平成 6年10月 5日から2週間、「第5回海洋水産資源の培養に関する研究者協議会」(主催者:財団法人海外漁業協 力財団)が中国で開催された。この協議会は、日本、中国、韓国の3ヵ国の研究者による水産増養殖事業の検討を目的 としたもので、小生は経営経済の立場から参加した。北京混論飯店でのディスカッション、各地の水産研究所研究員、 養殖関係者、水産公司との意見交換を通して、有名な中国の淡水養殖経営がどのような変化を遂げつつあるかを知るこ とができた。また、北京、あるいは上海等の「経済開放特区」での実査を通じて、①中国の消費生活が予想以上に変化 してきていること、②水産物の流通環境を整備していくことが中国がめざしている動物性蛋白質の摂取量増加のために は必要不可欠であること、等を改めて確認した。ここでは、社会・経済環境の変化等も視野に入れつつ、中国の淡水養 殖経営がどのような問題をはらみつつ展開してきているかを中心に報告したい。
1.経済体制改革下での中国経済の変化
日本、中国、韓国三ヵ国の養殖生産量は世界の全養殖生産量の7割を占めている。中でも中国は、世界最大の淡水魚
養殖生産国である。多くの河川、湖沼の存在がそれを可能としており、日本ではあまり知られていないが遥か内陸の土
地で養殖が行われている。中国の淡水養は混養形態が基本である。そこでは生態系を重視した、資源の地域内循環を基
礎とした「生態養殖」が行われており、FAOも開発途上国に根づかせるのに適した生産技術として注目している。
しかし、今日の中国においては、これまでの伝統的な生態養殖は変わろうとしている。近代化を背景として、これま
での中国ではあり得なかった様々な経営問題も起こりつつある。こうした中国における淡水養殖経営問題を語るには、
まず経済体制改革下での中国経済の変化を知らなければならない。
1979年4月、中国経済は従来の重工業優先から農業・軽工業重視の方向へと方針を転換した。人民公社制度は解体さ
れ「農業生産責任制」が導入された。この制度によって納税制度が改められ、農民の生産意欲は増大し、農業総生産額
は年平均7.5%づつ増加している。都市近郊では、土地条件に規定されつつも葉菜類をはじめとする近郊農業が展開し
、今回の訪中ではハウス施設園芸すら認められた。また、近郊農家の中には、淡水魚や家禽の養殖あるいは家畜の飼育
を専業に行い(専業戸)、年収一万元を超える万元戸も出現しているという(ちなみに、一人当たりの全国平均月収は
400元あまり)。
一方、農業生産責任責任制の導入は農村の余剰労働力を顕在化させた。その人口は、かつて人民公社や生産隊に所属
していた農村企業に吸収され、生産拡大の基礎力となっている。これらの企業は「郷鎮企業」と改称され、経済体制改
革に基づき発展が図られている。郷鎮企業の業種は多岐にわたる。今日、都市部では衣服、雑貨の類が多く供給されて
いるが、その多くはこの農村部の「郷鎮企業」が供給しているのである。郷鎮企業の発展は著しく、2億人近い農村の
余剰人口の半分を吸収したといわれる。生産額も過去10年間に20倍となり、1991年には社会総生産額の四分の一、農業
総生産額の十分の六、工業総生産額の十分の三に達している。郷鎮企業の発展は農民の収入を増大させて生活水準を高
め、都市と農村の格差を減少させた(農家の平均収入の4割は郷鎮企業によりもたらされていると言われている)。
また、1979年に指定された「経済特別区」、1984年に指定された「沿岸開放都市」、1985年に指定された「沿岸経済
開放区」を中心として、様々な経済開発が行われている。それは単にハード面の開発だけでなく、社会経済システムな
どソフト面での開発が急速に進んでいることを特徴とする。例えば、小売分野ではフランチャイズシステムの方式がす
でに導入されているし、コンビニエンスストア、ディスカウントショップといった新業態も定着している。こうした変
化は、所得の向上を背景としつつも、中国国民の消費形態を着実に変化させているのである。また、経済体制改革によ
って、個人経営の修理業、飲食店、小売店、運送業などが急速に発展し、郷鎮企業からの多様な商品供給と併せて消費
生活を多様なものにしている。
一方、こうした経済改革は新たな経済社会問題も発生させた。経済活動の加熱現象がインフレによる物価高騰をもた
らし、国民の生活を圧迫している点もその1つである。1986年以降3年間に物価は毎年20%前後で上昇し、現在でも10
%近い上昇率となっている。ただし、都市での商品供給状況や価格水準、消費行動からはそうした国民生活の逼迫差は
