【研究情報】マイワシ加入量変動に関する日米比較共同研究

和田 時夫

 横浜港から一路東へ、茫漠たる太平洋を隔てて4500海里のかなたに「どこまでも青い空と輝く太陽」 のカリフォルニアがあります。ところで、このカリフォルニアの沿岸でも日本のマイワシ (Sardinops melanostictus)の近縁種(カリフォルニアマイワシ、Sardinops caerulea) が昔から資源変動を繰り返してきたことをご存じでしょうか。我が国がマイワシの豊漁にわいていた1930~1940年ごろ 、カリフォルニア沿岸もマイワシの豊漁にわき、港はまき網漁船であふれ海岸沿いに多くの缶詰工場がひ しめきあっていました。第二次世界大戦後、両海域ともマイワシ資源は激減し、1950~1960年代を通じて 著しい低水準にとどまっていました。その後、我が国周辺の資源は1970年代中頃から回復し1980年代には ピークを迎えましたが、カリフォルニアのマイワシには回復の兆しは見えませんでした。しかし、我が国 周辺のマイワシ資源が減少をはじめた1980年代の末から急激に増加、回復に転じ現在も増加中です。
 前回は一致した両海域の資源増加のタイミングが、なぜ今回はズレたのか? そもそも、マイワシはな ぜかくも大規模な資源変動を繰り返すのか? 答えの糸口をつかむため、中央水産研究所生物生態部は米 国海洋大気庁南西水産科学センター(カリフォルニア州ラホヤ)のJohn Hunter博士のグループ(沿岸漁 業資源部)と平成7年度科学技術庁科学技術振興調整費個別重要国際共同研究「黒潮-親潮海流域とカリ フォルニア海流域におけるマイワシ加入量変動の比較研究」を開始しました。この日米比較共同研究の概 要をご紹介します。

なぜ比較研究が必要か?

一致する資源変動パターンと異なる海洋環境
 マイワシ類(Sardina属1種とSardinops属5種)は世界の温帯水域に広く分布しています。その主な分 布域は、南西ヨーロッパから北アフリカの大西洋岸を経て地中海にいたる海域(Sardina pilchardus )、南アフリカ沿岸のベンゲラ海流域(Sardinops ocellatus)、オーストラリア南部からニュー ジーランド周辺海域(S. neopilchardus)、南米ペルーからチリ沖のフンボルト海流域(S. sagax) 、北米西岸のカリフォルニア海流域、そして我が国周辺の黒潮-親潮域です。これらの海域のマイワシ資源 は古くから数十年周期の大変動を繰り返してきたことが知られています。漁獲統計が整備されている20世紀 に入ってからの資源変動をみると、興味深いことに海域間で変動のパターンがほぼ一致しているようにみえ ます。冒頭に紹介した日本周辺とカリフォルニアの間の他に、南米沖のマイワシでも資源は1980年代中頃に ピークに達した後急激に減少しています。一方、南アフリカ沿岸では変動の周期は他の海域とほぼ一致して いますが、位相は反対になっており1980年代を中心に低水準期を迎えています。このように分布する海域が 遠く隔たっているにもかかわらず資源変動のパターンや周期がほぼ一致するらしいことから、マイワシ類の 資源変動の背後には地球規模での気候・海洋変動があると考えられてきました。マイワシ類は全てプランク トン食者です。そこで最近では、気候・海洋変動に対応した餌料プランクトンの生産性の変化が、仔稚魚時 代の生き残りを左右して、資源変動の原因となるとする説が有力です。最近のカリフォルニア海流域では、 海域の生物生産性の高い時代とマイワシ資源の高水準期が対応することが報告されています。
 ところで、資源変動の位相が一致しているようにみえるマイワシ類ですが、それぞれ分布する海域の餌料 プランクトン生産にかかわる海洋の物理環境は大きく異なっています。黒潮-親潮海域では、冬に海の表層 と下層がよく混じりあうことにより下層の栄養塩が表層に供給されます。この栄養塩をもとに春に珪藻が大 増殖しますが、これが年間の基礎生産の大部分をしめています。一方、カリフォルニア海流域やフンボルト 海流域では、夏季を中心に沿岸域で下層の栄養塩に富んだ海水が表層に湧きあがる湧昇流が発達し植物プラ ンクトンが増殖します。もし、海洋の物理環境が異なる二つの海域の間でマイワシの生き残り過程やそれに 関わる要因を比較できれば、変動を一致させる原因や資源大変動に関わる要因を明らかにできると期待され ます。そこで、わが中央水産研究所と同様、マイワシ研究では長い伝統と実績を誇る南西水産科学センター との間での比較共同研究を思いたちました。1992年に北太平洋での海洋科学分野での国際協力の促進を目的 に設立されたPICES(北太平洋の海洋科学に関する機関)での浮魚に関するワーキンググループ活動を通じ て、双方の研究者間で共通の問題認識ができていたことが、計画を進める上で大きく幸いしました。加えて 、日本側では農林水産省の大型別枠研究「生態秩序計画」により、米国側ではCalCOFI(California Cooperative Oceanic Fisheries Investigations)により一定の研究の蓄積が進んでいたことも共同研究への強力な動 機となりました。

