中央水研ニュースNo.5(平成5年1月発行)掲載 |
人造湖のイワナのはなし
前川 光司
降海型サケ・マス類は容易に川や湖に陸封され る。なかでもサクラマスやイワナ類は、その分布 の南限付近ではそれぞれヤマメ・ビワマスや陸封 型イワナとなって、生涯淡水域で生活する。本来、 かれらは海でも川でもくらせるように進化したの だと考えられている。もっと正確にいえば、産卵 だけは淡水を必要とするから、海のなかだけで生 涯くらせるようには進化しなかったということか もしれない。この性質のために、サケ・マス類は 沿岸地域だけではなく山里の人々にも幾ばくかの 恩恵と時には余暇の楽しみを与えてきた。しかし、 最近は、どの種類も減少しているようで、その数 を増やそうとする人たちと利用する人たちの苛立 ちは増すばかりにみえる。 陸封性のマス類の生活やその減少に拍車をかけ ていると思われるものの一つに河川工作物がある。 ここまで書いてきた時、某電力会杜から電話。 「イワナ・ヤマメの生息に必要な川の水深は?」 「川それぞれに個性というものがあって、一般的 に何センチとはいえない・・・・・ドウノコウノ・・・・・」 と答える。その結果、研究者のストレスもたまる。 冒頭に書いたサケ・マス類の生活がなぜたやす く変化するのか、ダム建設にともなって生じた例 をあげて考えてみる。生活を変化させることがで きるのは、個体の持つ生理機能のおかげであり、 この方面の研究は比較的進んでいる。しかし、野 外における個体群の変動様式についての研究はき わめて重要であるにもかかわらず、案外多くはな い。ここでは頭の整理もかねて、進化的な観点か らおもいきった推論をこころみたい。 この数年調査を続けている富山県の百峰湖(人 造湖)にすむイワナは、発電用のダムが造られる まで、渓谷を流れる川だけで生活してきたと考え られている。今から30年ほど前、有峰湖カ完成し、 その後冠水すると、イワナはこの湖を利用するよ うになった。そして湖で大きく成長したイワナは 産卵のために河川にそ上するようにもなった。こ うした生活の変化に相前後して、河川で生涯をく らす小型で成熟する雄(河川残留型)が出現した。 あるいは、雄の一部は、湖ができるまえの生活を 維持したともいえる。これは回遊型アメマスに降 海型と河川残留型雄があることと類似している。 有峰湖のイワナの場合、まだ小型で成熟する河川 残留型の雌が少しいるので、回遊型アメマスのよ うな生活様式になる途中にあると考えられる。 いま、湖を最初に利用した個体の適応度(その 個体の子供が親になるまで生き残る数と定義され る)をWa、川に残った個体の対応度をWrとする と、降湖型が集団に広がる条件は、 Wa>Wr・・・・・(1)
である。両方の型が安定した比率で生き残る条件
は、Wa=Wr・・・・・(2)
である。有峰湖のイワナの雌の場合、湖に降りる個体の 成熟年齢は川に残る個体と変わらないのに、その 体長や体重は後者の数倍にもなる(山本祥一朗ら、 1992)。体の大きさは卵数に大きく影響する。だ から、両型の生存率がそれほど変わらないとする と(これは実はよく解っていない)、(1)の式が成 り立ち、降湖型雌が集団中に広がり、河川残留型 雌はいずれ集団から消え去ってしまうか、ほそぼ そと生き残るかいずれかである。しかしなにかの 条件(例えば川の生産力が高くて、河川残留型の 生存率が極端によくなるなど)で(2)の式が成り立 つと両型が共存する。しかし、河川残留型の雌の 比率が降湖型雌に比べて極端に少ない現状を考え ると・両型が共声する確率は有峰湖では低いよう である。 雄の場合は少し事情が異なる。というのは雄の 適応度には受精成功率が重要であり、各雄のその 成功率は個体ごとに大きく変化するからである。 よく知られているように(例えば、前川1990)、 イワナは繁殖の際、降湖型どうしでつがいをつく るけれど、つがいをつくる機会の少ない体の小さ な河川残留型の雄はつがいの放精・放卵中にすば やく雌の側によっていきよいよく放精する(スニー キングと呼ぶ)。有峰湖のイワナの場合、残留型 のスニークする行動は、筆者がみたほかのイワナ 類と比べて、「へた」である。あるいはまだ熟練 していないといった方がよいかもしれない。これ を定量化できないのは残念であり、実際、現在投 稿中の論文にはこのことに触れることができなかっ た。残留型雄がスニークに成功したのはつがいの 産卵床のすぐ側に身を隠せるような倒木や、枯葉 が堆積した浅瀬がある時に限られてきた。こうし た場所は降湖型の雄の攻撃から身をかくすことが できるからである。残留型の平均的な受精成功率 は解っていないけれど(アイソザイムやフィンガー プリントDNA等の遺侯学的手法を使って明らか にできる)、いずれにしても残留型はスニークす ることによってなにがしかの子をつくることが解っ ている。しかも、受精成功率のほかに適応度に大 きく作用する繁殖開始年齢が両型で違っている。 残留型の方が少なくとも一年は早く、適応度をあ げる大きな要因となる。 降湖型と残留型の雄の適応度の関係が、先に示 した二つの式のうち、どちらにあてはまるのか、 まだ明らかではない。もし、(1)であっても残留型 の上に示したような行動があり、いつも子をつく ることができるのであれば、残留型は集団から消 えることはないと考えられる。また、(2)の状態に あれば、個体群が安定しているという条件のもと で、やがて二つの型の出現頻度は安定に近づくと、 理論は予測している(例えば、クロス・前川1991)。 百峰湖のイワナの雄二型の頻度が今後どのように 変化してくるのか、いまのところ纈翁はだせない。 しかし、ここ当分、雌の場合とは違って雄の二つ の型は共存していくのではないかと思われる。 百峰湖のイワナの回遊性(降湖すること)を促 進していると思われる婚姻形態にも触れておこう。 このイワナの場合、つがいになる雌雄は体の大き さが非常に類似しており、体の大きな雌は大きな 雄と、小さな雌は小さな雄とつがいをつくる。こ の現象を「体のサイズによる同類交配」と呼ぶ。 同類交配が生じる機構はたいへん興味ある問題で あるがここでは触れない。ところで、この体のサ イズの小さな個体はどれも河川残留型であり、大 きな個体は降湖型である。残留型と降湖型の体の 大きさは、体長分布でみると重複しないので、雌 の側からみれば「型による同類交配」が成り立っ ている。いわば、「型による同類交配」は体のサ イズによる同類交配の延長線としてできあがって いるのである。雄の側からみると、ほとんどの個 体は「型による同類交配」をおこなっているが、 残留型の雄はつがいになれなければ、すでに書い たように降湖型の雌雄のそばでスニーク行動によっ て放精し、まわりに降湖型の雄がいなければ、降 湖型の雌とつがいになることもできる。 もし残留型の雌雄ともに適応度が低けれぱ、残 留型雌の子の適応度は一層低くなり、集団から残 留型の雌消失に拍車がかかるはずである。ただし、 残留型雄の方は、スニークすることで、自らの子 の適応度をそれほど下げないですみ生き残る。集 団遺伝学的手法やモデルを用いて詳しく調べてみ る必要があると思う。
おわりに (内水面利用部魚類生態研究室長)
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