感じられない。1カ月あたり平均所得は40才前後の公務員で500元であるが、カジュアルショップでのジーンズ価格
が150~180元、飲食店での点心類が3~5元であり商品の価格水準と賃金との間にギャップが感じられる。不動産であれ
ば、現在、上海開発区で建設が進んでいる郊外アパートの分譲価格は3DKで15万元であり、年収の25倍相当の価格で
ある。こうした消費生活の実態と賃金との間に感じられるギャップは、今日の中国において一般化している「副業」に
よるところが大きいと考えられる。すなわち、国家も公務員の賃金水準が低いために副業を持つことを推奨しているし
、都市内生活者が複数の経済活動を行っていることはごく一般的なことである。このことは、今日の改革が急な中国で
は、就労水準はまだ低次であるものの、それだけの就業機会があること、また旺盛な生産意欲が消費生活を確実に変え
つつあることを物語っている。中国における水産物流通の現状と消費の動向は、中国経済の大きな「うねり」とその変
化からとらえていかなければならない。
2.水産業生産及び流通の現状とその変化
経済の発展、商品経済の浸透、所得構造の変化などが背景となって、中国における水産物生産は確実に変化してきて
いる。その象徴的現象は、淡水養殖において従来主流を占めてきた四大家魚(ハクレン、コクレン、草魚、青魚)の全
養殖に占める比率が低下してきている点である。例えば、商品経済の浸透が著しい広東省では、淡水養殖における優質
魚(高級魚)指向が高まってきており、その比率は重量ベースで14%、金額ベースでは40%に達している(1993年)。
導入が進んでいる優質魚としてはブラックバス、ケツギョ、ウナギ、エビ類、コロソーマなどであり、ティラピアの導
入も期待されている。国立水産研究所の手によって海外品種が積極的に導入され、試験結果が良好な魚種が漁民に普及
されつつある。それは、国民のより美味しいものを食べたいという欲求を満たすと同時に、漁家の所得向上に寄与して
いる。優質魚を指向するか否かは各漁家の自由である。旧体制のころはあり得ないことではあるが、地目にあった税金
を支払えば、水田を養殖池に地目変換することすら可能となっている。
中国では海面漁業(養殖を含む)、淡水養殖とも漁業協同組合は存在せず、生産者は問屋との間で個別に取引をして
いる。生産された魚介類は、問屋の手によって集荷され、消費地に配送される。問屋は自由市場に店舗を持つ小売業者
の場合もあるが、多くは産地で集荷する業者と都市で販売する業者は分業化されており、すでに流通過程での機能分化
が一般化されている。取引は1週間に1回程度の頻度で問屋から電話注文があり、後日問屋から活魚車が差し向けられ
る(中国の場合、まだ配送・保管環境が悪いために、淡水魚の多くは鮮度が相対的に維持しやすい活魚形態で販売され
ている)。取引価格は発注時の消費地価格が一つの目安となっており、日本の場合と変わらない。
消費地の食品マーケットは卸売市場か、都市内に多くある「自由市場」(経済統制が厳しかった時代に比べて商品の
生産・販売が自由になったという意味)である。自由市場は都市内に非常に多く分布している。自由市場内の店舗は常
設化されている場合が多いが、異なる場合も見られる。例えば、広州市最大の市場は、道路の両脇の店舗が商品を店先
に陳列する販売方法が発展して公道が市場化したものであり、売場は常設店舗とは異なる形態となっている。自由市場
で商品を購入する者は誰でもよく、日本の公設小売市場と同様の性格の機構である。また、従来市場は無法状態であっ
たが、経済改革以降は行政当局が市場範囲を決めて、条例も設けて監督するようになっている。現在、市場で店舗を開
設するには免許が必要であり、市場開設者の定期的なチェック(品質、価格面)で免許停止になることもある。また、
販売時の管理価格はなく、自由主義経済体制同様に需給環境によって決まっている。
このように、今日の中国では水産物の流通場面においても次第に秩序づくりが進みつつある。ただし、中国において
は、水産物の商圏範囲は、①物流環境の整備の遅れ、②活魚流通技術面での拘束、③経済発展下においてタンパク資源
の絶対供給量が不足していること、等が背景となって、省内供給が大半となっている。これらの要因が改善され、淡水
魚がもっと広い範囲に供給されていくことが、中国の食糧政策上重要な課題となっている。 以上見てきた、中国にお
ける水産物生産と流通の状況は、経済開放体制下の秩序として定着しつつあるように見える。しかし、従来の生産・流
