1.事故の概要
1997年新年早々の1月2日未明、上海からロシア極東
に向けてC重油を運搬していたロシア船籍タンカー「ナ
ホトカ」(13,157トン)が島根県沖合で沈没した。この時、
積載していたC重油約5,000klが流出し、また、船首部
分は約2,800klのC重油を積載したまま漂流を開始した。
流出したC重油の一部分は洋上で油処理剤により乳化・
分散させたが、大部分のC重油と船首部分は、折からの
北西季節風により南東方向に移動した。1月7日には、
流出油が福井県三国町に漂着するとともに、船首部分も
三国町安島に座礁した。流出油量は、我が国では水島油
流出事故に次ぐものであり、流出油の漂着は鳥取県から
新潟県まで6府県に及び、日本海沿岸を広く汚染させた。
漂着した流出油は人海戦術で陸上に汲み上げられた。
事故約1月後の2月5日には、海岸に油塊は認められな
いが、写真1に示したように海岸の岩に流出油が粘着す
るとともに潮溜まりの海水には油膜が観察され、汚染の
深刻さを物語っている。
沈没部分は島根県隠岐島沖合水深2,500mの海底に発見
され、海洋科学技術センターの観測では今なお船体から
C重油の漏出が続いていることが確認されている。した
がって、汚染が長期に及ぶことが懸念され、影響調査や
対策も沈没部分からのC重油の漏出を考慮し、中・長期
的に検討する必要がある。
2.流出油の水生生物に及ぼす影響
流出油の水生生物への影響の仕方は、①油中の有害成
分が細胞や膜に影響する直接的な致死作用、②摂餌行動
の異常など間接的に死に至る準致死作用、③運動性や摂
餌行動を妨げたり、窒息の原因となる油の生物表面への
直接被覆、④有害成分の生物体内への蓄積による水生生
物の汚染や⑤流出油に伴って起こった物理化学的環境変
化による生物の種組成や地理的分布の変化などさまざま
である。油の漂着した海岸では、これらの①から⑤の全
ての影響が考えられるが、とりわけ③の直接的な被覆の
影響が大きいと考えられる。
流出油の水生生物への影響は、油の種類により大きく
異なる。特に、低沸点化合物の水溶性画分の有害性が高
い。したがって、これらの成分を多量に含有する油ほど
水生生物に対する影響が強く、一般に、油の有害性は、
ガソリンで最も強く発現し、A重油、軽油、灯油、B重
油、原油、C重油の順に次第に弱くなる。一方、多環芳
香族化合物や有機硫黄化合物のような高沸点化合物は生
物に蓄積され易く、かつ、代謝され難いために慢性的な
影響が問題になる場合が多い。しかし、これら油の有害
成分の組成は、原油の産地によっても異なる場合が多く、
流出油の生物影響評価を複雑にする。
今回流出した油はC重油であり、比較的水生生物に対
する有害性は弱いと考えられる。しかし、酷寒のシベリ
アで使用できるように、低温下でも流動性を確保するた
めに低沸点成分の添加が指摘されている。したがって、
本来のC重油とは異なった有害性も考えられる。写真2
は、油の付着した巻き貝が流出油の漂着した岩で懸命に
生息している様子を示すが、付近には枯死したイワノリ
も認められ、潮間帯生物に多大な影響があったことが推
察される。すなわち、漂着油の水域生態系への影響の把
握と評価のためには、流出油の漂着状況の実態把握、油
漂着に伴った生物相の変化およびそれらの回復過程を現
場調査により詳細に検討するとともに流出油成分の水生
生物に及ぼす有害性の評価に関する生物飼育実験の両面
から調査・研究が必要である。
3.調査・研究課題と体制
流出油の水生生物影響調査のために、日本海区水産研
究所が流出油の生態系あ影響調査を、中央水産研究所が
流出油成分の水生生物への影響調査を推進することと
なった。前者の生態系への影響調査は、沿岸岩礁・砂浜
域生態系、陸棚域生態系および沖合域生態系に区分して
