「研究二一ズ・シーズの探索」

生物多様性条約締約国会議の補助機関の第1回会合について

中野広

 平成7年9月4日から8日までパリのユネスコ本部において「生物多様性条約・生物の多様性に関する条約の科学上・技術上の助言に関する補助機関(SBSTTA)」の第1回会合が開かれ、これに出席した。折しも、フランスは核実験の実施で騒然としており、また、核実験とは直接的な関係ないようであったが、出発した当日のエールフランスのハイジャック事件や会議の期間中にもパリ郊外ベルサイユやリヨン市街で爆破事件もあった。これらのためにユネスコ本部に近いエッフェル塔にも警察や軍隊が出動し、百貨店の入り日では荷物チェックを受けるなどの状況であった。また、フランスが核実験した当日には、SBSTTAの会議中に核実験に抗議するシールが回ってきたり、本会議でもグリンピース等が核実験が最も生物多様性に影響する等の抗議する場面もあった。
 今年はユネスコ発足50年。ユネスコ本部はエッフェル塔から徒歩7~8分の官庁街の一角、ホテルはユネスコ本部から徒歩5分の路地の奥にあった。会議は夜遅くまであり、周辺にはレストランはなかったので、会議後の夕食に苦労した。パリ大使館に出向されている小風(前水産庁国際課)さんの招待も、会議が長引いてキャンセルとなり、パリ観光の時間もなく、文字通りホテルと会場のユネスコ本部との往復であった。
 本稿の目的は、このSBSTTAの第1回会合の報告であるが、この会議を理解していただくために、最初に、生物多様性条約とSBSTTAについての簡単な説明後、次に第1回の会合の内容を報告し、最後に、今後の水産庁研究所の対応についてをも含め感想を書いてみたい。
ユネスコ本部

SBSTTA会議場

ホテルの前で開かれていた朝市と路上駐車の車の列

1.生物多様性条約(Convention on Biologial DiverSity)とは
 「生物多様性条約」は、1992年のリオデジャネイロで開かれた地球サミットで各国の代表が署名し1993年に発効した。我が国は第18番目に本条約を批唯した。生物多様性条約の目的は、生物の絶滅を防ぎ、生物種を人間の生活に利用しながら、次世代に可能な限り手渡していくことである。従来、野生生物の生存をはかるため、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)」、「水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(ラムサール条約)」、「二国間渡り鳥保護条約」等の個別的条約があったが、本条約は従来の野生生物保護の枠組みを広げ、地球上の生物の多様性を保全するための包括的で基本的な枠組みを示したものである。
 この条約では、地球上のあらゆる生物の多様さを「生態系」、「生物種」及び「種内(遺伝子)」の3つの観点で捉え、生物の生息環境と共にそれを最大限に保全し、その持続的な利用の実現と生物のもつ遺伝資源から得られる利益の公平な配分が唱われている。このため、生物多様性保全のための国家戦略の策定、保全上重要な地域や種の選定及びモニタリング、保護地域体系の確立、絶滅のおそれのある種の保護・回復及び生物資源の持続的な利用アセスメント制度の導入などを締約国に求めている。このうち、国家戦略の策定に関しては、既に、10月24日の朝日新聞で「不十分なものである」との意見が出され話題となったが、わが国においても10月31日に開かれた地球環境保全に関する閣僚会議で決定された。
 この条約の発効までには、国際的に重要な地域や種を選定し保全や国際協力のプライオリティー(優先権)を与えるグローバルリスト問題、遺伝資源の提供国の権利や関連情報技術の移転についての資源利用による利益の配分と資金等の問題で難航し、条約は先進国と開発途上国の妥協の産物であるといわれている。遺伝資源の利益の配分等でこの条約を問題視しているアメリカは末だ批准していない。なお、国連海洋法と生物多様性条約との関係では、海洋については国連海津法に基づく国家の権利及び義務に適合するようこの条約を実施する(第22条の2項)ことになっている。

