伊勢・三河湾漁場生産力モデル開発基礎調査は、愛知県水産試験場漁業生産研究所、三重県水産技術センターおよび中央水産研究所海洋生産部の物質循環研究室と低次生産研究室、および生物生態部の初期生態研究室の各担当者の協力のもと、平成6年から5年間の予定で実施されている水産庁資源課主管の事業であり、表1に示す(1)~(5)までの調査で構成されている。本調査は生態系モデルを構築することを事業の出口としている。生態系モデルの具体的な構築作業は調査開始から4年目以降であり、現在はモデル構築のための概念つくりとパラメータの作成期間中である。平成7年10月、25日~26日に伊勢・三河湾漁場生産力モデル開発基礎調査検討会が開催され、昨年度の調査結果が報告された。以下に本調査の概要と平成6年度における結果の一部を紹介する。
調査名 | 項目 | 頻度 | 備考 |
(1)低次生産調査 | 栄養塩 クロロフィル 基礎生産量等 | 12月~翌年3月:旬毎 4月~6月:月毎 | 10m層採水 プランクトンネット 疑似現場法等 |
(2)二次生産調査 | コペポーダ ノープリウス分布量等 | 12月~翌年3月:旬毎 4月~6月:月毎 | 10m層採水 プランクトンネット |
(3)初期生態調査 | 仔魚分布 成長予測式 耳石日輪等 | 12月~翌年3月:旬毎 4月~6月:月毎 | ボンゴネット 船曳き網試験操業 |
(4)再生産調査 | 親魚成長 成熟調査 | 産卵期直前、漁期後等適宜 | 飼育実験 漁獲統計 から釣り等 |
(5)食物連鎖調査 | 胃内容物査定 | 1月~6月:毎月 | 船曳網試験操業 小型底曳網試験操業 標本、飼育実験等 |
1.調査の目的伊勢・三河湾における重要漁業種であるイカナゴについては、漁業者自身の強い関心と愛知、三重両県研究機関の調査・研究により漁業、経営を包括した「イカナゴ漁業管理モデル」が作られ、両県の漁業者(主に船曳綱漁業、図1)が自主的に漁業管理を行う体制がとられている。愛知、三重両県の調査・研究担当者は1月から3月中句まで伊勢湾内での仔魚の分布調査を実施しており、イカナゴの体長組成をもとにしてシラス漁業の解禁日を決定し、発生量および成長量に応じて終了日を決めている。この解禁日等の決定方法はイカナゴ漁獲物の体長組成や漁獲量の推移に基づいており、時として餌料生物量や海洋環境の変動等により引き起こされた成長パターンや加入機構の変化により、最適な解禁・終了日を読み違える場合もあった。漁場生産力モデルでは、半閉鎖系である伊勢・三河湾を1つの生態系とみたて、イカナゴを鍵種とした餌料生物や低次生産の関係等をもとに構築したイカナゴ資源変動の予測手法の開発を目的としている。最終的には、イカナゴ漁業資源の漁期前予測と最適解禁日および最適終了日予測のための支援ソフトが完成されることになっている。図1 試験操業中のイカナゴシラス船曳網漁船
2.調査の設計本調査は、伊勢・三河湾において蓄積されたプランクトンやイカナゴに関する知見に基づいて設計されている。伊勢湾産のイカナゴに関しては、山田1)に再生産から仔魚期の減耗過程についてまとめられている。伊勢湾産イカナゴは、夏季から秋季にかけての高水温期に伊勢湾口付近に潜砂する”夏眠”と呼ばれる特殊な生態がある。夏眼中は漁獲の影響もなく、弊死も少ない。すなわち、イカナゴが出現する冬から初夏における生態系の把握ができれば、モデルの構築の当初の目的を果たせるものと考えられる。野外調査の基本的な採集点は図2に示した湾内外の26定点である。調査間隔は12~3月を旬毎、4~6月を月毎とした。さらにイカナゴの生物学的基礎知見を得るための飼育実験も設定した。以下に各調査の調査設計の考えかたおよび各調査担当機関を記述する。
図2 漁場生産力モデルの調査定点
定点10では、疑似現場法により基礎生産量が測定されている。
(1)低次生産調査および(2)二次生産調査
