中央水研ニュースNo.20(平成10年4月発行)掲載 |
【研究情報】 サンゴ礁の環境基準を求めて
松川 康夫
サンゴ礁は熱帯・亜熱帯の重要な漁場である。温 帯の干潟・藻場に相当する。糸満の漁師はサンゴ礁 外縁の追込み漁、石垣のウミンテユウはサンゴ礁の 素潜り漁で、今も生きる。そのサンゴ礁が最近危う い。そこで、平成4~5年はFS(フィジビリティ スタディ)、6~8年は本研究として環境庁プロ ジェクト「サンゴ礁生態系の維持機構解明とその保 全に関する研究」が実施され、低次生産研究室も参 加した。その成果を報告する。 サンゴはクラゲやイソギンチャクの仲間の腔腸動 物で、基本的には毒を持った触手で餌を捕らえ、こ れを食べて生きる。貧栄養環境に適応した造礁サン ゴは体内に褐虫藻という鞭毛藻の一種を共生させ、 これに己の排泄物(アンモニア)を与え、代わりに 光合成産物の炭水化物をもらう。この炭水化物はサ ンゴの粘液や炭酸カルシウム骨格の生成に使われ る。従って、シルト堆積でサンゴ幼生の付着基盤が 無くなると、海水が濁ったり、サンゴがシルトや大 型植物で覆われて太陽光が遮られること、付着した シルトを除去するために余計なエネルギーを削がれ ること、或いは富栄養化に伴う窒素供給増によって 共生藻の光合成産物が共生藻の増殖に使われサンゴ に回らなくなること等は、造礁サンゴを衰弱させ る。また、海域が富栄養化するとオニヒトデが異常 発生し、サンゴを食害する。沖縄では開発に伴う直 接破壊、赤土シルト流失、富栄養化、オニヒトデ異 常発生等で既にサンゴ礁がかなり衰退しているよう だ。 こういうわけで、我々としては沖縄のサンゴ礁の 水・底質とサンゴの成育状況を比較し、サンゴ礁保 護の環境基準を見出すことを目標とした。調査地点 は沖縄本島16地点、渡嘉敷島2地点、宮古島2地 点、石垣島17地点、西表島9地点で、複数回の観 測を含めて延べ49地点に及んだ。現場へのアクセ スが結構大変で、西表鳥の南西側の5地点はボート で、他は全てレンタカーと海岸からの水泳であっ た。サンゴ成育状況と底質は概況を目視観察した。 水質は水サンプルを冷蔵、現地実験室で濾過後冷凍 し、中央水研で分析した。アンモニア態窒素は石垣 島と西表島は現地で、それ以外は中央水研で分析し た。この担当は物質循環研究室の下田君にお願いし た。この他、サンゴの活きの良さの指標として、蛋 白合成活性の指標とされる核酸比(RNA/DNA)を低次 生産研究室の中田さんに、共生藻の光合成活性や共 生関係の指標とされる安定同位体比(δ13 C)を市川 君に測定してもらった。 多くの調査地点がラグーンであったためか、見事 なサンゴ礁は意外と少なかった。沖縄本島では瀬底 島がまあまあで、金武岬は一見良好だがキクメイシ が多く、金武湾口の伊景島でも藻類が繁茂し、中城 湾の与那原に至っては東京湾並の汚濁でサンゴは死 滅していた。渡嘉敷島や宮古島はオニヒトデ食害か ら回復し切れていないが、概して良好であった。石 垣島は開発が及んでいない北部は良好だが、農業開 発が進んだ中部に下るにつれて悪化し、都市化と港 湾建設の影響を受けた南部はサンゴが殆ど見られな かった。西表島も意外に海藻群落が多く、道路や港 湾建設の影響を受けた地点が少なくなかった。 水質は極端に汚れた沖縄本島の与根、中城、与那 原を除けば、窒素栄養塩(DIN)が10-1 ~10 0μM で、概ね熱帯サンゴ礁における既往の観測値の範囲 にあるが、全体としては水質が悪化した側に位置し ている。図は水・底質、サンゴ成育状況を一括した もので、これから2つのことが見て取れる。一つ は、サンゴにとっては底質が最も重要で、水質が同 レベルでも底質がシルトになるとサンゴ成育が悪化 し、アマモのような海草群落に変わる。もう一つ は、底質が岩礁でも、水質がDINで4μM、DIPで 0.2μMを越えるようになるとサンゴ成育が良から 可に悪化し、ホンダワラ類の海藻群落に変わる。懸 濁態窒素が硝酸・亜硝酸態窒素と同程度なので全窒 素では6~7μMあたり、また全リンでは0.3~ 0.4μMあたりが移行点と判断される。水質環境基 準は、現行の累計I(自然環境保全)で全窒素0.2mg/ 1(14.3μM)、全リン0.02㎎/1(0.7μM)だから、 サンゴ礁保全のためには現行の倍ぐらい厳しい基準 が必要ということになる。 RNA/DNAも揃った石垣島だけのデータだと表のよ うになり、おおよそDINで1μM,DIPで0.1μM でトゲスギミドリイシサンゴから海藻(草)・ソフト コーラル・ハナヤサイサンゴの系に変わる。こちら の結果を採用すればもっと厳しい環境基準が必要と なる。 サンゴ礁の富栄養化に関する報告はハワイの例の みで、ハワイではかつて都市下水をラグーンに排出 した時期があり、このため排出口近傍では底質汚染 と硫化水素によってサンゴが死滅し、その外側は大 型海藻に変わった。その後排水口を礁縁の外側に移 したところ、1~2年でサンゴは回復した。下水の ラグーン排出時期のラグーン水質は窒素栄養塩が 1.15μM、リン栄養塩が0.48μM、礁縁外排出時 期はそれぞれ0.78μM,0.15μMであったと報告 されている。 この報告は石垣島の結果と一致する。どちらにし ても現行の環境基準が不十分なことはハッキリした わけで、さらに精度を上げた現場調査と実験の積重 ねが必要である。
感想 (海洋生産部低次生産研究室長)
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