中央水研ニュースNo.16(平成9年4月発行)掲載

【研究情報】
PICESにおける最近の科学活動
一特にPICES-GLOBEC計画について一
和田時夫

 1996年10月カナダ、ブリティッシュコロンビア州ナナ イモ市で、PICES(北太平洋の海洋科学に関する機関; North Pacific Marine Science Organization)の第5 回年次会合が開催された。1992年に同じくカナダのビク トリア市で第1回年次会合が開かれて以来、シアトル (米国)、根室(日本)、チンタオ(中国)と、設立当時 の加盟各国の都市での開催が一巡し、いわば振り出しに 戻ったところである。この5年間はPICESにとっては草 創期であり、国際科学機関としての組織・体制の整備に 主眼がおかれた時期であった。この間に、PICESが独自 の科学活動として最も力を入れてきたのが、国際GLOBEC 計画に呼応した北太平洋におけるGLOBEC計画の立ち上げ であった。このための一連の活動を通じて、PICESは北 太平洋の海洋科学を国際協力のもとで効果的に推進する ための議論と調整の場として次第に国際的にも認知され、 また権威と力を付けつつある。今後、北太平洋での海洋 研究の推進や、海洋の利用・開発を進める上での影響力 はますます大きくなると思われる。ここでは、PICES- GLOBEC計画を通してPICESの今後と我が国の対応につい て考えてみたい。

PICES-GLOBEC計画策定の経過
 GLOBEC(Global 0cean Ecosystem Dynamics)は米国の B.Rothschild教授によって提唱され、IOC(ユネスコ・ 政府間海洋委員会)およびSCOR(国際学術連合会議・海 洋研究科学委員会)によって承認された国際共同研究プ ロジェクトである。動物プランクトンおよびその捕食者 である浮魚類の動態を軸に、気候・海洋変動が海洋生物 生産システムの動態へ及ぼす影響を解明しようとするも ので、各国の国別の研究計画(国別プログラム)の他、 特定の海域や対象生物に注目した国際共同研究計画(地 域プログラム)から構成される。PICES-GLOBECは後者の 構成要素の一つである。
北太平洋の東西の境界流域である黒潮-親潮域やアラ スカ海流-カリフォルニア海流域では、古くからマイワ シをはじめとする浮魚個体群の変動現象が注目されてき た。またべーリング海などを含む亜寒帯水域では、さけ ・ます類やスケトウダラの生息域として水産海洋学的研 究が精力的に行われてきた。したがって、PICESの出発 にあたり、水産資源学や海洋生物学から海洋物理学まで の海洋科学全てを包括する学際的かつ国際的な共同研究 プロジェクトとして、北太平洋の沿岸および沖合生態系 の動態への気候・海洋変動の影響解明を目的とした PICES-GLOBEC計画「環境収容力と気候 (Carrying Capacity and Climate Change;CCCC)」が 立案されたことは極く自然なことであった。
 第1回年次会合と併催された国際シンポジウム「気候 変動と北方魚類資源」での議論を皮切りに、計画策定の ためのワーキンググループが設置され、1994年第3回年 次会合(根室)でのワークショップ(水産庁後援)で科 学計画をまとめた。第4回年次会合以降、ワーキンググ ループは、実行計画を策定・推進するための実行パネル に改組され、さらに下部組織として「モデリング」、 「沖合生態系」、「沿岸生態系比較」の3つのタスク チームが設置された。第5回年次会合でCCCC全体および タスクチーム別の実行計画を策定し、可能な部分からの 国際比較共同研究の着手へ向けての検討を進めている。

