中央水研ニュースNo.19(平成10年1月発行)掲載

【研究情報】
イソゴカイによる底質堆積有機スズ化合物の生物濃縮
池田 久美子

1.何故ゴカイなのか?(研究の背景)
 水質基準や排水規制等の諸施策により、海水中の 有害化学物質濃度は次第に低下してきました。その 一方で、底泥中には有機スズ化合物やPCBs,DDT等 の有機塩素系農薬や石油系多環芳香族化合物などが 依然として高濃度に検出されています。その理由と して、これらの有害化学物質は一般的に水に溶けに くく、懸濁物質などに吸着しやすいために、過去に 排出されたこれらの物質が海水中の懸濁物質ととも に沿岸域の海底に沈降・堆積していることが考えら れています。また、これらの有害化学物質は非常に 安定で、微生物などにも分解されにくいために、底 泥中に長期間残留することが懸念されています。
 それでは、これら底泥の有害化学物質はそのまま 底泥中にとどまっているのでしょうか?最近、底泥 に堆積した石油系炭化水素類が底生生物に移行・蓄 積されることが報告されました。これは、底泥の有 害化学物質が底生生物を介して食物連鎖に導入さ れ、海洋生態系に影響をおよぼす可能性を示唆して います。そこで、海洋生態系の保全の観点から、底 泥の有害化学物質が底生生物に取り込まれてから、 食物連鎖を通して魚類などへ濃縮される過程を明ら かにし、さらに水産生物の食品としての安全性の観 点から、魚介類中の有害物質の許容濃度をもとに底 質中有害化学物質濃度をどの程度におさえるべきか という底質の保全目標(底質基準)を検討する必要 があります。そのため、底泥中有害化学物質の食物 連鎖を通した蓄積過程の解明に関する一連の研究を 行っていますが、底泥の有害化学物質が底生生物へ と移行する過程は、底泥中有害化学物質の生物濃縮 において重要な位置を占めているにもかかわらず、 その詳細についてはほとんどわかっていません。
 そこで、この底質堆積有害化学物質の底生生物へ の移行を調べるためにイソゴカイを用いた飼育実験 を行いました。それでは「何故イソゴカイなの か?」ということですが、イソゴカイは釣り餌用に 養殖されているのでいつでも入手可能であり、また 飼育も容易なので試験生物として適しているので す。ここでは、底質堆積有害化学物質のイソゴカイ ヘの移行・蓄積を有機スズ化合物(TBT)について調 べた結果について紹介します。
2.イソゴカイの飼育実験
 TBTのイソゴカイヘの蓄積実験の様子を示したの が図1です。下半分はTBTを含有する底泥中、上半 分はTBTを添加した飼育水中でイソゴカイを飼育し ている様子です。内在性堆積物食者のイソゴカイ は、泥の内部に生息し、餌として底泥表面に堆積す るデトリタスを摂取します。そこで、底質からの蓄 積実験(下半分)では、1日1回の干出時(右半分) に餌として少量の配合飼料を投与して摂餌と同時に TBTを含有する底泥を摂取させました。一方、海水 からの蓄積実験(上半分)では、底質としてTBTを 含有しないきれいな砂を用いTBTを添加した海水を 連続的に流して海水中TBTをイソゴカイに取り込ま せました。それぞれ8週間の蓄積実験終了後、清浄 な海水および砂を用いてイソゴカイからのTBTの排 泄も検討しました。イソゴカイ中TBTの濃度の経時 変化から、海水あるいは底泥からの取り込みの程度 (濃縮係数)や代謝・排泄の程度(排泄速度)を検 討するとともに、TBTを蓄積したイソゴカイにおい てTBTの代謝産物の検索も試みました。
3.ゴカイは底質のTBTを蓄積するか?
