山女か、鱒か

- 本州北部太平洋岸の河川を母川とするサクラマスの生活史の研究 -

木曾克裕

1.サクラマスの横顔
 残雪を踏みしめて渓流に入り、そっと竿を出す。トントンという手ごたえとともに手元に飛び込んでくる銀地 に鮮やかな橙色の帯に黒と紺色の模様を持つ魚--山女(やまめ)。
 替わってこちらは春の三陸沿岸の定置網。現われる魚の顔ぶれは多彩である。漁師達が網を絞ってゆくにつれ て、マイワシ、スズキ、クロマグロに混じって、サケ・マス類が跳ねる。 この中で小さいけれど歯が鋭く、太っていて本州の太平洋側でママス、日本海側でホンマスと呼ばれる魚--鱒 (ます)。(関東地方でます、東北地方太平洋側でさくらますと呼ばれる魚は標準和名カラフトマ スである。注意!)
 実はこの2つの魚、山女と鱒は標準和名サクラマスという同一の種であり、前者は河川残留型と呼ばれる一生 を川の中で過ごす型(図1A)、後者は降海型と呼ばれる海に降って大きくなり、生まれた川に溯上し産卵して一生 を終える型(図1B)である。サクラマスにはもう一つ、湖を海の代わりに利用する湖沼型があるが、全体からみれ ば少数派である。

図1:サクラマスの河川残 留型(やまめ)と降海型(ます)(123kb)
A.やまめ,尾叉長15cm, B.ます,尾叉長58cm

 次にサクラマスと言う種全体の分布を見てみたい(図2) 。サクラマスは分布域が異なる4つの亜種(種以下の分 類の単位) に分かれている。ここではヤマメ系サクラマス、アマゴ系サクラマス、ビワマス、タイワンマスと呼 ぶ。分布域が最も広いのがヤマメ系サクラマスでカムチャツカ半島、樺太(サハリン)、南千島、沿海州、北海道 、本州・九州の多く部分、朝鮮半島の日本海側に分布し、分布の中心は日本海北部とオホーツク海に面する地方 である。アマゴ系サクラマスは西日本だけに分布し、大部分は河川残留型(アマゴ:ヤマメに似た渓流魚で体側に 朱点がある)であるが、降海型(長良川などに分布するサツキマス)、湖沼型も僅かに分布する。ビワマスは琵琶湖 特産の湖沼型である。タイワンマスは世界で一番南に自然分布するサケ科魚類として有名で、台湾の大甲渓の標 高1800mほどの水域にだけ棲んでいる。

図2:サクラマス種群4亜種 の分布(海洋生活期を除く)(27kb)

 以下では、最大のグループであるヤマメ系サクラマスについて降海型、河川残留型、湖沼型の3型の分布を詳し くみてみよう。まず、最も少ない湖沼型が自然分布するのは北海道の洞爺湖だけであるが、北海道、沿海州、本 州北部のダム湖に分布することが知られている。 河川残留型は分布域全体で見られる。しかし雌雄の出現する割合は地域、特に緯度によって異なっている。北ほ ど雄の割合が高く、北海道以北では全てが雄、東北地方では雄の方が多い。 本州西部,九州,朝鮮半島南部では雌雄ともに河川残留型だけである。降海型の分布は河川残留型と反対に北ほ ど多く,西日本,九州,朝鮮半島南部では殆どみられない。 まとまった漁獲がみられるのは太平洋側では茨城県,日本海側では石川県以北である。 雌雄の割合は河川残留型と反対で北のカムチャツカ半島では雄が僅かに少ない程度であるが,北海道や樺太南部 では雌が60~70%くらい,本州北部では殆どが雌である。 つまり、サクラマスは雌雄ともに緯度によって生活様式を大きく変化させ、本州の北部は、サクラマスという種 にとって「降海して鱒になるか」、「川に残って山女になるか」という生活のしかたが変わる境目にあたると言 える。
   そこで、本州北部の太平洋岸の河川と沿岸域を生活圏とするサクラマスたちの生活史を追い、サクラマスとい う種全体の生活様式の解明を試みた。