PICES-GLOBEC計画の概要
 2つの空間スケール:CCCC計画の対象海域は北緯30度 以北の北太平洋全域であるが、北太平洋の東西の亜寒帯 循環に対応した海盆規模での研究(Basin-scale study)と 東シナ海からカリフ才ルニア沿岸にいたる縁海および 沿岸域を対象とした比較研究(Regional-scale study)と いう空間的スケールが異なる2つの研究から構成されている。
重点課題:CCCC計画の重点課題としては以下の8項目が リストアップされている:
動物プランクトンおよび魚類のバイオマスや生産性に及ぼす海洋変動の影響の解明
北太平洋の東西での気候変動の同期性の有無の分析
北太平洋の外洋および沿岸生態系の構造の解明
沿岸生態系に及ぼす東岸および西岸境界流の変動の影響の解明
北太平洋の生物生産性変動に影響する要因の分析と、そのさけます類の環境収容力への影響の解明
さけます類の生物学的特性に影響する要因の分析
気候変動に対する種による応答特性の違いの分析
表層生態系の空間的な変位の原因と結果の解明
 このうち、⑤と⑥は、現時点ではまだ具体的な協力関 係の中身については煮詰まっていないが、北太平洋湖河 性魚類委員会(NPAFC)との共同を意図した課題である。 研究戦略:GLOBEC計画における基本研究戦略は、共通の 仮説と研究手法による異なる海域(生態系)間での比較 研究である。CCCC計画ではこのための具体的な戦術として、 ①既往データの解析(retrospective study)、②過 程解明研究(process study)、③観測・モニタリング (observation)、④モデリング(modeli㎎)の4つの研 究活動のフィードバック的進行と、これらを支える⑤ データ管理(data management)の組み合わせを採用し ている。

PICES-GLOBEC計画の今後と課題
 PICES自身は研究実行のための組織と予算を持ってい ない。したがってCCCC計画は加盟各国の予算による国別 GLOBEC計画やGLOBEC関連計画のCCCC計画への部分的ある いは全体的参加によって実現される。国別、海域別に GLOBECやその関連計画の立案・進行状況をみると、米国 とカナダにおいてはCCCC計画を意識した国別計画 (national plan)が策定され一部は実行されつつある。ア ジア側では、我が国を含めて国別計画策定の動きはある が、その具体化や予算の確保の目処が立っていない例が 多く、国際的な共同研究の計画も遅れている。このよう な状況下でのPICESの具体的な役割は、国際共同研究の 誘導と、そのための国別計画の調整であり、ワーク ショップやシンポジウムの開催による関係国間での協力 計画立案、研究進行管理・調整、および研究手法や結果 の比較検討の促進である。今後の具体的な活動の主体は 「沖合生態系」と「沿岸生態系比較」の2つのタスク チームになるが、特に「沿岸生態系比較」チームにおけ るアジア側での共同研究計画の立ち上げが、PICES活動 の地域バランスの観点からも期待されている。
 GLOBEC計画で期待される最大のアウトプットは、物理 要因の作用が海洋生態系、とりわけ生物生産過程に及ぼ す影響を診断・予測するシステムダイナミックスモデル を構築することにある。研究の第一段階では、既往デー タの解析による問題点の把握(作業仮説の設定)とモデ リングによる重要な過程や要素、あるいは情報の欠落部 分の発見、すなわち当面必要となる過程解析研究や観測 ・モニタリングの方向の決定、が最優先の課題である。 1996年6月「モデル」タスクチームは根室市でワーク ショップを開き、海洋物理、海洋の生物生産における低 次栄養段階および高次栄養段階の立場から、各国でのモ デリングの現状とCCCC計画におけるモデリングの方向性 について検討した。高次栄養段階でのモデリングで、食 物綱の構造と年間のバイオマスバランスの海域間比較か ら始め、次いで主要な物理環境要素と生物要素から構成 される栄養動態モデルの構築へと進むことが適当である との共通認識が得られた反面、モデルのイメージについ て海洋物理学の立場と生物学の立場では、まだまだ ギャップが大きいことも明らかになった。なお、ワーク ショップの成果はPICESから刊行される予定であるが、 CCCC計画の推進はもちろん、各国の国別計画や関連プロ ジェクトにおけるモデリングにも参考になるものと期待 される。
 一方、「沖合生態系」と「沿岸生態比較」チームは、 1997年10月14~26日韓国プサン市で開催される第6回年 次会合にあわせて、それぞれ「既往データ解析」に基づ いて当面共同で取り組むべき具体的研究課題を把握する ためのシンポジウム(10月24日)とワークショップ(10月17~18日) を開催する予定である。

