環境保全研究者のスウェーデン見聞録

黒島良介

 環境汚染物質に対する魚類の生理・生化学的反応あるいは分子生物学的な 研究に関する文献を調べているとスウェーデンの研究者達が興味深い仕事を 進めていることに気づきます。誰もが口を揃えてビューティフルだと言うス ウェーデン。環境保全研究に携わる者としてはやはり好奇心をそそられる国 でありました。そこへ幸運にも3月13日から2週間スウェーデンの研究者 を訪ね、実際に彼らの話を聞き、研究施設などを見学する機会を得ました。
 まずめざすはウプサラ大学、パット教授。成田からコペンハーゲン経由で ストックホルム着。午後7時過ぎ。空港の外に出ると雪は全く見あたらず、 はじめはそれほど寒いという印象もなかったのですが、しばらくすると冷蔵 庫の中にいるようでしんしんと体が冷えてきました。スウェーデンのバスは でかい。話に聞いていたので驚きはしませんでしたが、普通のバスが2台ジ ャバラでつながっているのは奇妙でした。このバスで約40分、ウプサラの 町に着きました。翌朝起きるとホテルの窓の外に温度計がついているのを発 見しました。-5℃。意外と速く流れる雲は低く、途切れることなく空一面 を覆っています。デンマークのアンデルセンも嘆いたと言われる北欧の冬の 空。この季節、昼の時間が日本とほとんど変わらないのは予想外でした。
 パット教授の研究室はウプサラ大学生態毒性学部にあります。彼らの現在 のプロジェクトは3つ。1)魚類における無機水銀及びメチル水銀の生物濃 縮機構。このプロジェクトでは水質(pH、Cl-、有機物)と無機及び有機 水銀の生体蓄積との関係を調べています。この研究の背景にはスウェーデン 国内の淡水魚類中のメチル水銀レベルが近年増加傾向にあるという調査結果 があるそうです。この25年間の環境中への水銀負荷量は著しく減少してい るにもかかわらず、魚体内の水銀レベルが増加している理由は未だに分かり ません。一つの考え方として、水域の酸性化による土壌や底泥からの水銀の 溶出があげられていました。さらに、水銀の生体内蓄積に対するセレンの拮 抗作用についても調べつつあるとのことです。2)有機化合物の物理化学的 特性と魚類の鰓からの取り込みの関係。この研究は有機化合物の溶解度、オ クタノール:水分配係数、分子量などの特性と魚類の鰓に対する透過性との 関係を調べるものです。パット教授の手法として特徴的なのがこれらの実験 をニジマスの鰓を還流しながら行うことにあります。今回その実験そのもの を見ることはできませんでしたが、その装置は実際に見せてもらいました。 外科的手術ができるならこのテクニックも2週間ほどでマスターできるとの こと。彼の鰓に対する好奇心はさらに、3)透過性と毒性試験のためのニジ マス鰓上皮細胞の培養、というプロジェクトをスタートさせました。数年前 にはじめたこの仕事も今では方法が確立され、カドミウムと水銀の鰓上皮細 胞に対する透過性の比較、カドミウムとカルシウムの拮抗、またはメタロチ オネインの誘導を調べるために応用しています。私が訪問したときにはフィ ンランドの研究者がこのテクニックを学びにきており、進行中の細胞培養、 装置などを見学することができました。将来的には有機化合物の膜透過性の 研究にもこの培養鰓細胞を応用したいとのことでした。
実験魚の飼育施設(61kb)

 ウプサラ大学は1477年に創立されたものであり、植物分類学者のリン ネ、温度計の摂氏(℃)の尺度を作ったセルシウスなどの優れた教授人を輩 出しています。1901年にノーベル賞が創設されて以来スウェーデン人の 受賞者は19名で、そのうち7名がウプサラ大学の教授ということです。ウ プサラの町はこの大学を中心に栄えてきた町で、本屋、図書館などが多く、 中世の香りを残した学生街という感じの町はどことなく懐かしさを感じさせ てくれます。ホテルからパット教授の研究室まで歩いて約20分の距離。途 中、化学、物理学、生物学など各分野を代表する古めかしい建物やそれぞれ に付属していると思われる北欧らしい木造の建物などが丘の上に点在してい ます。物理学の建物の地下には500m規模のサイクロトロンがあるときい て驚きました。また、自転車の多いこと。ほとんどの学生は自転車通学らし く、みんな冷たい風をきって走っています。

ウプサラ大聖堂は大学のすぐとなり(81kb)

