中央水研ニュースNo.8(平成6年1月発行)掲載


バイオコスモス計画前半の経過と後半の展望
渡邊 良朗

1.はじめに
 大型別枠研究「農林水産系生態秩序の解明と最 適制御に関する総合研究(バイオコスモス計画)」 の平成5年度浮魚制御系研究打ち合わせ会が平成 6年1月13日に中央水産研究所講堂で行なわれ、 昨年1年間に新たに蓄積されたマイワシ資源の再 生産をめぐる知見が報告された。バイオコスモス 計画は、平成元年から10ヵ年計画で開始されてお り、今年度で計画の前半を終了したことになる。 浮魚制御系は、マイワシ資源の変動機構の解明と 変動予測技術の開発を最終的な目標として研究を 展開している。研究そのものの成果とともに、プ ロジェクト研究を通じて資源研究に対する関心を 高めつつ研究者が育成されることも、10年間とい う長期にわたる大型別枠研究の重要な目標であ る。計画の前半を終えた現時点で、浮魚制御系サ ブリーダーの立場から前半5年間の研究過程を総 括し後半を展望する。

2.マイワシ資源の再生産に関わる研究成果
 浮魚制御系は15の研究課題から成り、第(2)期で 終了した課題を加えると17の研究室が参画してい ることになる。この研究チームによって5年間に 明らかにされた主な知見は次のように整理され る。
日本周辺のマイワシ個体群は遺伝的にきわめ て均質な集団であり、資源変動の単位として独 立した単一の集団である。
日本周辺のマイワシの海域間での形態的な差 異は小さく、成長や成熟過程については資源変 動に伴う変化のほうが海域間の差よりはるかに 大きい。
資源量の大変動に伴って分布範囲を拡大縮小 させて、極端な密度効果を緩和している。
親潮前線以北と以南では植物プランクトン量 には大きな差がないのに対して、動物プランク トン量は前線以北で数倍も高く、マイワシの索 餌海域としての親潮水域の好適さは動物プラン クトンの豊富さによる。
索餌海域における成熟開始は水温の低下と日 照時間の短縮によって誘発され、この時点で成 熟を開始する卵母細胞の数が決まる。
成熟開始後に18℃以上の高水温下に置かれる と卵母細胞の成熟が阻害される。道東から産卵 場への回遊過程における水温履歴を復元する と、年によって成熟開始後に18℃以上の高水温 を経験した群の存在が示唆された。
夏季に餌料条件に恵まれると、卵黄形成が促 進される。
四国沖の産卵場では、肥満度が高い雌ほど生 殖腺指数が高く、また1回当たり産卵数が多い。 しかし、1回当たり産卵数が3万を越えると産 卵数が多くなるほど卵1個当たりの卵黄量は減 少する。
四国沖黒潮海域の産卵場では、1回当たり産 卵数が資源量の減少とともに急激に多くなり、 最大値は90年の3万粒から93年の8万粒にまで 増加した。
ホルモン投与による水槽内産卵では、1回当 たり産卵数約3万、1回目と2回目の産卵間隔 は6日であった。排卵後濾胞の消失時間は水温 の上昇とともに短くなる。
マイワシの形態的機能的発達過程は4期8相 に区分され、摂餌開始期と稚魚への変態期(体 長33~34mm)に急激な発達が起こる。
摂餌開始期の仔魚は、水温10~26℃、塩分9 ~37%、照度5~400Luxの範囲で摂餌可能で あり、シオミズツボワムシ9個体/Lの餌料条 件下でも25%が生き残って順調に成長する。
黒潮の沖合海域では仔魚の大量の減耗が起こ るのに対して、黒潮域での減耗は小さい。黒潮 域の仔魚は、道東索餌域への北上経路となる黒 潮続流域へと運ばれる。
黒潮域における高い生き残りを保証するの は、フロンタルエディーなどが頻繁に発生して 高い生産力を持つ黒潮フロント域である。
仔魚の成長には海域間で0.3~0.9mm/日と いう大きな差があるが、これに対応するような 環境要因の大きな海域差は見出せない。
黒潮続流域へ運ばれた仔稚魚は、暖水スト リーマや暖水塊などを利用しつつ常磐のかなり 沖合域を北上している可能性がある。
各発育段階における個体数変動に関わる諸要 因を取り込んだシミュレーションモデルで、過 去の年級群豊度や資源量変動をある程度再現し た。
 以上のような知見を整理して、単一の個体群と して変動している北西太平洋のマイワシの再生産 をめぐる生態を要約すると次のようになる(図 1)。
 道東の親潮域で主として動物プランクトンを餌 として栄養を蓄積した親魚群は、水温と日照時間 の低下とともに成熟を開始する。成熟開始までに より多くの栄養を蓄積した親魚ほど多くの卵母細 胞を発達させ、1回当たり産卵数も多い。資源量 の変動に伴って成長や生殖腺重量など再生産に関 わる生物学的パラメータは大きく変化し、産み出 される卵の量や質が変動する。
 卵や仔魚は黒潮によって運ばれながら発生成長 する。マイワシは摂餌開始期と変態期に急激に形 態的機能的変化を遂げ、4期8相に区分される過 程を経て成魚となる。仔魚は10/L程度の餌料密 度があれば順調に成長でき、この餌料条件を満た している黒潮域では大きな減耗なしに成長して黒 潮続流域へと運ばれる。房総半島の沖合まで運ば れた仔魚は稚魚へと変態し、混合域の複雑な海洋 構造を巧みに利用して親潮域へと北上回遊する。

