中央水研ニュースNo.21(平成10年7月発行)掲載

【研究情報】
マングローブ域の開発と環境間題
田中 勝久

 熱帯・亜熱帯域では、森林の大量伐採,農用地・ 養殖場の造成等により,マングローブ汽水域生態系 の破壊が進行し、河口域の水産業ひいては沖合藻場 やサンゴ礁に重大な影響を及ぼしています。このた め,国際農林水産業研究センター(JIRCAS)では総 合研究プロジェクト「熱帯・亜熱帯汽水域における 生物生産機能の解明と持続的利用のための基準化」 をマレーシア水産局水産研究所(FRI)、マラヤ大 学、マレーシア森林研究所(FRIM)などとの共同で 1995年度より開始しました。私はこのプロジェ クトに参加して1997年10月16目から12月30目ま での2ヶ月半マレーシアに出張しました。 マングローブとは、熱帯・亜熱帯の海岸沿いの海 水と淡水が混じりあう場所(汽水域)に生育する植 物の総称です。マングローブというのは一つの木の 名前ではなく、潮の満ち引きにさらされる海岸や河 口近くの植物群集全体を指します。マングローブ域 は、有用魚介類の生産の場として非常に高い生産力 をもっています。マングローブ域で操業するマレー シアの沿岸漁民は漁獲物で満船になるまで港には帰 りません。言い換えれば数回の操業で満船になるほ ど魚介類が豊富なのです(表紙写真)。このような 高い生産力の維持には、マングローブ域から供給さ れる落葉有機物や栄養塩が重要な役割をはたしてい ることがJIRCASのプロジェクトの成果の中で次第に明らかに なってきています。
 しかし残念なことにマングローブ域の開発と破壊 は急速に進行しています。1980年代の初めの統計 (ICUN,1983)では世界のマングローブ面積(16万平 方キロ)の約25%(4.1万平方キロ)が東南アジア 9カ国にあります(ありました)。タイでは1978~ 1988の10年問で63%、インドでは今世紀になって 80%のマングローブ林が失われました。ベトナムで は主として戦乱の影響(枯葉剤)により半減しまし た。比較的マングローブの保護に対して積極的なマ レーシアでも1980年から1990年の10年間で12%が 開発の結果消失し、その後も年1%の割合で減少し ています。フィリピンでは主にエビ養殖池の開発に より1900年代のはじめの推定値から1/4から1/5に 減少しました。ミ.ヤンマーのイラワジ川河口の広大 なマングローブ域は主に薪炭材の利用によりほぼ消 失しています。これらの開発により生産されたエビ や、未炭(目本で備長炭として販売されている木炭 の大部分はマングローブ材)の大部分は目本に輸出 されています。目本で消費されるエビの80%近く がマングローブを破壊して建設された東南アジアの 養殖場で生産されているのです。
 マングローブ域に建設されたエビ養殖場では集約 的な過密養殖が原因で、水質・底質の悪化と病気の 発生が問題となっています。このために養殖場は数 年~10年程度で放棄される場合が多く、マング ローブ域の環境破壊の原因の一つとなっています。 マングローブを開発して造成された養殖場では集約 的な養殖法により最大年間6-10トン/haのエビが 生産されます。これは自然状態でのマングローブ域 1haあたりのエビ生産量の10倍に達します。しか し、このような集約的エビ養殖場の大部分は泥質の 悪化やウイルス病などの蔓延によって10年以内に 廃棄される場合が多く、一旦荒廃したマングローブ 域の再生は非常に困難です。持続的管理の実施され ているマングローブ域ではエビ・カニ・魚介類の他 にも、木材、木炭、建築材など多様な生産物が永遠 に得られるわけですから地域経済に及ぼす影響も非 常に大きいものと考えられます。また、マングロー ブ林は陸上から運ばれる土壌や汚染物質をトラップ し、少しずつ河口域に供給するフィルター(栄養塩 のダム)としての重要な役割を持っています。マン グローブ林がなくなると水産生物が減少するだけで はなく、陸上からの土壌流出や波による海岸浸食の 拡大によってもたらされた土砂の流入によって、サ ンゴ礁や藻場など沿岸域全体が砂漠化(海の砂漠 化)するとも考えられています。
 マングローブ林などの熱帯森林の伐採は二酸化炭 素をめぐる地球温暖化問題の点でも見過ごすことは 出来ません。荒廃した養殖場では、マングローブ林 が大気から二酸化炭素を固定する機能が失われるだ けではなく、熱帯域の高温環境下で土壌が硫酸酸性 化することにより、数千年にわたってマングローブ が大気から湿地土壌中にデトライタス(粒状有機物 質)として固定・蓄積した泥炭状の有機炭素が酸 化・分解作用を受け、すさまじいスピードで大気中 に二酸化炭素として放出されます=荒廃したエビ養 殖場からはマングローブが土壌中:こ固定した炭素の 50年分が、たった一年で二酸化炭素として放出さ れるといわれています(0.J.Eo㎎1993)。
 JIRCASのプロジェクトではマングローブ域の環境 調査とともに、マレーシア水産研究所との共同研究 でエビ養殖場から周辺マングローブ域に放出される 排水とヘドロについての調査も実施中です。マレー シアのペナン市近郊のエビ養殖場では養殖開始一ヶ 月後には人工飼料の大量使用(8-12トン/haのエビ 生産あたり14-21トンの飼料が使用され、そのうち 7.0-1O.5トン/haが利用されずに底泥を汚染する: Srinivasaeta1.1997)によって底泥に20㎝以 上の厚さでヘドロが堆積し、このヘドロは収穫時に は非常に高い濃度の溶存アンモニアを含んだ排水と ともにマングローブの水路に排出されます。このた め、広大なエビ養殖場の存在は残されたマングロー ブ汽水域の環境に対しても大きな影響を及ぼすもの と考えられます。
 今回マレーシアに2ヶ月半出張して特に感じたこ とは、東南アジアの沿岸域は今危機的な状況にある ということです。マラヅカ海峡ではタンカ』の事故 等によるオイノレ流出とその漁業被害は恒常化してい ますし、養殖魚の大量死(赤潮、貧酸素、工場排水 の影響)も頻繁におこっています。マレーシアの海 岸を主産卵場とするオサガメ(カメの仲間では世界 最大、体長2.4m、体重600kgに達する)は数年以内 に絶減するであろうと考えられています。エビ養殖 と養殖エビの輸入にも象徴されるように、マング ローブ域の荒廃等の東南アジア沿岸の環境破壊に対 して、目本には非常に大きな責任があるといえま す。水産研究所をはじめとするわが国の試験研究機 関は、東南アジア沿岸域の間題を単に海外援功協カ としてとらえるのみならず、東南アジアで生産され たエビやマングローブ材の大部分を輸入している目 本の責任として積極的に取り組んでいかねばならな いと思います。
(海洋生産部物質循環研究室)
参考
表紙写真.わずか数時間の漁労によりコックルと呼ばれている赤貝の一種で満船となった漁船
写真1.樹高20M以上のマングローブ林(マタンマングローブ域)
写真2.伐採されたマングローブ林(メルボックマングローブ域)

nrifs-info@ml.affrc.go.jp
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