変動機構研究室の川崎清さんと物質循環研究室の下田徹さんと私が、蒼鷹丸で平成10年2月12日か
ら沖縄と台湾海域へ「亜熱帯循環系の調査研究」の調査航海に出かけ、中国国家海洋局第三研究所と交流
のため廈門(あもい)に寄港し、3月19日無事横浜到着しました。遅ればせながら報告します。
l.亜熱帯循環系の調査研究
この研究は、亜熱帯海域の生産力やプランクトン群集が、気候変動や地球温暖化に伴ってどう変わるか
の解明が1目的。亜熱帯海域は生産力が低く、砂漠のような海としてイメージされるが、この海域はカツ
オ・マグロ類の産卵場となり、彼らの仔魚を養う。しかし、ここの基礎生産力、プランクトン量、魚の収
容力はどれほどか、窒素、リン等はどう供給されるか、それらの季節変化や経年変化はどうか、について
充分には解明されていない。特に北太平洋南西部亜熱帯海域は、殆どデータがない。そこで、中国の大陸
斜面から南東に沖縄本島をよぎって亜熱帯収敏線の北に及ぶ観測定線を設け、水温、塩分、水中照度、栄
養塩、懸濁物、沈降量、クロロフィル、光合成、動物プランクトンを観測。既に1994年6月(夏)蒼
鷹丸、1995年10月(秋)開洋丸、1996年4月(春)蒼鷹丸で調査航海を実施。今回の調査航海
(1998年2月(冬)蒼鷹丸)が成功すれば季節変化のデータが一通り揃う。
この一部は日中共同プロジェクトとなっており、調査の分担とデータの共有・共用、調査員の乗含、研
究者の交流、シンポジューム開催等を通じ、両国の親善と研究の発展が図られている。その一環として廈
門に寄港し、中国第三研究所と交流するというが航海の目的。
2.廈門まで
時化の多い真冬の船内生活と海上労働は楽ではないQ不断の動揺、振動、騒音、油臭、狭隘、家族と社
会からの隔絶、単調、3交替制勤務といった苦労は、軽減されても解消されることはない。
2月12日出港の初っ端から猛烈な時化に見舞われ、女子大生アルバイト二人は船酔いで仕事ところか無事に親元に帰
せるか心配。ところが、若さとは実に素晴らしいもので、3日l目ぐらいで回復。それ以降は仕事の本試
料処理をこなす。
さて、この猛烈な時化の中の最初の仕事は石廊崎沖。黒潮内側域(沿岸水域)、黒潮フロント域(黒潮
と沿岸水域の境界域)、黒潮域(強流域)、黒潮外側域(亜熱帯水域)の代表的な4点でCTD1500
mとノルパックネット150m。これは、東海水域における餌料プランクトンの種組成や現存量のモニタ
リングとして、この海域を通る度にやるもの。私の研究室の中田薫さんが、生物生態部の産卵調査で採っ
た試料とこの試料を分析。この海域における分布や種組成の特徴、季節変化、黒潮蛇行に伴う変化、気候
変動に伴う経年変化等を解明し、論文発表している。それにしても、冬の甲板で、昼夜関係なく、観測点
毎に、CTD投入のため1時間近くもウィンチに立つ船員には頭が下がる。
これを終わって沖縄定線の南端に入るまでは、毎日正午に川崎さんが衛星画像解析の基礎データとして
水中のクロロフィルと分光照度を計り、下田さんが光・光合成曲線を書くため疑似現場法で2時間光合成
を測定する。今年は大陸高気圧が弱く時化と凪が入れ替わるが、船が大きくなり多少の時化でも観測可能
なので、どんどん先へ進む。16日からはいよいよ本番の沖縄定線。CTDとロゼットサンプラーを投入
して採水し、ゴーフロー採水器を2回投入してまた採水し、開閉式ノルパックネットを5回曳いて動物プ
ランクトンを採集し、光合成と沈降量測定用の漂流ブイ1式をセットして24時間流し、夜半に稚魚ネッ
トを5分間曳く。1時間40分航走して到着する観測点毎に、この組み合わせを変えて延々と繰り返す。
暖冬で季節風の吹き出しと冷え込みが弱いためか、この時期には水深150mまで及ぶはずの対流混合が
100mまでしか及んでいないQ恐らく生産力は例年より低いだろう。