3.後半の研究展開
 平成元年から4年までの第(2)期では、フィール ドと実験室でマイワシの生物学、生態学に関する 基礎的な知見の蓄積を進めると同時に、第(3)期以 降の本格的なフィールド研究のための研究手法の 確立に重点を置いてきた。前半が終了し後半に入 る現時点で考えなければならない最も重要な点 は、バイオコスモス計画の中でこれまでに観測さ れたフィールドでの知見が、マイワシ資源減少過 程において得られたものに限られているというこ とである。資源の変動機構を解明するためには、 変動周期のある相の観測から得られる知見だけで は不十分である。この点を補うために、今年度か ら資源増加期にあたる1970年代、絶頂期の1980年 代、そして減少期の1980年代末から1990年代にお ける、成熟産卵と初期生態に関わる過去の知見の 整理および復元にとりかかっている。具体的には、 成熟過程における親魚の水温履歴の復元、親魚の 栄養状態と産卵水温との関係、産卵場の移動と卵 仔魚の黒潮による輸送過程の変化、卵仔魚の生残 率の経年変動などである。これらの解析にはバイ オコスモス開始以前から蓄積されている資源調査 データが用いられるが、これは1970年代から1990 年代にかけての北西太平洋マイワシの大きな資源 量変動期全体をカバーしているものとしてきわめ て重要なデータセットであり、バイオコスモス計 画の中で有効に活かされることが資源変動機構の 研究として国際的にも大きな意味を持っている。
 10年計画の目的は資源変動機構の解明と変動予 測技術の開発であると述べたが、この目的にはレ ベルの異なる2つの課題がある。1つは、資源変 動の単位となる年々の加入量水準決定機構の解明 と年級群豊度の予測技術であり、他の1つは数十 年周期の長期変動機構の解明と予測である。今後 5年間の具体的目標として射程に入れることがで きるのは前者である。ある年の産卵期における親 魚の産卵生態、卵仔魚の分布や数量変動をめぐる 生態を環境要因との関係で解明し、それによって 1年後の年級群豊度を予測する技術を開発するこ とは実現可能な課題であると考えている。しかし、 環境変動と加入量変動との関係が明らかになって も、数十年周期の長期変動機構と変動予測技術に どの程度踏込めるかについては今のところ未知数 である。シミュレーションモデルではこのような 時間スケールの変動を扱うが、年々の年級群豊度 が環境諸要因の関数として表わされたとすると、 資源の長期変動予測は環境の長期変動予測なしに はできないということになる。今年で第3回目の 年次総会を迎えるPICES(North Pacific Marine  Science Organization)では、北太平洋各海域に おける小型浮魚類の生物学的パラメータの比較に よって、それぞれの海域の特徴を明らかにする試 みが展開され、国際的な研究プロジェクト GLOBEC(Global Ocean Ecosystem Dynamics) では海洋環境の長期変動と生物との関係に焦点が 当てられている。資源の長期変動については、単 に日本周辺のマイワシに関する知見のみからでは なく、このような国際研究の中での知見の総合に よって初めてそのしくみが明らかにされることに なるであろう。その意味では、バイオコスモスで 得られる成果を積極的にこれら国際的な研究に反 映させることが、バイオコスモスそのものの成功 につながると考えられる。

