【研究情報】
核DNAの多核を利用した系群解析法の検討
吉田 勝俊

はじめに
 国連海洋法条約の発効に伴い、海洋生物に関して科学的な資源評価に基づいた合理的な 利用が今後より一層求められています。このため水産研究の分野でも漁獲の対象生物の特 性や関連する生態についてより詳しく知り、その有効利用をはかる事は今後ますます重要 になってくると思われます。そのためには、生物の生態、生理及びその集団構造等につい てのより詳しい知見とそれを基にした理論構築が必須となるでしょう。
 また、近年注目されてきた生物集団の多様性の保全に関しては、自然環境の中に放流し た人工種苗を資源として利用しようとする場合に考慮する必要があるかもしれません。す なわち、放流した人工種苗が天然集団に与える影響があるのか無いのか、もしあるのなら ばどの程度のものなのか等についてです。さらに、水産生物の中には鮭のように河で孵化 し海に下り回遊し再び河に帰り産卵する、という生活史を持つものがいます。鮭のように 大回遊をするわけではないが標識漂流等の結果から同様に産卵回帰するのではないかと考 えられているトラフグ、マダラ、ハタハタに関して、これらの魚種が産卵場を単位とした 系群に別れているのではないかという考えがあります。現在、我々の研究室ではこれらの 魚種の系群解析法を検討しています。

集団構造をどのようにして調べるか?
 ここまで述べてきたような疑問に答えるには遺伝学的解析が重要になります。天然集団 の遺伝的な多様性の実態、そして放流魚がそれにどんな影響を与えているのかを知るには 、それぞれの集団を構成する個体の遺伝子の多様性を調べる事が必要になります。あるい は、ある魚種が産卵場に回帰し、繁殖集団毎に分離しているのであれば、それぞれの集団 で独自に遺伝的な変異が蓄積しているはずです。
集団間でその変異を比較する事によってその差を知る事ができます。但し、集団間に 個体の混合があり、隔離期間があまり長くない場合は遺伝的な差違は生じない事になります。
 これら生物の遺伝的差違を知るための手段としては、アイソザイム分析やミトコンドリ アDNA(mtDNA)分析がこれまで用いられてきました1)。 さらに分析技術の進展に伴い、核DNAの分析も可能となってきています 2)。核DNAに含まれる情報量はアイソザイムやmtDNA に比較して圧倒的に多いと考えられますから、その引き出しかたによっては従来得られな かったり、充分ではなかった情報を得る事が可能と期待されます。核DNA解析法としてはフ ィンガープリント法、RAPD法等種々の方法がありますが、我々はマイクロサテライトDNAマ ーカーに注目しています。

マイクロサテライトDNAマーカーとは?
 生物のDNAの中には大きく分けると最終的にタンパク質に翻訳される部分とされない部分 があります。この翻訳されない部分にはマイクロサテライトと呼ばれる2~4塩基程度の長 さの配列が複数回反復した構造が含まれている事が知られています。この反復配列部分の 反復回数が個体毎、つまり遺伝子毎に大きな変異に富んでいる事を利用して、個体識別や 系群識別に利用しようというのがマイクロサテライトDNAマーカーによる方法です。

マイクロサテライトマーカーには以下のような特徴があります。

1) 核DNA中に非常に多くの種類が存在し、同じ分析方法で多数のマーカーを得る事ができる。
2) 非常に高いレベルの変異から低いレベルの変異まで存在するので、用途により使い分けが可能である。
3) 通常単一遺伝子座支配下のマーカーであり均一標本か混合標本かを知る事ができる。
4) PCRが利用できるので少量のサンプルで分析が可能である。

 これらの特徴は遺伝子を識別するためのDNAマーカーとして有用であり、ヒトでは遺伝性 疾患の解析、ガンの診断等に利用が進められています3)。 近年、魚類でもその単離、分析、応用が行われています4)。 基本的には各々の魚種についてマーカーの検索を行い、PCRプライマーを作成する必要が ありますので、この点は対象種の多い水産分野では不利といえます。