出航後ほぼ2週間の3月26日、丁度陸が恋しくなる頃、慶良間海裂の出口でセディメントトラップ投入
を終え、休養と補給のため那覇に入港。
3.廈門にて
3月1日那覇を出港し一路廈門ヘ。大陸棚に入ると青黒く透き通った亜熱帯水から粘土粒子を含んだ黄
緑色の大陸沿岸水にがらりと変わる。生産力が高そうだ。3日の朝10時廈門港に着岸。遥か手前から岸
壁で熱烈歓迎の横断幕を掲げた第三研究所の面々が手を振る。我々も正装して立ち、岸壁でたちまち歓迎
集会。細身で長身の研究所長、曽(Zeng)さんが歓迎の辞。通訳は若くて魅力的な女性通訳、郭(G
uo)さん。偉い女性通訳の範(Fang)さんもわざわざ北京から出迎えている。この国の人々の歓迎
ぶりに恐縮する。午後から、廈門市の科学技術委員会と第三研究所に表敬訪問。委員会の黄(Huang
)さんが、廈門の開放経済と日中友好について熱弁を振るう。中国の人達は総じて演説が好きだ。黄さん
は、その夜レセプションで出された紹興酒の燗付器に私が感心すると、これは市の特製だから全員にプレ
ゼントすると約束し、蒼鷹丸のアンサーレセプションに本当にそれを持ち込んできた。酒好きで明るく気
前がいい。4日は午後から第三研究所で共同研究打ち合わせ。抗州の第二研究所の播(Pang)さんが
変動機構研究室に7月に来ることと、陳(Chen)君がトップネームで我々と共著論文を書くことを確
認。5日は午前中が蒼鷹丸の公開、夕方がアンサーレセプション。三等航海士のポラロイドカメラサービ
スで大いに盛り上がる。6日は休養とお土産買い。7日10時出港。また大勢で見送ってくれた。
廈門は旧植民地の古い港町。かの魯迅が廈門大学で教鞭をとった。旧市街地は大通りを外れるとまるで
カスバのよう。アヘン戦争に破れた清が帝国主義列強に疎開地を提供させられ、コロンスという対岸の小
島がかつての疎開地。今も洋館が残り、異国情緒豊かな観光地。歌舞伎「国姓爺合戦」の主役、日本人と
の混血児で民族的英雄と崇められる「鄭成功」が和冠その他の海賊を率い、異民族である清の支配に抵抗
してたてこもったのがこの島。
島の岬には彼の巨大な石像が聳え立ち、大陸を睨む。廈門の産業は、伝統
的な港町としての海運と商業に観光、これらと結び付いた海鮮料理と漁業。海鮮料理は安くて美味しい。
昼飯時ともなると、飯店毎に若い女子店員が最高級の笑顔で小首を傾け、目線に構えた右手先を小刻みに
振るわせて「来、来、----」と甲高く呼び込む。廈門は経済特区で、外資導入による近代工業が新開
地を形成。
新しい顔と古い顔が同居する。第三研究所は、文化大革命の影響もあり、設備や機器はまだ見るべくも
ないが、研究者特に若手の志気は高い。早晩日本に追いつくだろう。
4.帰路
台湾の南を回り、3月9日から台湾東方の亜熱帯収斂線をよぎる観測線に入る。本土は真冬だが、こち
らはまさにトロピカル。強い日差しで肌が焼ける。亜熱帯収斂線を過ぎて北上し、琉球列島沿いに停滞す
る前線を過ぎると再び冬。風が冷たい。これを終わり、沖縄定線の北端すなわち黒潮の強流帯で往路にや
り残した生産力調査に3日間を費やす。あとは黒潮に乗って快調に横浜へ。最後も初っ端と同じ猛烈な時
化。石廊崎沖の沿岸水域ノルパックネット調査を読め、予定通り3月19日午前10時横浜着岸。全員無
事帰港に初めて肩の力が抜ける。この調査航海を支えてくれた蒼鷹丸の皆さん、予算措置と厄介な手続き
に骨を折って頂いた中央水研、水産庁、科学技術庁の皆さん、熱烈歓迎して頂いた中国の皆さん、最後に
、ロートルを支えて良く働いてくれた調査員とアルバイトの皆さん、本当に有り難うございました。
(海洋生産部 低次生産研究室長)
Yasuo Matsukawa
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