タイ国政府は1993年11月に、アンダマン海沿岸
地域に水揚施設と水産加工用地を備えた水産複合施
設整備のためのマスタープラン策定を内容とする開
発調査の実施を我が国に要請してきた。これに関連
して、1995年7~8月に行われた国際協カ事業団
(JICA)の事前調査に、私は水産流通、水産経済分
野の担当として参加したことがきっかけとなり、そ
の後2年近くにわたって作業監理委員として本計画
に関わる機会を得た。本年夏をもって本計画が終了
したことから、計画全体についてここで簡単に振り
返ってみることにする。
1.タイの経済成長と水産業の果たす役割
今回の開発調査を理解するために、まず最初にタ
イ経済の中で水産業の果たしてきた役割から見てい
くことにする。
タイは伝統的な農業国であるが、第一次経済開発
計画が開始された1961年以降、年率7~8%の高
い経済成長を続けてきた。特に1985年のプラザ合
意以降は、日本とNIES諸国による投資ラッシュ
とそれに刺激された国内企業の投資ブームにより経
済成長は加速され、年率10%を越える高い経済成
長を続けた。
タイの経済成長過程において特徴的な点は、農業
とその関連産業であるアグロインダストリーが工業
化の進展に重要な役割を果たしてきたことである。
すなわちタイの経済成長過程では、国内総生産に占
める農業部門の比重が他の経済成長過程にある国々
と比べて相対的に高いばかりでなく、輸出産業とし
て工業部門の成長を助けてきた役割が指摘されてい
る。しかしそれは米、天然ゴムに代表される戦前か
らの伝統的輸出商品がそのまま継承されてきたので
はなく、より高収入をもたらす新興農産物へ、さら
により付加価値の高い加工品へといったようにその
質的変化を伴ってきた。
タイの水産業、水産加工業も輸出を目的として行
われている部分が大きいが、その中でも冷凍エビ、
マグロ缶詰、冷凍イカ等はほぼそれに特化したもの
である。そしてこのような水産関連のアグロインダ
ストリー産品の輸出額はタイの総輸出額の1割にも
達している。このようにタイの水産業、水産加工業
は、単に国内市場に水産物を供給するのみでなく、
輸出産業としてタイの産業政策上極めて重要な役割
を果たしてきた。またこのことは、同国からのアグ
ロインダストリー産品の主要な輸入国である我が国
にとっては、タイが食料供給国として重要な位置付
けにあることを意味している。
2.今回の開発調査の目的と背景
今回の開発調査には大きく分けて次の3つの目的
がある。
その第一はアンダマン海での沿岸・沖合漁業の開
発を促進することである。地図に示すように、タイ
の海面はクラ地峡によって東西に隔てられている。
そのうち東側のタイ湾では、1960年代から底魚類
を対象とするトロール漁業の開発が進められてきた
が、長年の乱獲の結果、今日タイ湾の底魚類の資源
状態は極端に悪化しており、それを原料としてきた
すり身工場等では原料不足による稼働率の低下が大
きな問題となっている。そのため、タイ湾での水揚
減少を補うため、アンダマン海での沿岸・沖合漁業
のより一層の開発が求められており、その生産基盤
としての水揚施設の整備が必要とされている。
第二はアンダマン海側にカツオ・マグロ類の生
産・流通拠点を整備することと、それによって同漁
業の開発を促進することである。上記したように、
タイでは近年底魚資源が極端に悪化しているが、そ
れに代わるものとしてアンダマン海側のカツオ・マ
グロ資源が注目されている。しかし現在アンダマン
海側には大型船が水揚可能な漁港がないことから、
インド洋で操業した大型のカツオ・マグロ船やその
仲積船は、マラッカ海峡を通ってタイ湾側のソンク
ラ、バンコクまで迂回するといった非効率な操業を
強いられている。そのため、アンダマン海側に大型
船の水揚が可能な水深と規模を備えた漁港を新設す
ることにより、カツオ・マグロ類の生産・流通拠点
を整備することが必要とされている。またマグロ缶
詰産業では、近年原料不足が大きな問題となってい
るが、その対策としてもアンダマン海、インド洋で
のカツオ・マグロ漁業のより一層の開発が求められ
ている。
第三はアンダマン海側にマグロ缶詰産業の生産拠
点を整備することである。マグロ缶詰産業がタイの
産業政策上極めて重要な役割を果たしていることは
既に述べた通りであるが、バンコク周辺に集中する
マグロ缶詰工場の多くは、近年原料不足、労働力不
足等によりその競争カが低下しつつある。これに
対して、これらの工場を優良な経営条件を備えた南
部の加工団地に誘致することにより、これらの問題
を解決することが期待されている。
以上の目的のうち、本計画では特に第二、第三の
目的が重視されている。すなわち今回の開発調査で
は、アンダマン海側(プーケット)にカツオ・マグ
ロ類の水揚・流通・加工拠点の整備計画を立てるこ
とにより、工業化の原動カとなるマグロ缶詰産業の
振興を図ると同時に、産業の首都圏周辺への一極集
中に伴う数々の経済的非効率の解消及び中央と地方
との格差是正をその究極の目的としている。そして
このような考え方はタイの国家的ブロジェクトであ
る「南部臨海開発計画」の構想にも合致するもので
ある。このような意味から、本計画は水産振興とい
う形をとりつつも、その根幹には工業化を軸とした
同国の産業政策的側面を色濃く持っていると言えよ
う。
3.タイの水産業への期待
近年、タイ湾の漁業が極度の乱獲状態に陥ってい
ることはよく知られているが、それは魚類の総生産
量の約半分が屑魚で占められているという事実から
も改めて認識することが出来る。このようにタイの
漁業では、これまで持続性という点に十分な配慮が
なされてこなかったように思われる。
このような漁業の持続性の問題はタイに特有の問
題ではなく、今日世界中の漁業国共通の問題である
が、それに対して我が国を含む各漁業国では、漁業
管理を導入することにより、持続的な漁業を目指し
た様々な取り組みが始められている。もちろんタイ
でも、国家水産開発計画(1995~2001年)の中で、
「効率的な資源管理」、「持続可能な開発」といった
ような政策目標が掲げられていることから明らかな
ように、「持続性」の重要性については十分認識さ
れているものの、これまでのところ、それに対する
有効な対策は必ずしもとられてこなかったように思
われる。今回の開発調査に関連して、タイ湾及びア
ンダマン海側の漁港施設を実際に見た印象から言え
ば、その実現を困難としている原因の一つに公共の
水揚施設の不足があるように思われる。漁業管理の
実現において、公共水揚施設が果たす役割の重要性
については改めて言うまでもないが、現在タイでは
公共水揚施設は主要な臨海都市部にあるのみで、多
くの漁船は未だ民間の水揚施設に依存している。そ
こではブローカーが契約関係にある漁船の漁獲物の
荷揚から選別、値決、出荷に至る一切の産地市場業
務を行っている。もちろん水産関係のインフラが未
整備の中で、このような産地の水産ブローカーが果
たしてきた役割は大きいと言えるが、彼らに資源の
維持管理的機能まで期待するのは無理であろう。そ
のような意味で、私は本計画による公共水揚施設の
整備が資源管理型漁業への移行の基礎となることに
より、同国の水産業の持続的発展に寄与することを
期待したい。
(経営経済部消費流通研究室)
- 参考
- タイ国地図
- タイ湾の屑魚
- バンコクの缶詰工場
nrifs-info@ml.affrc.go.jp
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