中央水研ニュースNo.8(平成6年1月発行)掲載


「しんかい2000」第718次潜航調査に参加して
石原 賢司

 「しんかい2000」は潜水調査船「しんかい」 (最大潜航深度650m)の後継機として海洋科学 技術センターによって開発された大深度潜水調査 船で、その名の通り深度2000mまでの深海域に 直接、人、機材を降ろし調査・研究を行うことが できる。なお現在では、6500mまで潜航できる「し んかい6500」が開発されており、すでに様々な分 野で活躍している。
 今回、「深海無脊椎動物の脂質の特性解明」と いうテーマで「しんかい2000」の潜航調査に参加 することができたので報告する。
 通常、深度200m以深の領域を深海と称する。 深海には、光が届かない、温度が低い、水圧が高 い(10m深くなる毎に1気圧の圧力が加わる) 等の特殊な条件に適応した興味深い生物が、量は 少ないが、多種存在する事が期待される。本調査 では調査対象を無脊椎動物とし、その脂質成分の 特徴の解明を目的とした。無脊椎動物を対象にし た理由としては、第一の理由としては、無脊椎動 物は古くから分化しているために、基本的な生体 成分である脂質の組成、代謝などが多様に特殊化 しており、そこから海洋生物に関する新たな知見 が得られ、研究材料として、また様々な応用の素 材としての新奇物質が獲られる可能性が高いから である。その他の理由としては「しんかい2000」 では海の脊椎動物の代表である魚類を、分析に必 要十分な数だけ捕獲することが難かしいというこ と、深海魚類については本研究所の調査船「蒼鷹 丸」によって、深さ6000mもの深海から「蒼鷹 丸式深海篭網漁法」を用いて極めて珍しい深海魚 が十分量捕獲できること等がある。本調査では、 何分にも最初の試みということもあり、これまで に深海無脊椎動物の脂質に関する研究が行われた 例がほとんどないので、調査用サンプルとしては、 初島沖深度1200m付近の海底にコロニーの存在 が確認されているシロウリガイ(写真1)、シン カイヒバリガイ(写真2)、チューブワーム(ハ オリムシ、写真3)の3種を目標とし、また可能 であればその他の動物も採取することとした。
 潜航日は1993年11月21日であった。前日に静岡 県の伊東に着いたが、折り悪しくかなりの雨が 降っており、伊東港に出てみると傘も飛ばされそ うな程の強風が吹いていた。「しんかい2000」は 安全を確保するために海況によって潜航を中止す ることが多く(年間90回の潜航の予定のうち7~ 8割しか実行できない)今回も調査ができなくな ることが懸念された。翌朝、風はかなりおさまっ ていたが、調査に関する打ち合せの席では、まだ 波が高いために潜航が延期になる可能性が高いと 聞かされた。しかし、午前10時頃、急きょ潜航す る事が決定したとの連絡が伝えられ、あわてて「し んかい2000」に乗り込むこととなった。
 「しんかい2000」は海洋科学技術センターの調 査船「なつしま」を母船とし、潜航時以外は「な つしま」の船上に置かれている。「しんかい2000」 への乗り込みは「なつしま」上で行われ、直径 50cmのハッチから内径2.2mの耐圧殻内へと3人 (パイロット2名と研究者1名)が乗り込むこ とになる。内部には操縦席が1つあるだけで、残 りの2人は操縦者の足元に寝転がる形になる。
 実際に乗り込んでみると、内部は思ったより広 く、窮屈な感じはしなかったが、外部を見ること のできる窓は10cm程の円形のものが3つあるだ けなので、外の様子がよく分からないのが不安で あった。乗り込んでまもなく「しんかい2000」は クレーンで海面に降ろされ、機器類の最終チェッ クの後、午前10時12分に潜行を開始した。潜行は 動力を用いずに潜水艇の白重と300キログラムの おもりによっておこなう。午前11時16分深さ 1169mの海底に着底した。
 着底したところは狙い通りにシロウリガイのコ ロニーの真上であったので、早速サンプリングを 開始した。とはいっても、マニピュレータの操作、 繰船など、すべての操作はパイロットが行うので、 研究者がやるのは採取するサンプルを指定するこ とと写真を撮ることであった。潜行したポイント は、シロウリガイのコロニーを中心として、周辺 にシンカイヒバリガイやチューブワームが散在す る本調査に格好の場所であり、サンプリングは順 調に進行し、約1時間半で終了させることができ た。そこで、目的以外の生物のサンプリングを行 うつもりでいたが、海況が悪化しているので早く 浮上するようにとの連絡が母船から入り、残念な がらそれ以上のサンプリングを行う事なく、午後 12時57分に離底した。
 「しんかい2000」は、午後1時39分に海面に浮 上した。標準的な潜行時間は約6時間という事で あるが、今回の総潜行時間は3時間27分であった。
 一般に、海洋生物の脂質、特にリン脂質などは、 生物の死後、酵素によって急速に分解する。この 作用は生物を凍結保存しても完全には抑制し難い ので、採取したサンプルは「なつしま」の実験室 をお借りして、浮上後すぐに有機溶媒に浸漬する 処理を行った。海底で見た美しい姿と違い、船上 に揚がってきた深海生物たちはなんとなく色あせ て、全体に黒ずんでいるような印象を与えた。何 より特徴的であったのは、採取サンプル3種のす べてから、いわゆる温泉の匂い、つまり硫黄の匂 いが立ち昇って来ることであった。聞くところに よると、これらの生物は体内に共生微生物として 硫黄酸化細菌を住まわせており、その細菌から栄 養の少なくとも一部を得ているらしい。実際海洋 科学技術センターではチューブワームを硫化ナト リウムだけで何ヵ月か生かしているそうである。 このような生物たちの脂質を研究することで、深 海生物に関する様々な興味深い知見や新奇物質が 得られることを期待している。
写真
シロウリガイ
シンカイヒバリガイ
チューブワーム
(利用化学部脂質化学研究室)

nrifs-info@ml.affrc.go.jp
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