何を研究するか?

研究計画の概要と特徴
 共同研究を実施するにあたり双方で合意した当面3カ年程度の研究計画は以下の通りです。
1)既往のデータ解析による変動特性の比較
(1)マトリックスモデルによる生命表の比較解析
(2)加入量変動の比較解析。
2)海域の餌料生物生産性と加入量変動の比較解析
(3)耳石日周輪間隔に基づく後期仔魚~稚魚期の成長履歴の比較解析
(4)再生産モデルの構築と気候・海洋変動に対する応答特性の比較分析

 この共同研究では、両海域でのマイワシ資源変動とそれに関わる成長、死亡、再生産率と餌料生物生産性 の比較に重点をおいています。その中でも特徴的な考え方は、後期仔魚(シラス)期から稚魚期にかけての 個体成長に注目していることです。マイワシ類の資源変動は毎年の加入量変動によって引き起こされます。 この加入量変動は、卵から稚魚期までの生活史の初期段階での生き残りの程度によって決まると考えられて います。これまでの仮説では、卵から孵化した仔魚が初めて餌をとる段階で餌不足によって起こる飢餓が加 入量の変動を引き起こすと考えられてきました。しかし、最近、日本のマイワシなどでは、その後の後期仔 魚期から稚魚期にかけての生き残りの年変動の影響がより大きいことが明らかになっています。
 後期仔魚から稚魚の段階では、飢え死によりも他の魚類や肉食性の動物プランクトンによる捕食が主たる 死亡原因であると考えられています。しかし、捕食されているマイワシ仔稚魚の総量を野外で直接に評価す ることは極めて困難です。ところで、海洋の食物連鎖は「大きいものが小さいものを食べる」という関係で 成り立っています。マイワシ仔稚魚の間でも成長の早い個体は捕食される危険の大きい時期を早く乗り切る ことができ、結果的に生き残る確率が大きくなると期待されます。そこで、後期仔魚から稚魚にかけての間 で節目になるサイズを選び、それぞれ耳石日周輪の間隔から成長の軌跡を復元しサイズ間で比較することに よって、どの様な成長の経過をたどったものが生き残って漁獲対象資源へ加入することができるのか、成長 と生き残りの関係を明らかにしようとしています。また、分析対象となる仔稚魚を採集した時点での環境要 因を比較することで、成長と生き残りに関わる要因を明らかにできると考えています。

何がわかったか?

