北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を結ぶ狭隘部の中程、カリブ海に面したところにホンジュラ
ス国がある。あまり聞き慣れない国であるが、最近多くの日本人技術者が様々な開発技術援助プ
ロジェクトとの関わりで同国に滞在している。そうした中、1991年から日本の水産関連政府開発
援助(ODA)政策のあり方を問うような新たな水産プロジェクトが始まっている。“モデルペ
スカ”と呼ばれるその事業は、ホンジュラス北部域の中央に位置するトルヒージョ地区だけを対
象とした小規模事業であるため通称“ミニプロジェクト”と日本人の間で呼ばれている。しかし
、そこで根づいた漁民組織化のうねりは現在ホンジュラス全土に波及し、ホンジュラス国の水産
業全体を変えるまでになっている。小生は、1994年に水産物流通・流通施設担当専門家として、
1995年には総括・団長としてホンジュラス国北部沿岸小規模漁業振興計画調査に関わる機会を得
た。ここではホンジュラス国での“ミニプロジェクト”を紹介する中で我が国の水産ODAの課
題を述べる。
1.ミニプロジェクトと漁民運動の芽生え
ホンジュラス国の水産業は、総輸出額の約14%を占めるほか、国民の蛋白質供給源として重視
され、同時に食糧確保、外貨獲得にも振興目標がおかれている。ただし、小規模漁業者の生産手
段は、一部では刺し網、篭漁業、地引き網なども見られるが、多くは船外機を有さないカヌーで
あり、釣り糸を垂らしての手釣りが生産の中心となっている。非効率的な漁法、流通システムの
未整備、保存技術の未熟さなどが原因して漁業活動は停滞し、約8,000人にのぼる漁民(主にア
フリカ人種系のガリフナ族とモンゴロイド系のミスキート族からなる)の生活は貧窮の状況にあ
る。また、漁民は組織化されておらず、漁業権の概念すらない状況にある。水揚げの一部を貯蓄
に回して生産手段の近代化を図る等の姿勢もなく、その日暮らしといった観を免れない。
こうした漁民がODAに求めるものは船外機であり、動力船であり、冷凍庫や製氷機といった
水揚げ施設である。