実験方法は?
 我々は反復配列の中でも特に高頻度で存在しているとされるgt反復配列を対象に実験を 進めています。
 まず試料から核DNAを抽出し、制限酵素で適当な大きさに切断します。切断した核DNAを サイズ分画をし、数百bp程度のものをベクターに組み込み大腸菌を形質転換して部分ゲノ ムライブラリーを作成します。このライブラリーを(gt)10をプローブとしてスクリーニン グします。得られた陽性クローンの塩基配列を決定し、gt反復配列を含む事を確認します 。次にそのgt反復配列を含む形で隣接領域にPCRプライマーを設計・合成します(図1)。核 DNAを鋳型としてPCRを行い増幅断片が得られる事を確認した後、プライマーを標識して PCRを行います。得られた増幅断片をサイズマーカーとともにシークエンスゲルで泳動し その鎖長を決定します(図2)。増幅フラグメントの検出にはRI標識プライマー/オート ラジオグラフが従来広く用いられてきましたが蛍光標識プライマーを用い蛍光シーケンサ で鎖長決定する方法はプライマーのRI標識作業がないのでRI施設を必要としません。 そのため、操作が簡便であり、データ処理の面でもコンピュータによる鎖長の決定が簡単にで き大量処理が容易な事から、現在我々はこの方法で測定を行っています。但し、いったん 合成したプライマーに後で蛍光標識することは困難ですので、利用できる事を確認した配 列を蛍光標識したPCRプライマーを再度合成して使用しています。プライマーを標識せず 蛍光標識したヌクレオシドをPCRで取り込ませる方法もありますが、次に述べるチャート の問題をさらに複雑にする恐れがありますので現在は使用していません。


図1.PCRプライマーセットの作製

現在までの結果と問題点
 トラフグの核DNAを試料として作成したプライマーを用いてPCRにより増幅したマイクロサ テライトマーカーフラグメントの泳動結果の一例を(図3)に示します。この個体の遺伝子 型は263bp/273bp型であるといえます。ピークが各増幅フラグメントの鎖長に対応します。 理想的には2倍体の生物の場合は1本ないしは2本のピークが現れるはずですが、チャート に示されているように単一のピークにならずに2塩基ずつ鎖長の異なったいくつかのピーク の集まりとなります。これはTaq ポリメラーゼが伸長反応をする段階で鋳型DNAとずれてし まうために起こる現象と考えられています。このチャートから鎖長を判断する事になります 。現在までに4つの座位に対応した4組のPCRプライマーを設計し、増幅が確認できたのは2組 です。そのうちの一組のPCRプライマーで16個体のフグを分析した結果、13の対立遺伝子が 確認されています。まだ試料数が充分ではありませんが、この座位の変異は大きいものと考 えられます。
 ここで示したように、現在の条件で得られるチャートから鎖長を読み取るには訓練と経験 が必要になります。gt反復配列を利用する場合避けられない面もありますが、大量の試料を なるべく簡便・迅速に分析しようとする時にはこれは大きな問題です。 そこで、耐熱性ポリメラーゼの種類、鋳型DNAの処理、PCRプライマーの設計、PCRバッファー、 温度サイクルの条件等を検討する事により、少しでも読みやすいチャートが得られるよう 現在努力しています。この点が改良できればコンピュータを利用した解析がより容易に 行えるようになり、研究の進展に役立つはずです。
 蛍光標識したプライマーでPCR後、異なる蛍光色素で標識されたサイズマーカーと混合 し蛍光シーケンサーで泳動。プライマーとサイズマーカーは蛍光波長で容易に区別できる。

おわりに
 今後、マイクロサテライトDNAマーカーは遺伝的な集団解析で非常に重要な役割を果たす 事になるものと期待されます。一度設計したプライマーは永続的に使用できますので、今後 は、水産研究所としても組織的に様々な魚種のマーカーを蓄積し、必要な場合に供給できる 様な仕組を考える必要があります。それにより資源解析や生物の多様性解析の研究がさらに 進展するものと考えています。

(生物機能部分子化学研究室)

参考文献 1) 和田志郎:中央水研ニュース,12,6-8(1996)
2) 中山一郎:養殖研究所報告,24,1-15(1995)
3) L.Mao,M.P.Schoenberg,M.Scicchitano,Y.S. Erozan,A.Merlo,D.Schwab,and D.Sidransky:Science,271,659-662 (1996)
4) J.M.Wrigt,and P.Bentzen:Reviews in Fish Biology and Fisheries,4,384-388 (1994)


図3.マイクロサテライトDNAのPCR増幅断片ゲル電気泳動チャート


 目次へ  中央水研ニュース15目次へ