2.生物多様性条約に関する科学上・技術上の助言に関する補助機関(SBSTTA:Subsidiary Body on Scientific Technlcal and Technological Advices)について
 SBSTTAは生物多様性条約第25条の規定で設置された機関で、締約国会議及び適当な場合には他の補助機関に対し、この条約の実施に関連する適宜の助言を提供することになっている。また、この機関は学際的な性格を有し、関連する専門分野に関する知識を充分に有している政府の代表者により構成され、次のことを行うこととされている。(b)この条約規定に従ってとられる各種措置の影響に関する科学的・技術的評価
(c)生物多様性の保全及び持続的可能な利用に関する革新的・効率的及び最新技術及びノウハウを特定しこれらの技術開発又は移転促進する方法及び手段に関する助言
(d)生物多様性の保全及び持続可能な利用についての科学的計画並びに研究及び開発における国際協力に関する助言
(e)締約国会議およびその補助機関からの科学、技術及び方法論に関する質間に回答
 今回の会合は94年11月にバハマのナッソーにおいて開催された生物多様性条約第1回締約国会議の決定で設置され、開催されたものである。本会議では、SBSTTAの運営方法や95年から97年にかけてSBSTTAが取り組むべき作業計画、第2回の締約国会議(インドネシアで開催)の際に必要な助言事項を討議することであった。この会議は全てOPEN-ENDED(参加するための制限事項がなく誰でも参加できる)で取り組むものとして、NGO(非政府組織)などの全ての組織に開放されており、第1回会合の参加は、加盟国82(7月末の全加盟国120)、オブザーバー10ヶ国、14国際機関、56NGOで、我が国からは、水産庁から中前生態系保全室長他2名と外務省、環境庁及び通産省から計6人が参加した。次年度のSBSTTAは明年の9月ジュネーブで開催されることになっている。
 なお、この会議に先だって、生物多様性条約・バイオセーフティの会議が7月にスペインで開催され、バイオテクノロジーによって改変された生物(LMO、Living Modifled Organisms)の取り扱いについて、生物の保全及び持続可能な利用に及ぼす可能性のあるものについて、その安全な移送、取り扱い及び利用の分野における議定書の必要性、特に、事前の情報に基づく合意についての規定を含む適当な手続きを定めるバイオセイフティ議定書について第2回締約国会議に勧告することが決められていた。

3.SBSTTAの第1回会合について
 会議の冒頭から動きがあった。当初、海洋と沿岸域の生物多様性の保全についての論議は、水曜日の牛後に組まれていた。しかし、SBSTTAで実質的に論議し締約国会議に提案すべきであるとするデンマークの提案があり、急遽、火曜日の午前中に論議を繰り上げること、また、OPEN-ENDEDのワーキングループの設置が確認された。ワーキンググループの主たる課題は、SBSTTA作業計画のプライオリティ、第4回国連持続可能な開発委員会(CSD)やその他の国連機関に対する勧告に定めるべき沿岸および海洋生物多様性に関する勧告の準備並びにこれらの内容を検討するアド・ホック専門家パネル設置の必要性について検討することであった。火曜の夜から始まったワーキンググループでは、ドラフテンググループ(討議資料作成グループ)によって作成された勧告案に従って、約50名が参加し、水曜日の深夜に至るまで自熱した論議がなされた。主たる論点は、

  1. 統合的な沿岸域及び海洋の管理
  2. 海洋生物資源の過剰漁獲
  3. MARI-CULTURE(海面養殖?)
  4. 異種(外来魚)導入
等に関してであった。3年間専門家により討議するためのパネルの設置、進捗状況の年次報告と並びに第4回のSBSTTAの会合で結論をレビューし、第4回締約国会議に勧告として提出することについて合意された。勧告すべき内容として、
  1. 沿岸域と海洋における生物の多様性の分布と量に関する情報(知識)の欠落
  2. 脅威となるものの緩和と技術移転の点で生物の多様性に関して持続的な利用と海洋と沿岸の保全(維持)のための特別に必要なもの
  3. 海洋と沿岸域の生物多様性の状態と水域管理の間のつながり
  4. 海洋と沿岸域の生物の多様性に関して取り扱われた国際的な法律的合意、プログラム、科学的な業績についてのレビュー
である。
 会議がOPEN-ENDEDのため、環境サイドの各国代表の他、グリンピースやバイオネットなどの漁業に対して種々の意見を持つNGO等が参加したこともあり、沿岸域や海洋の生物多様性に悪影響を及ぼすものとして沿岸域の埋め立て、海洋汚染等の人間の活動によるものが軽視され、勧告案は極めて漁業関連に偏ったものとなっている。これについては、我が国から強くそのことについての懸念を表明した。この勧告案については非常に短期問のうちに完成を急いだために、各国がその不十分さを認めるところとなり、本会議で、本勧告案については、我が国を含むいくつかの国についての懸念や不満を報告書にのせることで、このために必要な修文を経た後、当該勧告案が採択された。