伊勢・三河湾における物理環境と基礎生産力との対応関係の把握および基礎生産とイカナゴの餌科生物の変動機構の把握を目的として、以下のような低次生産調査および二次生産に関わる調査を計画した。基礎生産力調査は擬似現場法にもとずき、湾の中心部の定点10で継続的に観測を実施するものとした。低次生産にかかわる栄養塩、クロロフィル量および二次生産にかかわるコペポーダのノープリウス幼生(イカナゴ仔魚期の主要な初期餌料)の調査は各採集点の10m水深からの採水により行うものとした。10m水深としたのは、イカナゴ仔魚の主分布水深が約10mである2)ことから設定した。また、100μm目合いのネットによるコペポーダ等の調査も設定した。野外調査を愛知県水産試験場漁業生産研究所と三重県水産技術センターに依頼し、基礎生産量、栄養塩、クロロフィルの分析を当研究所の物質循環研究室が担当した。コペポーダとノープリウスに関する計数等は主に外注により処理することとした。各調査結果の解析にあたっては、上記の参画機関の他に当研究所の海洋生産部低次生産研究室の協力を得た。
(3)初期生活期調査
伊勢・三河湾におけるイカナゴの初期生活期における成長、生残と餌量環境とのかかわりを把握するための基礎データを得ることを目的として初期生活期調査を計画した。従来、愛知および三重の両県ではイカナゴ仔魚およびその他競合種の分布量の把握のためボンゴネットの斜行曳網による調査を実施していたが、本事業の開始に伴い、各定点で両県が旬毎に交互にボンゴネットの斜行曳網による調査を実施する体制をとった。これらの調査で得られたデータは参加機関の共通のデータとして活用している。魚類の初期生活期における研究においては、耳石日周輪を用いた誕生日組成解析や成長解析が行われる。イカナゴの耳石には明瞭な輪紋構造が見られる(図3-(a))が、この輪紋構造が日周輪であることは確認されていない。そこでこの点を確認するための飼育実験を三重県水産技術センターに依頼した。また、RNA/DNAを指標とした成長予測式を作成するための飼育実験を設定し、三重県水産技術センターに依頼した。RNA/DNA等の分析は当研究室が担当した。
(4)再生産調査
イカナゴの夏眠直前における残存資源量および体長組成等の漁業生物学的な情報は、既存の調査(資源管理型漁業推進総合対策事業等)で数年にわたり把握されている。夏眠後の成熟過程に関しての研究は、愛知県水産試験場漁業生産研究所と三重県水産枝術センターを中心に精力的にすすめられている。漁場生産力モデルでも、イカナゴ親魚の成熟・再生産過程に関して夏眠前の栄養状態等が再生産に与える影響を把握することを目的として飼育実験および野外調査を計画した。飼育実験は三童県水産技術センター、野外調査は愛知県水産試験場漁業生産研究所と三重県水産技術センターに依頼した。
(5)食物連鎖調査
生態系モデルの構築に必要なイカナゴを鍵種とした生物群集構造等を把握することを目的として食物連鎖調査を計画した。イカナゴが夏眠中の夏から秋の魚類群集構造に関しては既に報告3)があるので、冬から夏を中心に調査・実験を設定した。資料として、「中部新国際空港の漁業に関する調査」4)で行われている船曳綱および小型底曳綱の試験操業標本の一部を借用し、漁獲物の胃内容物の査定を実施することとした。この胃内容物の査定作業は当初期生態研究室で担当することとした。一方、胃内容物の査定だけでは把握できないイカナゴ仔魚の捕食者を確認するための飼育実験を三童県水産枝術センターに依頼した。
3.平成6年度の結果の概要
平成6年12月から平成7年6月までの調査期間中において、伊勢湾におけるイカナゴシラス漁は大不漁となった。この原因の解明のための貴重な情報を漁場生産力モデル開発基礎調査は提供したものと自負している。以下に今年度の各調査研究担当者からの報告の一部を示す。なお、調査がはじまってから1年目であることから、未公表のデータを多く含んでいる。詳細は、各研究担当者の学会講演および投稿論文が出版されるまでお待ち願いたい。
