【研究情報】
培養細胞を用いた水産生物成分の機能検定
村田昌一

はじめに
 最近まで細胞培養は培養できる細胞の種類が限られることや培養技術が発展していなかった ことから、生化学の研究材料にはならないと考えられていた。しかし、培養器具や装置の発達 で各種の細胞が培養可能になったことや、微量のサンプルがピペットで取り扱うことができる ようになったことから、組織のホモジネ-ト等を用いるほか手法がなかった生化学研究は培養 細胞を用いた研究へと少しずつ変化していった。
 培養細胞を用いる利点は、in vivoや組織を使った実験(in situ)が試験物質を多量に必要と するのに対し、微量のサンプルで試験が可能であること、さらに生体のホメオスタシスの影響 を除き、純粋に細胞レベルで分析が可能なことである。このことから、近年、栄養生理学の分 野でも食品中の機能性物質探索手法の一つとして培養細胞が用いられるようになってきた。
 食事として摂取される脂質の大部分はトリアシルグリセロ-ル(TG)である。摂取された TGは小腸でグリセリンと脂肪酸に分解され、吸収された後、脂肪酸はほぼそのままの形で TGの再合成に利用される。再合成されたTGはリポタンパク質に組み込まれ、血液中へ送ら れる。一方、炭水化物やタンパク質は消化・吸収された後、門脈を経て肝臓へ運ばれ、代謝あ るいは修飾され、利用部位へ運ばれる。従って、食事として摂取された脂質は肝臓での変化を 受けずに直接組織や血液細胞に運ばれ、取り込まれ、その機能に大きな影響を与える可能性が 示されている。
 近年、水産生物に特異的なn-3脂肪酸である5,8,11,14,17-eicosapentaenoic acid(EPA)に抗 動脈硬化症1)、抗血栓症2) 、抗炎症3,4)及び抗アレルギ-作用 5)があることがヒトや動物実験で示され、水産生物の脂質成分に 大きな注目が集められている。水産生物にはこれら脂肪酸以外にも二重結合の位置が異なるn-3 脂肪酸や各種の極長鎖脂肪酸が存在する。しかし、EPAの生理作用やその機作を細胞レベルで検討した報告は少なく、また、水産生物に特異 的に含まれるEPAやDHA以外の脂肪酸の生理作用の検討も十分ではない。本研究ではn-3脂肪酸 であるEPA、DHA及びアサリやハマグリ等の軟体動物に含まれる5,8,11,14-eicosatetraenoic acid (20:4n-3)に注目し、脂質の主要代謝部位である肝臓の初代培養細胞及びヒト組織球性リンパ 腫細胞U937を用いて、細胞の脂質代謝に与える影響を検討した。
 アサリより純化・精製した20:4n-3及びEPA、DHAのn-3脂肪酸、あるいは、陸上生物の主要な 脂肪酸の一つでありn-6脂肪酸である8,11,14,17-eicosatetraenoic acid(20:4n-6)を初代培養 ラット肝臓細胞の培地へ添加し、24時間培養した。培養後、細胞中の脂質濃度と培養肝臓細胞 から培地へ放出された脂質濃度を測定した。
 培養後の細胞中の脂質濃度はTG、コレステロ-ル(chol)ともに20:4n-3、EPA添加群が20 :4n-6添加群に比較して低値傾向を示した(図1)。一方、培養肝臓細胞から培地中へ放出さ れた脂質濃度は、TG及びcholがEPA、DHA、20:4n-3のn-3脂肪酸を培地へ添加した群で20:4n-6 を添加した群に比較して有意な低値を示した(図1)。
 動脈硬化症の一因となる高TG血症や高chol血症等の高脂血症は血液中の脂質濃度が増加し 、最終的には動脈硬化症に進展する可能性がある疾患である6)。これら疾患の原因として、 血液中のリポタンパク質の代謝の遅延やリポタンパク質の合成・分泌器官である小腸や肝臓か らの高濃度の脂質を含むリポタンパク質の放出増加が考えられている6)。従って、本実験の 結果は20:4n-3がEPAと同等の高脂血症の予防・治療食事成分となりうることを示していた。
 摂取された脂質、特にその脂肪酸は末梢組織や血液細胞に取り込まれ、エネルギ-源や細胞 膜脂質の構成成分として利用される。従って、摂取した脂質の脂肪酸組成が末梢の組織の脂肪 酸組成や血小板等の血液細胞の膜脂質脂肪酸組成に反映される。
 一方、細胞は細胞膜を構成する脂質の脂肪酸を利用してプロスタグランジン等の生理活性物 質を産生する。