 さて、次の目的地はウメオ大学。現在、ここでメタロチオネインに関する 研究を進めている助教授のオルソン博士を訪ねました。博士は昨年度環境保 全部から二国間研究協力を提案したときのスウェーデン側のコンタクトパー ソン。課題名は「汚染物質に対する魚類の生理・生化学及び分子生物学的応 答に関する研究」。ウメオはストックホルムからさらに北に約600km、 北緯64度に位置します。もう少しで北極圏内。ウーメ川という大きな河が ボスニア湾に流れ込む河口近くの町。ストックホルムの空港から飛行機でジ ャスト1時間で着きました。北の国の北の町。たっぷりの雪。凍りついた河。
 オルソン博士の研究室はウメオ大学の細胞・発生生物学部内にあります。 彼の研究は魚体内へのカドミウムの蓄積を調べることから始まり、カドミウ ム結合タンパク質であるメタロチオネイン生化学的特性さらにその遺伝子発 現について分子生物学的特性を解明することです。ここでメタロチオネイン について一言。メタロチオネインは1957年に発見された分子量約6,000 の小さなタンパク質で、システインが非常に多く含まれるためカドミウム や水銀などとの親和性が高く、これらの有害重金属の毒性緩和作用が最初に 注目されました。その後、このタンパク質の本来の生理作用は細胞質内の亜 鉛や銅などの必須元素のホメオスタシスにあるのではないかと考えられはじ めました。さらに研究が進むにつれて、メタロチオネインのアイソフォーム が数多く分離され、遺伝子も決定されてきました。メタロチオネインが重金 属投与によって生体内で誘導・合成されることは古くから知られていました が、現在では、ある種のホルモンや酸化的ストレスなどによっても誘導され ることが知られています。また、数年前には脳内に新しいタイプのメタロチ オネインが発見されました。そのため、医学の分野においても癌治療とメタ ロチオネイン、アルツハイマー病とメタロチオネインの関係はホットな話題 ...ちょっと話が広がりすぎました。
 オルソン博士の仕事は、魚類のメタロチオネインに関して多岐にわたるも のであるが、特に、雌魚の生殖巣におけるメタロチオネインの関与及び仔稚 魚の発生・発達過程におけるメタロチオネインの動態に注目しているようで す。彼の研究グループは魚のみを対象としているわけではなく、ニワトリや イモムシ?を扱っている研究者たちもいます。このグループの日課のお茶の 時間。学生から教授、秘書の女性らしき人まで集まって何やら真剣に話し合 っている時がありました。スウェーデン語のためさっぱり分かりませんが、 隣でクッキーをボソボソ食べていたのっぽのヤンネ氏がこっそり教えてくれ ました。細胞培養装置の設定温度を何度にするかということで魚組とニワト リ組でちょっともめていたらしく、我々はこのように良く話し合うのだと言 っていましたが、その良さも充分自覚しているみたいでした。建物の地下か らは地下道が延びており、大学構内はもちろん隣接する総合病院の方まで行 くことができます。寒いときに外に出ることなく移動ができるので便利です。 北欧の人たちは長くきびしい冬の間屋内に閉じこめられるため室内の装飾に は気を使っています。大学といえども各居室には皆それぞれに異なったプリ ントのカーテンがつけられています。白木のデスクに淡く暖かな色のカーテ ン、窓際のしゃれたオブジェ。地下道を通り、食堂に隣接する講堂へ。ここ では細胞・発生生物学部の学生達のポスターセッションが行われていました。 メタロチオネイン、神経伝達物質(GABA)、イモムシの生化学指標、酸 化的ストレスなど様々なテーマについて各人の研究成果を1枚のポスターに まとめ展示し、観覧者による投票を行い1位になった学生には賞金が与えら れるとのことでした。学生達は自分のポスターの前で見学に来る者達に内容 の説明をしています。オルソン博士が投票のとりまとめ役。私にも投票権を くれたので、魚類の酸化的ストレスについて説明してくれた学生の発表に1 票を投じました。ポスターはスウェーデン語のため、読めませんが、外国人 に対してはきれいな英語ですらすらと説明してくれます。スウェーデン人は 老いも若きも皆英語が非常に堪能。なぜか?と聞くとテレビでも英語の番組 をあたりまえのように放送しているからだといいます。ホテルでテレビを見 るとCNNのニュースは1日中流れているし、「わんぱくフリッパー」や「 新スタートレック」などのアメリカの人気番組がスウェーデン語の字幕付き で放映されていました。昼食はとなりの食堂で。五百年の歴史を持つウプサ ラ大学に比べるとこちらの大学はまだ赤ん坊。それだけに学生のための食堂 といえども広くてレストランのようにきれいです。その時は余りおなかがす いてなかったのでスープ、パン、サラダだけを食べていたのですが、ファニ ー・ガイと呼ばれるフロスト氏も同じ様な食事をとり、「今日のスープはす ごいニンニクだ。ニンニクは好きか?」と聞いてくる。友人がまた一人増え、 うれしく思いました。

ポスターセッション会場にて(50kb)

 中央水産研究所の研究活動に関する簡単なセミナーの時間。研究機関の機 構、研究テーマの設定などに関心が集まる。また、我国では過去において重 金属汚染によるイタイイタイ病や水俣病などを経験してるため、今後の慢性 的な環境汚染に対して慎重に研究を進めて行かなければならないことについ ては共感を得たようです。当方としてもこれからの水産業を支えるための環 境保全研究を推進していくために彼らとの研究交流を続けていく必要性を感 じました。  ウメオでの滞在中オルソン博士は様々な人を紹介してくれました。ある1 日は水産研究所で仕事をしているなら、とスウェーデン農業科学大学水産増 殖学部のラゾルブ教授のオフィスへ。そこでこの大学の構成、研究活動など についての説明を伺う。教授の研究室で現在中心となっている仕事は、ニジ マスとイワナの摂餌行動の解析。魚の腹部に米粒大のセンサーを埋め込み、 飼料投与口付近にとりつけたアンテナにより個体別に摂餌行動を追跡するの だそうです。次の日は前日までの天気がうそのような快晴。ボスニア湾岸沿 いに車で1時間ばかりの所にある大学付属臨海実験所へ向かいました。そこ では魚類の摂餌行動に関する実験を実際に行っているところを見学しました。 水産増殖の他、海洋微生物などの研究室や学生達の実習用実験室などもあり ます。すぐ前の海は凍っており、人と犬がその上を歩いているのが印象的で す。空気はまだまだ冷たく、雪が降り出すとあっというまにあたりは真っ白。 しかし、また別の日は真っ青な空が見え、雪は溶けはじめる。こんなことを 繰り返しながらスウェーデンにも春が近づきつつあるようでした。  最後になりましたが今回このような機会を与えていただきました方々に感 謝の意を表します。
         (環境保全部生物検定研究室)

ボスニア湾をながめる(40kb)


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