2.河川残留型の一生と降海型の河川生活期
 本州では鱒も山女も9~11月に産卵する。三陸南部の中小河川では、溯上する鱒の数は少なく、特に雄の溯上魚 は希である。従って、産卵はほとんどの場合河川残留型の雌雄または降海型雌と河川残留型雄の組合せで行われ る。
 12月から2月に孵化し、春までは砂利の間で卵黄嚢とよばれる栄養分を入れた袋を体につけて、あまり動かない でいる。3~5月には砂利の間から浮出して餌を摂る。稚魚は川の流れのゆるい場所で餌を摂りながら成長し、体 側のパーマーク(サケ科特有の小判型の斑紋)もはっきりしてくる。7月にはよく成長した個体は10cmくらいになり 流れの速い瀬にも出て来て、釣針にもかかることがある。
 初めての夏が終る頃には、大きさのばらつきが目立つ。この夏までの成長量が鱒になるか、山女になるかの最 初の分かれ道である。 雄では成長のよい個体は産卵されてからまる1年で成熟し、河川残留型(山女)となる。 成熟しなかった個体の大部分は翌年に河川で成熟し山女となり、少数が降海型になって満1歳5カ月くらいで海に 下る。翌年河川雌ではまる1年で成熟するものはないが、卵巣卵の発達の段階にばらつきが生じて来て、発達が 進んだものは河川残留型の、遅れているものは降海型の候補生となる。 成熟が進むと成長は停滞するので、繁殖期(10月)の大きさは、成熟した雄では10~12cm、その他の個体では8~14 cmくらいである。 もっと成長の悪い個体は、生殖腺の発達も進まず、降海型になることもできず、山女と鱒の分化までには1年の 猶予が与えられ、翌年の秋以降に分化することになるが、三陸の河川ではこの小型個体は少なかった。
 さて、三陸の川には同じ河川に棲むサクラマスの雌に降海型と河川残留型が出るのが特徴である。 この雌の2型の分化を卵巣卵の発達過程を通して少し詳しく見てみることにしよう。
 前述のように満1歳になった秋、同一年級群の卵巣の発達段階に個体差が生じてくる。 総じて山女になる大型個体の方に発達段階の進んだ卵が見られ、小型個体の方に発達段階の低い卵が見られる。 だが、発達段階が進んだ大型個体の卵の大きさを測ってみると、大型の卵と小型の卵が見られ、大型卵は発達段 階が進んでいるが、小型卵は降海型になる小型個体の卵と同じ発達段階にあることがわかった。 そして、月を追うごとに山女になる個体(河川残留型)では、卵巣卵の大きい群と小さい群のうち大きい群だけ が速い速度で発達していくのに対して、鱒になる個体(降海型)では卵には小さい群だけで卵の発達は遅いこと がわかった。 生殖腺の発達はホルモンの分泌によって降海型になるのを抑制するとされており、降海型になる必要条件の一つ は「卵巣の発達が進んでいない」ことらしい。
 山女の卵巣卵のうち大型群は満2歳の秋に熟卵となり生み出される。晩秋から早春にかけての河川では産卵を 済ませた雌が生き残っているのを見かける。 これらの卵巣の組織を月を追って観察すると、大型の卵を生み出したばかりの卵巣は蜂の巣状であるが、次第に 小さい群に属していた卵が発達してくるのが認められた。 産卵期の魚は栄養の多くを生殖に費やすため、鱗の一部が吸収され産卵記号と呼ぶ印が形成される。 三陸の大型山女には雌雄共に1,2個の産卵記号を持つ個体が認められた。 サケ科の魚では産卵を済ませた個体は死んでしまうのが普通であるが、サクラマスの河川残留型(山女)では少 なくとも一部の個体では雌雄ともに多数回繁殖をする事がわかった。 つまり、山女では雌雄共に何年かにわたって生殖を繰り返し、寿命も3~4年であると考えられた。
 降海型の候補生たちのその後を追って見よう。 満1歳になった10月頃から彼女たち(ほとんどが雌だが、「彼」も少し混じっている)の体は銀色を帯びて来る。 翌年2月頃には銀色がさらに強くなり、体は細く、背鰭や尾鰭の先が黒くなる。 これは降海準備が整ってきたしるしで、こういう状態を「銀毛(ぎんけ)」、「ヒカリ(三陸地方の名称)」、 「スモルト」などと呼ぶ。山女釣りが解禁になる3月頃には、中流の淵に群れをなしているのが見られることが ある。三陸では5月の初めまでヒカリが見られる。
 この頃、河川に残ることになった同級生達は体型が丸みを帯び、パーマークははっきりして、鰭が橙色をして いる。ところで、鱒の候補生になった者の全てが海へ降るわけではない。 春に疑似銀毛と呼ばれる銀色をしているが背鰭の先が黒くない大型の個体が釣れることがある。 卵巣組織の観察結果から、これらは銀毛になりかけたものの成熟が進んで、河川内で繁殖に参加できるようにな ったものらしい。