調査・研究を推進する。沿岸岩礁・砂浜域調査では、油
漂着水域における潮間帯生物相の変化と回復過程の追跡
することにより流出油の影響を解明する。一方、陸棚域
生態系の調査では、底生生物や幼稚魚生物相の変化を、
また、沖合域生態系調査では、動植物プランクトンなど
の低次生産に及ぼす流出油の影響を解明する。流出油成
分の水生生物に及ぼす影響調査は、流出油成分の植物プ
ランクトンや底生生物(甲殼類や多毛類)などの生睦系を
構成する主要な生物に対する影響を解明するとともに、
魚卵の発生過程への影響を解明し、流出油の生態系や再
生産機構への影響を評価する。
これらの調査・研究は水産庁、環境庁並びに科学技術
庁予算で行うが、沿岸岩礁・砂浜域の生態系への影響調
査は、環境庁予算により、また、陸棚・沖合域生態系影
響調査と流出油成分の影響調査は、水産庁および科学技
術庁予算により行う。後者の調査・研究は、科学技術庁
航空宇宙研究所(リモートセンシングによる流出油の監
視方法の開発)、海上保安庁水路部(流出油の漂流予測シ
ステムの高度化)および環境庁国立環境研究所(流出油の
化学的組成と環境動態)と共同で研究を推進する。
一方、タンカー「ナホトカ」油流出事故に係る現地連
絡協議会(本部長:日本海区水産研究所長)において、流
出油の水産資源および生態系影響調査に関する国と関係
府県との共同調査の枠組みが協議された。推進しなけれ
ばならない調査・研究課題を①国が主体、②国と府県が
共同および③府県が主体の調査・研究に分類した。汚染
の実態調査や各府県地先の生態系影響調査は主として府
県が、油成分の残留や生物への影響調査など魚介類等影
響調査は国と府県が共同で、また、沖合域やモデル水域
の生態系影響調査は国が主体となって行うことにし、国
と府県が連携・調整しながら調査・研究を効率的に行う
ことにした。
4.今後の課題
タンカー「ナホトカ」油流出事故のように広範囲の水
域が汚染された油事故では、調査・研究対象水域が広く、
また、潮間帯の性状も砂浜から岩礁まで多岐に富んでい
る。すなわち、それぞれの潮間帯を構成する生物相や漁
場としての利用形態にもそれぞれの特徴が認められる。
したがって、漂着油の生態系への影響は種々の水域の調
査結果を相互に比較して検討することが重要であり、こ
のような調査・研究から油汚染の生態系への影響の程度
と多様な影響の仕方が明らかになり、今後の油汚染対策
のために貴重な資料になると考えられる。このためにも、
国と関係府県の連携・協力による広範囲の調査・研究成
果が期待される。
日本海の海底に沈没した部分から依然として油が流出
している。低温下でも流動性を維持するC重油であるの
で、海底で固化することなく長期間にわたって流出する
可能性がある。今後、流出油の漂流状況や油分濃度の監
視体制を確立するとともに、水産資源と生態系への影響
に関する中長期的な調査体制、調査手法並びに影響評価
手法の確立が要求されるであろう。さらに、実態調査、
影響把握あるいは影響評価から油汚染により破壊された
生態系の修復など油汚染の対策研究の視点が必要である
と考えられる。
沈没部分からの継続的なC重油の流出に対しては油処
理剤による乳化・分散が必要な場合もあると考えられる。
油処理剤の界面活性剤は次第に有害性の低いものが開発
されているが、水生生物に対して無影響ではない。した
がって、流出油のみならず油処理剤の影響、あるいはそ
れらの複合的な影響を把握する調査・研究も重要である。
(環境保全部長)
- 参考
- 写真1 油の漂着した岩と油膜
- 写真2 油の漂着した岩に生息する巻貝
nrifs-info@ml.affrc.go.jp
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