日本の対応
1)CCCC計画への積極的参加
 我が国では、日本学術会議海洋学研究連絡委員会の傘 下に日本GLOBEC小委員会が設置され、水産庁をはじめと する関係省庁および大学間での計画立案と連絡調整にあ たってきた。一応の国別計画案は策定されたが、大学お よび省庁の研究機関を横断した計画の予算化は実現して いない。
 しかしながら、農林水産技術会議による「生態秩序計 画」におけるマイワシ関連研究や「太平洋沖合域」にお けるスケトウダラやサンマを対象としたプロジェクト研 究は、その目的や手法においてGLOBEC的である。生態系 研究における有効な戦略の一つは,共通の仮説と手法に よる比較研究である。これらのプロジェクト研究の成果 をCCCC計画の場に持ち込んで他の海域や魚種の成果と比 較することは、その目的達成に貢献するばかりでなく、 CCCC計画の推進にも直接寄与することになる。また、 PICES活動の地域バランスの観点からはアジア側での研 究協力の促進が必要である。第6回年次会合でのワーク ショップは、我が国周辺での沿岸生態系の比較研究につ いて可能な研究協力のあり方を探る絶好の機会である。 今後、長期間にわたって生態系への影響評価などの調査 ・研究が必要となるであろう1997年1月のタンカー「ナ ホトカ」からの原油流出事故による海洋汚染問題への対 応も含めて、日本からの具体的な提案の準備が必要であ る。
2)ポストCCCC計画一持続可能な漁業への対応
 GLOBEC計画の成果の活用方向の一つはいうまでもなく 資源管理への適用である。物理環境の変動に対応した加 入量の変動を予測すること、資源変動のうち物理環境変 動による部分と漁獲による部分を分離すること、さらに 環境変動に対する種間での応答特性の違いや種間の相互 関係を明らかにすることは、今後、国際的に要求される 生態系保全を考慮した資源管理を実現する上で不可欠の 知見である。SCORのワーキンググループ105「漁業生産 が海洋生態系の安定性と多様性に与える影響」では、環 境保護団体からの漁業に対する圧力が強まるなか、適切 な資源管理下での漁業実施の妥当性や、海洋生物資源の 変動における物理環境要因と漁獲の影響の分離などを テーマに検討を進めている。海洋生態系保全を考えなが ら持続可能な漁業のあり方を検討することは、今後の PICESにおいても重要なテーマの一つになると考えられ る。PICESは第5回年次会合において、SCORからの呼び かけに答えてこのワーキンググループヘ代表を派遣し、 CCCC計画の成果を踏まえて検討に参加するとともに、将 来、検討結果の公表と関係研究者による議論のための ワークショップをSCORと共催することも視野に入れた対 応を行うことを決定した。一方我が国は、1995年12月京 都市において、FAOの協力の下で「食料安全保障のた めの持続的貢献に関する国際会議」を主催し、将来の水 産物供給の確保のためには、複数種の一括管理を含む適 切な資源管理措置とそのための調査研究の充実が必要で あるとの提言を盛り込んだ会議宣言(京都宣言)と行動 計画の採択を主導した。国連海洋法の批准により、我が 国も漁獲可能量制を基幹とする資源管理体制に入った今、 CCCC計画は我が国が京都宣言と行動計画の実現をはかり 海洋生物資源管理の研究と実践において主導的役割を果 たす上で一つの格好の舞台であるように思われる。
3)主導性の発揮のために
 PICESは国際条約に基づく政府間の組織であり、条約 の趣旨の範囲で加盟国がそれぞれの思惑の実現を図る場 所である。しかし、国際機関である以上、妥協と協調を 背景とした責任分担が求められ,さらに科学機関を標榜 している以上、議論には常に科学的妥当性が要求される。 過去5年間のPICESでの議論の経過から判断すれば、国 家であれ個人であれ、実現の裏付けを持った前向きな提 案を行い、またその実現に具体的な努カを払うことので きたメンバーがまわりの信頼を獲得し、結果として議論 をリードしてきたように思う。そして、ここで言う実現 の裏付けとは、単に財政的なものだけではなく、まわり が納得できる、あるいは納得せざるを得ない理屈と背景 であったようにも思う。日本はPICESで何を実現しよう とするのか、そのためにどのような行動をとるのか。 PICESの第二段階へ向けた具体的戦略が求められている。

(生物生態部資源生態研究室長)

nrifs-info@ml.affrc.go.jp
back中央水研ニュース No.16目次へ
top中央水研ホームページへ