平成7年度研究経過
 平成7年度には当方から2名(初期生態研究室の銭谷 弘さんと私)を先方に派遣、また先方から2名( Nancy Lo博士とLarry Jacobson博士)を当所に招へいし、マトリックスモデルによる生命表の比較解析と加 入量変動の比較解析を行いました。  生命表解析では銭谷さんとLo博士を中心に、初期生態研究室の渡邊良朗さん(現東京大学海洋研究所)、 東北水産研究所八戸支所長の黒田一紀さんらの協力を得て作業を進めました。まず日本周辺のマイワシの生 活史を体長を基準に11段階にわけ、既往の知見やデータに基づいて段階別の死亡率、成長率、産卵数を1日 あたりの値として求め、さらに成長率と体長範囲から段階別の期間(日数)を求めました。ついでマトリッ クスモデルにより、どの生活史段階のどの要因が個体数変動(加入量変動)に影響するかを分析し、すでに 解析が進んでいるカリフォルニアマイワシの結果と比較しました。その結果、両海域のマイワシとも卵およ び前期仔魚期の死亡率が最も影響するものの、日本のマイワシでは後期仔魚期から稚魚期における期間の影 響が相対的に大きいことが示されました。これは、この時期の個体成長の変化が加入量変動にとって重要で あることを意味しており、「生態秩序計画」の研究の中で渡邊さんらによって明らかにされた「マイワシの 加入量の決定には後期仔魚期以降の生き残りが重要である」という結果と一致するものでした。
 一方、加入量変動の比較は私とJacobson博士を中心に、資源生態研究室の木下貴裕さんらの協力を得て行 いました。カリフォルニアマイワシでは古くからコホート解析による資源量推定が行われており、また無酸 素状態にある海盆の堆積物中の鱗の量から、過去1,500年にも遡って資源変動が復元されています。これに 対し、日本のマイワシでは、共同研究に着手した時点では1970年代以降の資源量しか計算されておらず、そ こで取りあえず過去40年間程度の資源変動を復元することを試みました。データセットのそろっている太平 洋側のマイワシを対象に、1976年以降の年齢別漁獲尾数と1951年以降の漁獲量と産卵量のデータを整え、コ ホート解析手法やシミュレーション手法により1951年以降の毎年の資源量、加入量、産卵量の時系列を復元 しました。このデータに基づき再生産関係を検討した結果、1970年代を境に、それぞれ密度依存的であるが 平衡資源量が大きく(約2桁)異なる2つのグループに分かれることが示されました。
 解析は始まったばかりでありさらに検討が必要ですが、これまでに得られた結果と関連する知見を総合す ると、マイワシの初期生活史について2つの海域の間で次のような違いがみえてきました。カリフォルニア 海流域では資源の増加にともない産卵場が生産性の高い湧昇流域に沿って南北へ拡大します。このことによ って産卵場内での卵の密度は産卵量にかかわらず一定に保たれます。この背景として、分布域が湧昇流域に 限られることから産卵場と仔稚魚の成育場は一致しており、仔稚魚の良好な成長と生き残りのためには、産 卵量の増加とともに産卵場(=成育場)を拡大して一定の餌料環境を確保する必要があることが考えられま す。一方、黒潮-親潮域では、資源の増加にともない1980年以降は産主卵場は九州南に移動しさらに黒潮主 流域へ拡大しますが、面積の広がりはそれほどではなく、産卵場内での卵の密度は産卵量とともに増加しま す。資源の高水準期には稚仔魚にとっての主な成育場は黒潮と親潮の間に広がる混合水域であり、産卵場か らこの海域への稚仔魚の輸送条件とこの海域での餌料生物生産性が加入量変動の鍵を握ると推察されます。 このように、稚仔魚の成育場をめぐる両海域の違いがみえてきたことにより、共同研究の次の段階である海 域の生産性と加入量変動関係の比較解析がますます重要になってきました。