近年、細胞膜上の脂肪酸の種類によって、産生されるプロスタグランジンが異 なること7)、さらに20:4n-6から産生されるプロスタグラ ンジンの過剰産生が動脈硬化症、血栓症、炎症、免疫不全等の疾患を発生させることが報告 されている8)。従って、食事によって細胞膜上の脂質脂 肪酸組成を変えることはこれら疾患の予防や治療に有効な手法である。
 U937細胞は血液中のリンパ球細胞であり、Phorbol myristate acetate(PMA)等の分化誘導物 質を培地に添加すると、分化の過程で細胞膜上の脂肪酸から積極的にプロスタグランジンを産 生することが知られている9)。そこでU937細胞を用いて 水産物由来n-3脂肪酸が細胞膜脂質組成やプロスタグランジン産生へ与える影響を検討した。 純化・精製した20:4n-3及びEPA、DHAあるいは20:4n-6をU937培養培地へ添加し、4時間培養後、 各種脂肪酸の細胞脂質画分への取り込みを測定した。
 U937細胞リン脂質画分への各脂肪酸の取り込みはn-3脂肪酸が20:4n-6に比較して高い傾向を 示し、n-3脂肪酸はU937細胞の細胞膜へ盛んに取り込まれる可能性が示された。このU937細胞を PMAを含む培地でさらに6時間培養後、細胞から培地中へ放出されたプロスタグランジン濃度を 測定した。その結果、n-3脂肪酸を添加した培地で培養した群は20:4n-6を添加した培地で培養 した群に比較して、TXB2、PGE2、PGD2等の血小板の凝集や動脈硬化症の発症に関与するとされ る2系列プロスタグランジンの産生を顕著に低下させた(図2)。 本実験の結果から、水産生物に含まれるEPA、DHA等のn-3脂肪酸が血小板凝集に伴う血栓症、 炎症、アレルギ-等の疾患の予防や治療に有効な食事成分であることが細胞レベルで確認され、 さらに、私たちが注目した20:4n-3にもEPAと同等の生理作用がある可能性が明らかとなった。
 近年、我が国では食生活が欧米化し、野菜や魚介類の摂取量が減少する一方、動脈硬化症、 血栓症やアレルギ-等の疾患の罹患率が年々増加している。このことは、野菜や魚介類がこれ ら疾患の予防・治療に役立つ食事成分の一つである可能性を示している。 従って、これら疾患の予防や治療のために、広く水産生物より機能を有する成分を探索するこ とが急務である。
 以上、私たちが行っている培養細胞を用いた水産生物に特異な脂肪酸の生理作用解明研究の 一例を示した。しかし、培養細胞を用いた生化学的研究は生体の影響下にない細胞を用いるた め、生体内でありえない現象をみている可能性があることも指摘されている。従って、培養細 胞でのデ-タはきわめて人工的な状況下で得られたものであることをふまえる必要がある。私 たちが行う培養細胞を用いた栄養生理学的研究で得られた結果も、一端ばらばらにした細胞を 組織に、器官にと生理作用の対象をもう一度生体に近づけるようなアプロ-チを行い、さらに 評価することが重要だと考えている。

(利用化学部脂質化学研究室)
参考文献
1) Sanders,T.A.B.et al.,Arteriosclerosis,5,459(1985)
2) Needleman,P.et al.,Proc.Natl.Acad.Sci.USA,76,944(1979)
3) Lee,T.H.et al.,N.Engl.J.Med.,312,1217(1985)
4) Miller,C.C.et al.,Lipids,24,998(1989)
5) Nathaniel,D.J.et al.,Biochem.Biophys.Res.Commun.,131,827 (1985)
6) Goldstein,J.L.et al.,Metabolic Risk Factors in Cardiovascular Disease (Carlson,L.A.et al.ed.)p.17, Raven Press New York (1982)
7) Strasser,T.et al.,Proc.Natl.Acad.Asci.USA,82,1540(1985)
8) Shimizu,T.et al.,J.Neurochem.,55,1(1990)
9) Obermeier,H.,et al.,Biochim.Biophys.Acta,1266,179(1995)


図1.24時間培養後の培地及び細胞脂質濃度
*20:4n-6に対して有意差あり

図2.培地中の2系列プロスタグランジン濃度(ng/mg蛋白)

Shoichi Murata
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