貝を移動する等の対策を 取っている。アカガイでも魚場水温が25℃以上の水温が 長期間継続するようであれば同様の方策をとることで 対処出来るかもしれない。アカガイの垂下養殖で注意しなければ いけないことは、垂下する籠の中で貝が定位出来るように することである。付着性のアコヤガイは足から数本以上の 足糸を出しお互いの貝殻や籠にしっかり付着しているので 籠が波浪で揺れても貝は定位していることが出来るが、 アカガイはアコヤガイのように強力な足糸を有していないので 波浪により籠が揺れると、貝は転がり貝殻がぶつかり合って 破損することがある。本論では紙面の都合でデータの記載は 省略したが、本調査では満2年貝についても1年貝と同様に 垂下養成試験を行った。しかし、2年貝はほとんど成長せず、 10月下旬にはすべての個体がへい死してしまった。2年貝の へい死率が増大した時期は、1年貝とほぼ同じ時期であった ことから1年貝と同様に高水温の影響によると考えられるが、 へい死した貝を観察すると貝殻が割れたり欠けている個体が 多かった。この原因はよく分からないが1年貝より2年貝のほうが 貝殻がぶつかり合う頻度が高かったのではないかと思われる。 アカガイは水管を有していないが、アカガイを泥を入れた 水槽に収容して観察すると、潜泥したアカガイは外套膜で 入水管と出水管に相当するような水管状の2つの孔を 泥表面に形成するのが観察される。アカガイはこの水管状の 孔から海水を取り入れ、呼吸と同時に海水中の植物 プランクトンやデトライタスを餌料として取り入れていると 考えられる。2年貝が成長せずにへい死した原因の一つとして、 アカガイの殻は箱型で転がりやすい形状をしており、 籠が波浪等で揺れると転がり易く定位出来ないため、 外套膜を開いて行う摂餌活動が十分に出来なかったのでは ないかと推察された。以上のことから、アカガイを垂下養殖 する場合は貝を定位させる工夫をすることが大切であり、 本調査で用いたような真珠養殖用の丸籠ではなくアカガイが 定位出来るようなポッケット籠を用いた方がよかったかも しれない。最近のアカガイ垂下養成法についての研究では、 潜砂材として鉱さいを用いる方法2) や、簡易垂下養殖法3) 等がある。
 アカガイを垂下養成すると籠やアカガイの貝殻に フジツボ、フサコケムシ、ホヤ、ムラサキイガイなどの 付着生物が多く着生した。このため頻繁に籠換えや貝殻の 掃除をする必要があった。本調査と併行して行った 研究として、垂下養成したアカガイ貝殻への潜孔性多毛類の 着生状況の調査を行った。
 その結果,アカガイ貝殻には潜孔性多毛類の着生が 多く認められが,この潜孔性多毛類の着生はアカガイの 直接のへい死原因にはならないことが明らかになった。 また、アカガイ貝殻に着生した潜孔性多毛類は容易に 駆除出来ることが判明した4)
 本調査を行った後、マリーンランチング計画のアカガイ グループでは南西海区水産研究所と山口県内海水産試験場および 養殖研究所旧大村支所の3場所がそれぞれの研究課題について 山口県の笠戸湾を共通の調査漁場として調査研究を行うことになった。 旧大村支所の研究課題は「人工種苗生産アカガイの成熟と産卵」で あったので1984-1985年に人工種苗生産アカガイ(満1、2、3、4年)の 調査漁場での成熟過程の調査を行った。この調査で不思議な事象を 経験した。1983年に行った大村湾での調査でアカガイは満1年貝から 成熟することが分かっていたので、山口県での調査でも満1年貝は 成熟するだろうと予測を立てていた。しかし、実際に調査を行って みると満1年貝の生殖巣は肉眼的観察はもとより組織学的観察を行っても 調査期間中にまったく成熟は確認されなかった。また、満2-4年貝の 成熟度も不十分なものであった5)。 大村湾で用いたアカガイと同様の人工種苗生産アカガイを用いて いるのになぜ成熟しないのか、その原因についてはまったく不明で あり、長い間頭の隅に疑問点として残っていた。
 その後、ハマグリ幼稚仔の生態に関する研究を行う機会が あり、実験材料のハマグリ幼生を得るため、室内飼育実験により ハマグリの成熟期ではない冬季に貝を成熟させることを試みた。 この時ハマグリの成熟と産卵に成功した方法は、天然のハマグリが 成熟する時期の漁場水温にまで飼育海水の水温を高める(この場合は 水温14℃から24℃になるまで1日あたり2℃ずつ昇温し、以後24℃で 継続して飼育)と同時に餌料の培養プランクトンを給餌するという 単純な方法であった6)。 ハマグリが成熟するための主たる環境条件は、成熟に必要な水温と 十分な餌料であった。アカガイの成熟でも同様なことがいえるので あれば、山口県の笠戸湾でアカガイが十分に成熟しなかった原因と しては、漁場において水温に問題がないとすればアカガイの成熟に 必要なだけの餌料がなかった点が考えられる。しかし、今となっては データがないため証明する術がなく、残念ながら推測の域を出ない。
おわりに
 本調査はマリーンランチング計画のイタヤガイ・アカガイグループでの 調査研究の一環として行ったものである。当グループでは各場所で得られ た研究成果は各年度毎にプログレスレポートにまとめられ印刷・製本 されていた。筆者は、プログレスレポートに報告した研究成果を別の 学術雑誌に論文として投稿することは二重投稿になるのではないかと 長いこと思っていた。しかし、最近になりプログレスレポートは 学術雑誌の論文とは異なりサーキュレーションが良いとはいえない ことから、むしろ論文としてまとめた方がよいのではないかと思う ようになり、プログレスレポートで報告した研究成果をもう一度 整理しなおして、いくつかの論文にまとめた(本文及び参考文献 参照)。しかし、学術雑誌によっては、レフェリーからデータが 古すぎるとのコメントをいただき投稿を諦めざるを得ないこともあり、 残念な思いをしたことがあった。確かに、その時は新鮮なデータで あっても、時間が経過すると色褪せてしまって新鮮味がなくなる ことがある。論文審査の過程でレフェリーからデータが古すぎると 言われないように、調査研究した成果はなるべく早い時期にまとめて 投稿することを、自戒をこめて読者の皆様にもお勧めしたい。
 水野寿彦著の「淡水プランクトン学入門」(東海大学出版 1984)に データ整理と報告についての記述があり、その中で著者は次から次へと 仕事が出来てきてデータの整理を後回しにしがちになることの戒めと、 調査研究を一段落した後は、無理してでもすぐにまとめにかかるコツを 会得することの重要性について述べられておられる。研究者の心得と して心に留めておくことが大切だと思う。

(海区水産業研究部主任研究官)

参考図表
図1 垂下養成したアカガイ1年貝の成長(全重量)
図2 垂下養成したアカガイ1年回の累積へい死率
図3 水温変化とアカガイ1年貝のへい死率の関係
表1 アカガイ1年貝生殖曾の観察(1983年5-9月、大村湾伊木力地先10m層)
参考文献
1)Numaguchi,K.:Fisheries Science.61(5).739-742(1995)
2)藤村治夫・今井 厚:山口内海水試報,23,19-23(1994)
3)藤井武人:養殖研ニュース,32,2(1996)
4)沼口勝之:付着生物研究,12(1),1-7(1995)
5)沼口勝之:日水誌,62(3),384-392(1996)
6)Numaguchi,K.:J.World Aquaculture Soc.28(1).118-120(1997)

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