これはホンジュラス国に限らず開発途上国共通の傾向であり、先進国のODAを物資供与型にし
てきた背景でもある。しかし、その物資に付帯した諸技術が供与対象国に十
分移転されない状況下で物資だけの供与が行われてきたために、物資が故障したり十分稼働しな
い状況で打ち捨てられる場合が非常に多く、現在のODAの問題となっている。ホンジュラス国
でも、過去にECや台湾等が動力船や冷凍施設の供与を行ってきたが、使いこなすことができず
、浜辺で朽ち果てている有り様である(写真1)。それでも漁業者は貧窮を脱する手段として物
資の供与を期待し、供与してもらうことが当たり前と考える傾向もみられる。これに対して、ト
ルヒージョ地区で始まった“ミニプロジェクト”では、先ず日本から派遣された技術専門家が漁
民社会に溶け込み、信頼を得るところから始まった。次に漁民が協同して漁業活動をすることの
メリットを教え、婦女子にはこれまで捨てていた貝殻などコストがかからない物を使って土産品
等を作ることを教えた。また、水揚物の鮮度管理技術とそれを徹底することを教え、米国仲買人
が対米輸出品として評価するまで水準を引き上げることに成功した(写真2)。この結果、漁獲
物の買取価格は事業実施以降2倍近くに上昇した。
さらに事業では、漁業者の生活を改善する目的から貯蓄を奨励し、水揚げ金額の15%を強制的に
貯蓄する仕組みが作られた。この結果、漁民の生活は大幅に改善され、漁民だけの出資金で漁具
置場や船着場が造られるまでになった(写真3)。また、ホンジュラス
水産総局トルヒージョ支部が漁民に簿記技術や船外機技術の研修(参加数のべ4,000人)を行う
ことによって、地区内で漁具や船の修理や販売の管理をすることが可能となり、漁民組織化と
ともに技術援助を受けることを可能にする素地が完成された。
2.全国的な運動への展開と日本の役割
ミニプロジェクトは、単に漁業振興を図ることだけを目的としたものではなく、漁民社会の改
革ジェンダー問題の改善までも視野に入れているところに特徴がある。事実、生活の安定に伴っ
て漁民の表情は明るくなり、漁村コミュニティの形成に高い効果を上げた。そして漁民社会の改
革運動をして、他国ができなかった漁民への真の技術移転を可能にしたと言える。その後、トル
ヒージョ地区の漁民代表が自主的に、かつ自己負担で全国の漁民に漁民組織化の必要性を説いて
回り、他地区の漁民がミニプロジェクトに対して高い関心を持つようになってきていることなど
は、これまでの小規模漁民への技術移転に何が欠けていたのかを気付かせるものになっている。
こうした漁民サイドでの運動の高まりを受けてホンジュラス政府は1993年に我が国に対して水
産業の開発を目的とした無償援助と開発調査を要請し、その申請のもとに1994年に援助が開始さ
れた。小生が参加しているのがこの事業である。その骨子は①西部6地区を拠点とする開発事業
、②希水湖が多く分布し開発が遅れている東部地区(グラシアス・ア・ディオス県)の調査事業
及び、③両地区を含むカリブ海沿岸地域全域のマスタープランをホンジュラス側を支援する立場
で参加し立案すること、の3つからなる。その目的はトルヒージョ地区で根づいたミニプロジェ
クトをホンジュラス国全域で展開し、技術援助の受け手である漁民組織化を全国に作ることにあ
る。
援助事業では、ホンジュラス政府が漁業開発拠点の候補地として設定している地区に赴いて漁
民との集会を行い、①今のホンジュラス漁業に必要なこと、②組織化とはどんなものか、③漁村
社会の形成課題、④流通課題、⑤国内マーケットをどのように作っていくべきか、そこで漁民は
何をしなければならないのか、そして⑥漁民組織化と漁村開発事業はあくまでもホンジュラス政
府の事業であり、日本はホンジュラス政府の方針を支持して援助しているにすぎないこと(日本
がホンジュラスの漁民に物を供与する訳ではないこと)について意見の交換を行った。その数は
10数回に達し、バナナや椰子の林の中で波の音を聞きながら夜10時過ぎまで議論することも
あった。当初機材供与をしない援助であることが分かった時点で集会から離れる漁民もあったが
、多くの漁民は議論に熱心に参加した。漁民の中には移動のためのチャーター機の入り口まで押
し掛けてきて意見を言う場面もあった。また、2年目の調査事業の際には、偶然1年前の集会に
参加したミスキート族の女性と機内で一緒になり、事業に期待していること、自分も女性として
活動に参加していることなどを熱く語ってくれた。
小国に対する技術援助をどのように評価するかはとかく見落とされがちである。ましてやホン
ジュラス国でのミニプロジェクトは、1地区内での活動として細々と始まったものであり、評価
の対象にはなりにくいものと言えよう。しかし、その漁民生活に密着した改革への努力は報われ
、今ホンジュラスの漁民たちの運動へと引き継がれようとしている。
ホンジュラス国の“ミニプロジェクト”は、これまでの水産ODAで不足していたもの、これか
らの援助する側が果たすべき役割とは何であるかを教えてくれた“ビッグプロジェクト”として
これからも小生の中に生き続けるであろう。

写真1.浜辺で朽ち果てたEC供与の動力船。
エンジンの故障を修理する技術がないため放棄せざるを得なかった
(ホンジュラス第2の都市サンペドロスーラ近傍にあるオモアにて)

写真2.鮮度管理が良く他地区よりも高値がつくトルヒージョの漁獲物。
このうち赤魚はアメリカの仲買人の手によってアメリカへ出荷される。
売上げ金額のの15%は強制的に貯蓄され、漁民の生活はその日暮らしから脱した。

写真3.自分たちの貯蓄資金だけで作った立派な船着き場。
来年は手を加えてさらに使いやすくしていくと言う。援助資金だけに頼らない姿勢が確実に
根付きつつある。船外機付きのボートは“モデルペスカ”の貸与物資(トルヒージョ地域内の
プエルト・カスティーヤにて)