3.降海型の一生
 さて、海に降った鱒の子たちはどうなっただろうか。 東北地方の太平洋側の仙台湾や南三陸の海にサクラマスの幼魚が見られるのは12月から7月で最も多く見られるの は4,5月である。 性別をみると雄は20尾に1尾位の割合で圧倒的に雌が多い。 沿岸で獲れる幼魚の平均体長をみると3月から6月頃まで大きな変化がない。 これは河川から次々に降海し沿岸で成長したものから去ってゆくからであろう。 春の三陸沿岸は餌となる小魚や大型プランクトンがいっぱいである。 イカナゴ、アイナメおよびスケトウダラの稚魚、親潮系の水とともにやってくるニホンウミノミという大型端脚類 、Thysanoessa longipesというオキアミ類など。鱒の子たちはこれらを食べて1日1mmの速さで体長が伸びる。 この時期の雄の精巣は未発達で紐状、雌の卵巣も未熟で生殖腺指数(体重に占める生殖腺重量の割合)も小さい。
 三陸沿岸で捕まえた幼魚に標識をつけて放すと北方で捕まるものが多かった。 短期間に北海道襟裳岬方面で捕まるものも何尾かあり、沿岸沿いに北へ移動してゆくことがわかった。
 日本の沿岸ではサクラマスは夏季には殆ど見られない。 200海里経済水域が設定される前に行われた調査船による試験操業結果によれば、幼魚が分布するのはオホーツク海 の北部だけらしい。この時期の生活は200海里の壁に阻まれて殆どわかっていない。
 鱒たちが再び日本沿岸に姿を見せるのは10月、北海道オホーツク海沿岸の知床半島付近である。尾叉長は約30cm で太平洋側を含む日本各地で標識放流した魚が混入している。
 12月になると漁場は日本海や北海道太平洋側に広がる。 太平洋側では3月から5月には魚群は南下して、道南から福島県沿岸までで漁獲される。 三陸で漁獲されるサクラマスの大きさは個体差が大きく、尾叉長30~65cm、体重400g~4kgであった。 また雄1:雌4 の割合で幼魚の性比と明らかに異なり、本州より北で生まれた魚もこの水域を利用していることがわ かった。三陸沿岸で成魚に標識を付けて放流すると、北海道沿岸で再捕された個体も多かった。
 東北地方太平洋岸最大の河川である北上川では、春になると大物溯上魚をねらう釣りマニアが大勢ルアーを投げ ている姿を見かける。このころ川魚を扱う鮮魚店には河口部の刺網で獲られた鱒がならぶ。これは非常に美味であ る。海で大きくなった鱒は河川に入り夏を越して秋に産卵する。降海型は河川残留型と異なり、 1回の産卵の後、 全て斃死する。
 三陸のサクラマスの溯上時期は長く2月から7月であり、産卵期直前の9月頃にも少数が溯上する。 鱗で年齢を調べると、ほとんどが淡水で2回(卵の時期を含む)、海洋で1回越冬しているが、中には海洋生活が数ヵ月 と思われる個体もみられた。溯上した個体の殆ど全ては雌であった。 彼女たちのほとんどは河川残留型雄とペアを組み(複数の雄の場合も多い)、9月から11月に産卵する。

4.サクラマスの生活史の特徴
 これまでサクラマスの生活史をざっと追ってみたが、図3に東北地方太平洋岸のサクラマスの生活史を繁殖と棲み場 所を中心にまとめてみた。 この図には降海型と河川残留型の典型的な生活史だけでなく、少数がみとめられるものや存在が想定されるものも入っ ている。前項までに述べた生活史の外にも秋に降海する型、沿岸生活が短い型などが認められ、生活史が複雑であるこ とがわかった。繁殖に参加する年齢は同一年級群中でも多様であり、雄では山女が1,2,3歳、鱒が2,3,4歳、雌では山女 ・鱒とも2,3,4歳である。山女は多年にわたって繁殖するので、繁殖には異なる年級群間の複雑な組合せが想定される 。
 サクラマスはサケ属魚類の中では原始的な形質を持っているとされている。 サケ属の中で進化している種と考えられているカラフトマスやサケが生活史(特に淡水生活期)を単純化して繁栄して いるように見えるのに対し、サクラマスは成長や性成熟の速度と時機を調整することによって生活史の変異を生み出し 、多様な棲み場所を利用して種を存続させていると考えた。

図3:三陸産サクラマスの生活史 の模式図(15kb)

5.おわりに
 海と川を調査水域にしてサクラマスの研究を手掛けて10余年になる。サクラマスという種の呆れるばかりの形態と生 態の多様性は未だにつかみどころがない。
 サクラマスの増殖が北日本の各地で行なわれているが、まだサケのように大量に回帰して来るまでには至っていない。 この原因の一つはサクラマスの生活史の複雑さが「大量生産」である従来の増殖方法に合わないことにあるのかも知れ ない。山女と鱒を合わせた生活史に沿ったきめ細かい管理が必要とされているように思う。
 サクラマスのように個体変異の大きな魚の研究には全分布範囲の情報を収集する必要があるだろう。 大陸側の情報も少ないながらも少しづつ流れてくる。研究を通じて中国、韓国、台湾、ロシアの研究者とも文献交換が できるようになった。サクラマスに限ったことではないが、分布範囲の広い有用魚種の研究には、国境を越えた研究交 流がますます必要になってくると思う。

(内水面利用部 漁場管理研究室長)


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