通・消費秩序から異なる秩序への移行期であるが故に、以下のような4つの問題が生じ、あるいは生じる可能性が高ま
っている。
①商品経済が急速に浸透する中にあって、生産・流通面で混乱が生じてくる可能性があること。すなわち、今日の中
国では地目選択が比較的自由であり、価格も市場原理に委ねられているのが実態である。このため、商品経済が他地区
よりも浸透している揚子江下流域では、稲作よりも収入を上げるために、水田を養殖池に転換する農民が目立ち、一部
地域では過当競争を背景とした養殖魚価格の下落が問題となっている。中国ではまだ動物性タンパク質の供給量が不足
している状態なので、物流環境の改善や冷凍加工技術がさらに向上してくれば、供給可能地域も拡大し、こうした価格
下落も生じないであろう。ただし、現在ではこうした環境はまだ整っておらず、価格の下落、乱高下が生産・流通の混
乱を生じさせる可能性もある。
②優質魚(高級魚)への傾倒が従来からの生態養殖を歪めつつあること。中国では古くから混養を基本とする生態養
殖の技術が普及し、今日でも淡水養殖-畜産-養蚕畑作の組み合わせで生産が展開されているが、その生産秩序が歪め
られつつあるのである。例えば、肉食魚であるケツギョを1畝(ムーと読む。1ムーは60㎡)の養殖池で生産するため
には4ムーの池で餌魚をつくらなければならない。また、短期的な生産効率を求めて、従来の混養形態が単一魚種の養
殖にシフトしていく可能性もある。さらに、将来は、都市近郊では畜産物の糞に依存した生産体系の維持が不可能にな
っていくことも考えられる。いずれにしても、今日の中国では、生産環境が著しく変化してしまう前に、従来の生態養
殖システムのどこを守り、どこを改めていくかを議論しなければならない時期が来ようとしているのである。
③天然種苗への依存率低下、人工種苗と安価な餌料の安定確保という環境が得にくいこと。中国は世界的な淡水養殖
国であるが、基本的にはまだ動物性タンパクの供給量が不足している状態にある。このため、これまで以上に供給力を
高め、国民に安定的なタンパク供給を行っていくことが食糧政策上重要となっている。また、所得の向上が購買力を次
第に高めており、淡水養殖魚の小売価格が近年値上がり気味であることがこれを裏づけている。こうした状況に対処し
ていくためには、安価な種苗と餌料を確保して、天然種苗への依存率をいかに低めていくかが課題となってくる。ただ
し、現状では、供給環境がまだ脆弱であり、生態養殖からスムーズに脱皮できない事情もある。また、世界的な餌料不
足が中国においても生産の不安定さをもたらし、将来的に供給の不安定性が問題となってくることも考えられる。この
ことは、先に見た生態養殖システムの今日的評価との関係から検討されなければならない。
④環境汚濁の進行と養殖環境の悪化。中国における淡水養殖の将来は、内陸部での工業化、それに伴う環境汚濁問題
との関係を抜きに考えることはできない。例えば、今回の実査においては見ることはできなかったが、内陸部では工業
排水、生活雑廃水による水質汚濁が進んでいるとの報告もあり、養殖への影響が懸念される。また、今日の農業技術体
系から見れば問題はないが、将来的に商品作物の作付面積が拡大し農薬への依存度が高まってくると、畑地と養殖池が
混在しているだけに農薬の養殖池への流入問題などが懸念される。
3.おわりに
「21世紀はアジアの世紀」といわれるほど、アジア諸国は21世紀に向かって著しく経済成長しようとしている。
また、経済成長と水産物消費量はパラレルに推移することが歴史的に検証されていることを考えれば、今後アジア諸国
で水産物に対する需要量が増大し、アジア諸国間の貿易関係も従来のものとは変わってくることが予想される。このこ
とは、従来、国内の旺盛な購買力を背景に水産物を輸入してきた日本を取りまく貿易環境が変化し、新しい段階に入り
つつあること、中国との関係がこれまで以上に重視されてくることを意味している。
そこでは、単に輸入するだけではない、経済・技術・人的協力関係を基礎とした交易関係の樹立と、将来のアジア地
域での空間的貿易システム(分業生産を含む)を作り出していく姿勢が求められてこよう。この報告では中国淡水養殖
が抱える課題として4つの点を指摘したが、水産業におけるこれからの日中関係は、まさに両国がつくる経済的、技術
的、人的な交流、支援関係によってこの課題を乗り越えていく中で形成されると言っても過言ではなかろう。
(経営経済部消費流通研究室長)