(1)低次生産調査および(2)二次生産調査
基礎生産量の変動には水温が大きく関与していると報告された。しかし、基礎生産量およびノープリウス幼生の分布密度は、1月上旬以降同時に急激に減少していた。基礎生産量の変動をノープリウスが制御するような食う食われるの関係があるのかもしれない。基礎生産量およびコペポーダの生産量(ノープリウス量)の因果関係については、さらに検討を積み重ねていく子定である。
(3)初期生活期調査
耳右輪紋が日輪であることの確認作業は現在も継続中である。扁平石の核から半径20μm以内の領域は、イカナゴ仔魚の初期成長が遅いため光学顕微鏡レベルでは輪紋構造の詳細を視認できない(図3-(b))。このため、輪紋数と飼育日数を比較すると輪紋数は飼育日数よりも少なくなる。今後、走査型電子顕微鏡を用いてこの領域の観察を行い、輪紋構造が日輪であることの確認を継続する予定である。
RNA/DNAを指標とした成長予測式の作成は、体長20mmまでの仔魚については分析が終了した。さらに、成長した仔魚についても分析する予定である。仔魚期の形態発達については津本・山田5)が報告している。今後、耳石の輪紋構造やRNA/DNAが形態の発達に伴いどのように変化するかが検討されるであろう。
図3 イカナゴ(SL35mm)の耳石(扁平石)(a)
核周辺の拡大図(b)、
核(矢印)から半径20μm以内の輪紋構造が不明瞭。
(4)再生産調査
伊勢湾産イカナゴは、夏眠移行期の栄養状態の良否(肥満度4.2以上が基準)が産卵の可否を決定することが飼育実験により確認された。伊勢湾に棲息するイカナゴの年齢組成は、漁獲圧が非常に高いため、夏眠時において0歳と1歳の2つのコホートのみが出現する。今年度の、夏眠移行期における肥満度が4.2以上の個体の出現率は0歳魚が約10%、1歳魚が約75%であった。天然海域ではイカナゴの資源水準が高い時に、密度効果により肥満度が基準値以下になる個体が大量に出現する場合がある。親魚資源の年齢組成が再生産過程でどのように影響するかを検討する予定である。
(5)食物連鎖調査
1994年の胃内容物査定の結果では、イカナゴ仔魚を捕食していた魚種は、カタクチイワシ、サッパ、イシガレイおよびマアナゴの4種が確認された程度であった。これらの魚種の2~6月までの現存量は、イカナゴと比べてはるかに少なかった(図4)。また、1995年のボンゴネットの採集結果でも、イカナゴ仔魚の分布量は他の競合魚種の分布量と比較して卓越していた。冬から春は、伊勢湾の魚類生態系はイカナゴの一人舞台であると思われる。1995年の冬から春に、イカナゴ親魚によるイカナゴ仔魚の捕食が野外調査で確認されている。6)また、29年ぶりに1995年2月にイカナゴの1歳魚が伊勢湾奥部まで回遊し、仔魚の分布範囲とかなり重複したことも確認されている。7)仔魚と親魚の回遊範囲の変化が原因となり、親魚による仔魚の捕食圧が増したことが1995年漁期にイカナゴシラス漁が不調となった主要因である可能性もある。親魚の回遊範囲の変化がおきた要因については、餌料や海洋環境を考慮して検討を重ねていくことになる。
図4 伊勢・三河湾におけるイカナゴおよび胃内容物中にイカナゴが確認された魚種の現存量(kg/m2)の1994年1~6月の変化
「中部新国際空港の漁業に関する調査報告書(平成5年度資料・第四分冊)」から作成。
4.雑感
伊勢・三河湾での本事業が進行するにつれ、生態系モデルの構築がいかに大変な作業であるかを思い知らされている。イカナゴの生態だけ見ても1つの調査が終わり結果が出た段階で、その結果に対する解釈をするために新たな調査を考えなければならないという状況にある。生態研究とは果てしない仕事であり、興味つきないテーマである。伊勢・三河湾漁場生産力モデル開発基礎調査は中央ブロック内における生態系研究の好事例となるであろう。(生物生態部初期生態研究室)