 底質からの蓄積実験において、イソゴカイは底泥 中のTBTを蓄積しました。底泥中TBT濃度に対す る濃縮係数(BMF)はおよそ1(図2)であり、イソ ゴカイは底泥中のTBTを底泥中濃度以上には蓄積し ませんでした。一方、海水からの蓄積実験におい て、イソゴカイは海水中のTBTを蓄積し、海水中 TBT濃度に対する濃縮係数(BCF)はおよそ1000(図 2)でした。すなわち、イソゴカイは底泥中のTBT を経口的に、また海水中のTBTを呼吸器官あるいは 体表面から取り込むことがわかりました。そこで、 東京湾の現状の海水および底質中TBT濃度に本実験 で測定した濃縮係数を乗じてイソゴカイによるTBT の蓄積における蓄積経路別の寄与率を試算すると、 イソゴカイに蓄積するTBTの15%は海水、85%は 底質に由来し(図2)、イソゴカイによるTBTの蓄 積において底質の寄与が大きいことがわかります。 これは、底質中TBT濃度が海水に比べてかなり高い ことを反映しており、今後、海域のTBT汚染対策に おいて、底質の浄化が重要であることを示唆してい ます。
 海水あるいは底泥からTBTを蓄積したイソゴカイ を清浄な海水および底泥中で飼育し、イソゴカイか らのTBTの排泄を調べたところ、イソゴカイからの TBTの排泄速度定数は、海水および底泥から蓄積さ せたイソゴカイでそれぞれ0.0548および0.0467 でした。すなわち、イソゴカイは蓄積したTBTをそ の蓄積経路に関係なく、同様に代謝・排泄すること がわかりました。TBTを蓄積したイソゴカイにおい てTBTの代謝産物を検索したところ、図3に示した ように、TBTのブチル基に水酸基(T30H,D30H ,D40H)、ケト基(T3C0,D3C0)、カルボキシル基 (DC00H)の導入された中間代謝産物や、ブチル基が 遊離した(DBT,MBT)代謝産物が確認されました。こ れらの代謝産物がマダイにおいても確認されたこと から、イソゴカイはマダイと同様なTBTの代謝経路 をもち、さらにイソゴカイ中の代謝産物濃度がマダ イに比べて高かったことから、イソゴカイはマダイ と同等あるいはそれ以上にTBTを代謝・分解・排泄 する能力をもっていることがわかりました。
 すなわち、イソゴカイは底質のTBTを蓄積し、か つ活発に代謝・分解することで底質の浄化に貢献し ているのです。そこで、本研究の目的以外に、この イソゴカイの生物機能を「底質クリーンアップ作 戦」へと利用できないものか....?と夢は大きく ふくらむのでした....。
5.ゴカイの時代(?!)(底質基準策定への展望)
 東京湾において、イソゴカイに蓄積するTBTの 15%は海水、85%は底質に由来し、イソゴカイによ るTBTの蓄積において底質の寄与が大きいという今 回の結果は、TBTに対する今後の底質基準策定、お よび底質浄化対策の重要性を示唆しています。
 有害化学物質の食物連鎖を通した蓄積過程は、捕 食一被食の食物連鎖内の物質の移行・蓄積を加算す る食物連鎖モデルで解析されています。このモデル による解析のためには、本研究で測定したような取 り込みや排泄に関する種々のパラメーターを詳細に 検討する必要があります。今後さらに、有害化学物 質の底生生物から魚類への移行・蓄積など、必要な パラメーターを実験的に求め、それらをもとに食物 連鎖モデルを解析することにより、魚介類中の有害 化学物質濃度を許容濃度以下にする底質中濃度を推 定できるものと考えられます。すなわち、本研究で 測定したような取り込みや排泄に関する種々のパラ メーターの集積が底質中有害化学物質濃度をどの程 度におさえるべきかという底質基準の策定へと結び つくのです。
 今回のイソゴカイを用いた飼育実験は、底質堆積 有害化学物質の食物連鎖を通した蓄積過程において 重要な底質中有害化学物質の底生生物への移行に関 するパラメーターを提供するものであり、さらに、 この飼育実験が比較的容易に行えることから、これ が底質基準策定における底質堆積有害化学物質の影 響評価手法として実用化されるのも時間の問題かも しれません。いつか環境保全分野にゴカイの時代が 来るかもしれない....(?!)。

 ただの釣り餌とばかり思ってましたが、大きなゴ カイでした....。

(環境保全部水質化学研究室)

Kumiko Ikeda
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