Intermezzo

CalCOFI年次会合
 南西水産科学センター(ラホヤ)での共同研究に先立ち、10月31日~11月2日の3日間ロサンゼルス近郊 のレイク・アローヘッドで開かれたCalCOFI年次会合にも参加することができました。CalCOFIは、戦後のマ イワシ資源の減少をきっかけに資源変動機構の解明と予測を目指して、連邦政府およびカリフォルニア州の 研究機関、スクリップス海洋研究所を中心に組織されたものです。その後対象をカタクチイワシなどの他の 浮魚類にも広げ、常に世界をリードする議論を続けてきました。最近ではメキシコの国立水産研究所も加わ った国際共同研究組織になっています。今回の会合では、最近のカリフォルニアマイワシの資源回復をにら んで1994年に行われた米国とメキシコの共同調査の結果を中心に研究発表と討論が行われました。わが方か らも「生態秩序計画」の成果を中心に、最近の日本のマイワシ資源の状況と研究の概要を報告し、カリフォ ルニアマイワシとの比較の観点から議論の好材料を提供することができました。
 初期生態研究室の木村 量さんと資源生態研究室の佐藤千夏子さんも、平成7年度重点基礎研究予算によ り私たちの派遣にあわせて渡米し、このCalCOFI会合に参加することができました。その後ラホヤで私達の 共同研究に加わり、今後新たにカウンターパートとなるJohn Butler博士やBeverly Macewicz博士と仔稚魚 の成長解析手法やマイワシ産卵回数推定のための卵巣の組織学的観察法などについて意見交換し、予備的な 分析作業を行いました。
 参加者全員が湖畔の森の中のロッジに泊まり込んでの3日間は、アットホームな雰囲気の中にも様々な分 野の研究者と親しく意見を交換する絶好の機会でした。帰国後はいよいよ真剣に取り組まなければならない マイワシやマサバの資源評価と生物学的許容漁獲量の算定をしばし忘れて、深まり行く米国の秋にひたった 3日間でもありました。

これから何をするか?

今後の研究計画
 平成8年度には、先に述べた研究計画のうち、海域の餌料生物生産性と加入量変動の比較解析として、耳 石日周輪間隔に基づく後期仔魚~稚魚期の成長履歴の比較解析と、再生産モデルの構築と気候・海洋変動に 対する応答特性の比較分析を予定しています。このため「気候・海洋変動に対するマイワシ個体群の応答に 関する比較研究」(平成8年度科学技術振興調整費による国際共同研究総合推進制度)を提案中です。
 さらに将来の展望としては、構築された再生産モデルを検証する上で重要となる個体成長履歴の比較解析 や餌料プランクトンの生産過程の比較解析を促進するため、共通のアイデアと手法による野外調査(サンプ リング)と解析を行う必要があると考えています。また、この共同研究で得られた成果を、PICESやGLOBEC (Global Ocean Ecosystem Dynamics)計画などの国際機関や国際共同研究計画を通じて、浮魚資源の動態 解明と管理のためのより幅広い国際研究協力に発展させたいと願っています。
 将来の人口増加に対応した食料の安定供給は中開発および開発途上地域においてより深刻な課題です。マ イワシやカタクチイワシをはじめとする小型浮魚類の分布域は、中開発および開発途上地域が集中する中緯 度から低緯度地方の沿岸域に対応もしくは隣接しており、その資源はこれらの地域の将来の食料供給の点で 重要な切り札になると考えられます。水産資源研究の先進国であり、しかも小型浮魚類研究にとって絶好の フィールドをもつ日本と米国の研究者にとって、浮魚類の資源変動機構の解明と動向予測研究を共同で推進 し、その成果を中開発および開発途上地域を含めた国際研究協力に発展させることは一つの使命であると考 えています。
 この共同研究は始まったばかりですが、すでに両海域の違いを示唆する結果が得られるなど幸先よいスタ ートを切ることができました。今後、解析を次の段階に進めるとともに、平成7年度の成果を逐次論文とし て発表することこそ、この共同研究を継続させ発展させるポイントであると感じています。
 平成7年度共同研究の実施にあたり、農林水産技術会議国際研究課および水産庁研究課等の関係各位には 予算獲得やその実行にあたり大変お世話になりました。この紙面を借りて厚くお礼申し上げますとともに、 今後もご支援を賜りますようお願いいたします。

写真1:CalCOFI年次会合が開かれたカリフォルニア大学 ロサンゼルス校の山荘(メインホール)。周辺の森の中に多数のコテージが点在している。

写真2:落ち着いた雰囲気のポスターセッション会場。 夜にはビールやワイン片手に議論が盛り上がった。ハローウィンの時期でありテーブルの上のカボチャの 飾りに注目。

(生物生態部資源生態研究室長)