4.会議の感想と今後の水産庁研究所で必要な対応について
 会議の参加者は、外交官グループ、環境グループ(NGOをも含めて)が多く、漁業関係者(国)や研究者は少数であった。会議場では、開発途上国(地域)間の打ち合わせ、先進国グループの打ち合わせ、ブラジルやマレーシアなどの熱帯雨林を抱えている国々の打ち合わせ等が頻繁に行われたり、会議では遺伝資源の利用(特許権間題や深海底における生物探査を含め)をめぐる先進国と開発途上国との論戦、特に、環境保護を至上主義とするグループと環境を保全しながら食料の持続的生産をはかろうとするグループとの論戦が展開された。ある国の代表(女性)が、発言者が「モデル、モデルというものだから「ファションモデルかマネキンがなぜ生物の多様性に必要なのかと思った」と発言し会場を爆笑の渦に巻き込んだ等、会議は専門家の意見交換の場というSBSTTAの本来の趣旨とは異なり政治的な駆け引きに終始した感の会議であり、生物の多様性条約をめぐる国家間の利害の対立が実態として良く理解できた。
 生物多様性問題は、もともと熱帯雨林の伐採の問題から始まった。しかし、これは国連の他の枠組み(CSD)で論議されており、また、漁業国以外では海洋について関心が低いこともあって、環境グループによって論議の中心が「沿岸域と海洋の生物の多様性の保全」に当てられたような感じがした。SABSTTの第1回の会合の前日には、バイオネットなどのNGOがユネスコ本部で反漁業の会議を開くなど気勢を上げていた。
 会議において、発言者はSUSTAlNABLE USEをお経の文句のように唱えていたが、漁業が生物の多様性の主たる破壊者であるという種類の発言が多く、近い将来予想される食糧問題の解決のために海洋をどのよう利用すると考えるのか?あるいは、陸域と異なって再生産能力の高い海洋生態系の持つ特徴を考慮し、どう持続的な生産をはかるのかとの論議は少なかったような気がした。しかしながら、海洋や沿岸域での海洋における生物の多様性の減少に関しては、陸域における人間活動が大きく影響しており我々水産関係者としては被害者であるが、漁業資源の乱獲、養殖業による環境への影響等においては加害者であるという一面も否定できないこともあり、このSBSTTAで論議された内容については常識的な面もあり、一般論としてはなかなか文句が言えないものとなっている。
 我が国周辺海域の高度利用の点からも生物の多様性の保全が重要であることは周知の事実である。資源の乱獲と漁具漁法や補助金問題、パイテク生物(LMO、Living Modified Organisums)を含むエイリアン種の取り扱い、種苗放流の問題、養殖場における自家汚染問題、統合的な海洋と沿岸の管理等、今後も、これらについては生物多様性条約締約国会議やSBSTTA等で論議が進められるだろう。このため、希少種の保全・保護だけでなく、生物地理学的に非常に多様な生物が存在し、世界で有数なサンゴ礁等の多様な生態系を持つといわれているわが国周辺海域について、「生態系」、「種」、「遺伝的」の3つの多様性の観点からの早急な知見の集積の他、種苗放流が生物の多様性に与える影響の把握、生物の多様性を保全するための統合的な海洋と沿岸域の管理手法等に関する研究の実施が緊急的な課題となっている。さらに、これらの研究を通じて、我が国の水産分野においても生物の持続的な利用の観点から生物多様性を論じ、国際的な研究協力を果たせる人材の育成も急務となっている。

5.おわりに
 現時点では、生物の多様性条約(締約国会議)が水産業に及ぼす直接的な影響は少ないと考えている。しかし、今後、地球温暖化、酸性雨、海洋汚染等の地球規模の環境間題が一層深刻化し、この一方では、人口の著しい増大や産業による開発行為等、水域の生物種の減少や環境の破壊が一段と進むにつれて、生物多様性条約は一層重要視されるようになり、それにつれて水産業をも含め、海洋と沿岸域等の水域の生物多様性を保全するためのとりくみについては厳しい状況となるに違いない。
 諸外国の海洋と沿岸域における生物多様性に関する研究の現状、あるいは、諸外国でこれらの水域で生物多様性に関する研究能力の点から考えると、我が国の役割、特に、私達、水産庁研究所が生物多様性の保全に関する研究への責務が大きいことを実感し帰国した。

追記
 この原稿を執筆している間に、インドネシアのジャカルタで生物多様性条約の締約国会議が開催された。会議の内容は、沿岸域及び海洋における生物多様性条約関連については、各国の意見を添付した形でSBSTTAの勧告を取り扱うことが確認された。また、バイオセイフティについても、国際間の移動に焦点をあてた議定書の作成交渉を行う決議を採択した。

(資源増殖研究官)