4.資源研究の中でのプロジェクトの意味
 バイオコスモス計画は海区水研の資源研究者に とっては初めての本格的なプロジェクト研究であ る。平成元年までの計画策定時における論議の中 ではプロジェクト研究への参加に戸惑いがあっ た。また、行政研究費が研究室の主要な予算を占 めていた中では、強いてプロジェクト研究に参加 しなくても予算的には困らないという雰囲気が あったことも事実である。計画開始以降にも、目 標を定めてフィールドでの観測や実験を行ない、 その結果をプロジェクト研究の目的に照して整理 報告するということに不慣れな点もあった。そし てその結果は、浮魚制御系からの論文発表が少な いという形となって現われた。また資源量変動機 構の解明という世界の資源研究者が取り組んでい る大課題を掲げてはみたが、年々の研究打ち合せ 会で報告される知見が資源量変動機構の解明とど う結びついて行くのかという点にも大きな不安を 抱いていた。
 しかし計画が3年4年と進んで新しい知見の蓄 積が進むと、研究展開についての一定の方向付け が可能になってくる。また、参加している研究者 もプロジェクト的な研究の進め方に慣れ、年々の 打ち合わせ会が充実してくる。バイオコスモスで 資源研究を経験した若手研究者が新たな研究展開 を支える。このような連鎖反応が起こりつつあり、 浮魚制御系の研究の活性は次第に上向いてきてい る。また、知見の蓄積が論文として現われてこな いという問題については、バイオコスモスでも今 後は論文数による研究評価を行なうという技術会 議の意向を受入れ、浮魚制御系のこれまでの蓄積 を積極的に論文として発表して行くという合意が 得られた。サブリーダーとしては、今年1年間で これまで5年間に印刷された論文数に匹敵する論 文を発表するだけのデータの量が蓄積されている と判断している。また質的にみても、魚類の資源 量変動機構研究に国際的に貢献し得る水準にある と評価している。
 一方、海区水研の研究室が相互に協力して1つ のプロジェクトを推進するために水研間の壁を越 えた協力体制が作られてきている。第(3)期に入っ た今年度から、栄養塩、クロロフィル、餌生物定 量のための試料採集を統一した手法で行ってお り、西水研と南西水研の試料を北水研と東北水研 に送って分析した。また、耳石日輪解析に関して 中央水研と東北水研で計数法の相互検定を行なう とともに、南西水研と西海区水研の耳石標本を東 北水研で解析した。仔魚飼育技術が確立している 高知大学臨海教育研究センターへは、飼育実験の ために研究者の出張滞在が予定されている。今年 度の研究打ち合わせ会で15の課題を8つのグルー プに分けて代表者が報告するという組み立てとし たことに伴って、成果の取りまとめのためのグ ループ内論議が活発に行なわれるようになった。 また、蒼鷹丸による中央水研と東北水研の冬春季 の共同調査は今後も継続される。このように、浮 魚制御系内では観測試料や分析結果がサブチーム 内を往来し、旅費が不十分な現状でも研究者の交 流と論議が活発に行なわれるようになっている。

5.国際ワークショップ
 浮魚制御系、浅海域生物制御系、岩礁域生物制 御系の3サブチームによって今年10月に中央水産 研究所で国際ワークショップ“Survival Strategy in Early Life Stages”が行われる。このワーク ショップは3つのサブチームに共通の研究課題で ある海産動物の生活史初期における生き残り戦略 に焦点を当てている。5つのセッションにそれぞ れの分野の第一線の研究者を国外から招き、バイ オコスモスの成果を中心とする国内からの研究発 表と併せて活発な論議が展開されることになる。
 ワークショップという形式での研究集会は単な る研究発表の場ではない。参加者自身が研究のポ イントとなる問題に関する報告や論議に参加し、 それを通じて新たな展開の方向を見出すといった より実戦的な研究会の場である。国外からの招待 研究者との情報交換はもちろん、日常的には研究 交流の場が少ないサブチーム間での情報交換の場 としてもこのワークショップは貴重な機会となる はずである。このワークショップが、研究推進上 の問題に関する論議を深め、また研究者が自らの 研究の国際的な位置を確認する絶好の機会となっ て、バイオコスモス研究を一層発展させる上での スプリングボードになることを期待している。今 後の準備の過程で多くの研究者の積極的な参加、 協力をお願いしたい。
参考:資源高水準期のマイワシの北西太平洋における生活周期

(生物生態部初期生態研究室長)

nrifs-info@ml.affrc.go.jp
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