中央水研ニュースNo.5(平成5年1月発行)掲載


「美しい村づくり研究」に取り組んで
田中 克哲

 漁業経営経済研究室の研究目標として「漁村地 域活性化のための研究」がある。「美しい村づく り研究」は、これに関連したものとして実施され ることとなった。事の起こりは水産庁の所管する (財)漁港漁村建設技術研究所(以下「漁港漁村 研」という。)との出会いから始まる。この団体 は漁港や漁村の振興構想や整備計画を策定してい る研究所で、これまで水産工学研究所とのつきあ いが深い。そんな折、前水産工学研究所長であっ た小金澤所長が経営経済部と漁港漁村研との出会 いのきっかけをつくってくださった。
 このころ、漁港漁村研の新たな重要研究課題が 「美しい村づくり」であった。これは当時の近藤 農林水産大臣が提唱したもので、農山漁村に若者 やそのお嫁さんが定住するためには単に所得を増 大させるだけでなく、ヨーロッパに見られるよう な美しい農山漁村をつくる必要があるというもの である。これは農林水産省の大きな政策課題とな り、各種の事業予算が獲得された。水産庁漁港部 では「美しい村づくり基本構想策定調査」という 計画策定費とこれに基づく施設整備を行うための 「美的空間特別対策事業」という予算が獲得され、 全国各地の漁港の構想づくりが行政側から委託を 受けた漁港漁村研で行われることとなった。とこ ろがこの美しい村づくり構想が検討される中で問 題となったのは、単に美しい施設の整備計画が提 案されるだけで、それが実際に漁村の活性化に結 び付くかどうかについてはほとんど考慮されてい ないことであった。そこで美しい村づくりと漁村 の活性化との関連について水産屋の立場から研究 してほしいとの要望が経営経済部に出され、平成 4年度の受託研究として「美しい村づくり評価指 針調査」が行われることとなった。
 しかしながら、このような研究はこれまで経営 経済部の誰も行ったことがないため、皆が意見を 持ち寄り、あれこれと議論を行った。あるアイデ アでは、都会の若い女性や漁業者の娘さんにアン ケート調査を行い、なぜ漁村に嫁に行きたくない か、その原因として漁村の美しさが関係している かどうか調べよう、また、別のアイデアでは美し い村づくりを漁村の活性化と同義語としてとらえ、 漁業センサスから漁村の活性化要因を統計的に抽 出しよう、というものもあった。このようなアイ デアを漁港漁村研と打ち合わせ、今回はとりあえ ず数カ所の事例調査を行い、美しい村づくりと漁 村の活性化との関係を検討することとなった。
 ところが実際には「美しい村づくりによる若者の 定住化促進」というような考え方は漁村にはまっ たくといっていいほど存在しないものであって、 漁協等でのヒアリングは困難を極めた。ここ ではこの困難でかつ興味深い研究の概要を紹介 しよう。
 研究では、その前提として美しい村づくりと漁 村の活性化の関係を類型化する作業を行った。こ れには次の2つのタイプが考えられた。
(1)美しい村への定住化による漁村活性化
(2)美しい村への集客による漁村活性化
 すなわち、美しい村をつくる事により、(1)は漁 業後継者や婦人の望むような生活環境が創出され、 漁村の定住化が促進されるものであって、(2)は漁 村を訪れる人が増え、その人たちが落とす金によっ て漁村を活性化するものである。この(1)と(2)では 根本的に発想が異なる。(1)は漁業所得とは関係し ない定住化促進が目的であるが、(2)は最終的には 漁村の収入を増大させること、すなわち漁業者の 経営の多角化により所得を増加させ、これによっ て定住化を促進することが目的である。
 今回調査した6つの地域の「美しい村づくり」 と「漁村活性化」との関係を整理すると、まず(1) の「美しい村への定住化による漁村活性化」につ いては、当初期待したような純粋に「美しさ」が 定住化の促進に役立っている事例は見ることがで きなかった。
 一方、(2)の「美しい村への集客による漁村の活 性化」については、
 ①漁港の美しさを利用したものとして神奈川県 芝漁港がある。これは移転した漁港の後背地を利 用して漁業者がアパート経営をしているものであ るが、入居者の確保のため非常にきれいな建物を 建設しており、この意味で「美しい村づくり」が 行われているといえる。このようなアパート経営 収入は漁業者の全収入の1/3程度になっている ようであり、これが漁業者の所得を向上させ、後 継者の確保、嫁の確保等を可能にし、漁村を活性 化させている。
 ②水揚げ風景等漁業活動の楽しさ(美しさ)を 利用した事例としては、芝漁港や愛知県豊浜漁港 での水産物の直売事業があげられる。前者は漁船 が水揚げした魚を漁港で直売するもので、漁業活 動を景観として利用し事業を展開しているものと 位置づけられる。なお、事業実施による漁協の収 益は年間約300万円程度である。後者については、 屋根の上に大きな鯛をシンボルとして置いた敷地 約1,000㎡の「豊浜さかな広場」を漁港内に建設 し、漁港に水揚げされた魚の直売を目玉として観 光バス等を誘致している。この事業の実施により 年間11.5億円の売上げがあり、漁業者はこれまで 市場価値のなかった雑魚が売れるようになったほ か、漁協には販売業者からの施設使用料が入って いる。さらに「豊浜さかな広場」のイメージが水 産物流通業界で「豊浜ブランド」を確立すること となり、漁業者に間接的な利益を生み出している。
 ③海や浜の美しさを利用した事例としては、沖 縄県恩納村漁協の観光案内業の展開と熊本県三角 町の漁業者によるマリーナ事業の展開があげられ る。前者については林立する大型ホテルの客を対 象に漁業者がグラスボートやダイビングボートで 海中案内を行っており、これが漁業者の所得を向 上させ、後継者の確保や嫁の確保を可能にし、定 住化を促進している。なお、ここで注目されるの は海の美しさを活用した事業展開により漁業後継 者が増大したため、冬場の海藻養殖も盛んになり、 養殖生産量が増大していることである。したがっ て美しい海が間接的に漁業生産活動を活性化させ ていることとなる。さらに漁協ではダイビング用 空気ボンベの充填作業も行っており、年間200万 円弱が漁協の収入となっている。後者については マイボートを秩序良く係留させるため漁港内の4 カ所に漁協が専用桟橋を設置して施設利用料を徴 収しており、そのほとんどが漁協の収入となるこ とから漁協経営の存立に欠かせないものとなって いる。なお、今後の「海や浜の美しさ」を活用し て漁協等の活性化を図ることのできる可能性のあ る地域として三重県の五ケ所湾があり、漁業関係 者によるマリーナやダイビング事業の展開も検討 されているが、このためには漁村の美しさの整備 はともかく、アクセス道路の整備が一番重要であ ることが指摘されている。
 以上、調査結果の概要を紹介したが「美しさ」 の評価は個人、年齢、性別によっても大きく異な るものである。今回のように定住化の促進を目的 とする場合は若者、特に若い女性の好む美しさに 焦点をあわす必要があろう。これまでの漁村は共 同体杜会としての便利さを追求した密集した集落 が主体である。一方、現在は個人社会が重視され、 女性から「社会的おつきあい」が嫌われる傾向に あり、単に古い漁村イメージからの「美しい村づ くり」でなく、目的に応じた美しい村づくりが検 討されるべきであろう。
(経営経済部漁業経営経済研究室長)
参考図 「美しい村つくり」と「漁村活性化」との関係
nrifs-info@ml.affrc.go.jp
back中央水研ニュース No.5目次へ
top中央水研ホームページへ