中央水研ニュースNo.3(平成3年1月発行)掲載


深海微生物事始め
中山 昭彦

1.ぷろろ一ぐ
 「ダッダッダッダッ…」短い周期で音の高 低を繰り返す単調なエンジンの音。暗闇の中で目 が覚めた。幅70cm程の寝棚は少し肘を張ると両端 に着いてしまう程だ。6月24日午前7時。小刻み に前後左右に揺れる度に、4畳ばかりの喫水下の 調査員用船室のあちこちで「ミシ、ビシ」と音か する。東京を出航して12日目。朝食を済ませて、 船橋に上がると、雲は幾分多めだが日が射し、心 地よい風が左舷側から右舷側へ吹き抜けていく。 午前8時半現在、北緯32度42分、東経141度24分、 東京から215海里、397㎞、進路147度半、南南東、 ステイション2(北緯30度00分、東経143度30分) へ向かって南下している。船足11.2ノット、気温 24.2度、水温25.1度、気圧1017.7mbar、風速9m/s、 風向左30度、うねり1m弱の高さ。この 分だと、今日一日まずまずの海況で、明朝2時に はステイション2の海域に到着するだろう。
 平成2年度蒼鷹丸第三次調査航海は、6月12日 から7月11日の1ヵ月の予定で、調査海域(伊豆 小笠原海領嶺~北硫黄島海域)の5ステイション (図1)で、水深5,000m台の海底に篭網を下ろし 深海性ソコダラ類を採取するのをはじめ、種々の ネットを使って表層から深海底までの各層の生物 を採取し、深海生物群集の放射生態学的研究を行 うことが目的であるが、筆者は、この内、深海篭 網で採取される深海性ソコダラ類の腸管をサンプ リングする為、昨年のちょうど同じ時期の平成元 年度蒼鷹丸第四次調査航海に続いて文字通り便乗 させてもらっているのである。  さて、深海性ソコダラ類の腸管が何故必要なの か.?深海の微生物と深海性ソコダラ類とはどん な関係があるか……?

2.プロジェクト「海洋深眉資源の有効利用技術 の開発に関する研究」
 ことの起こりは、昭和63年夏頃のこのプロジェ クトヘの参加の話からである。このプロジェクト は、昭和61年度から5年間の予定で始まった科学 技術庁振興調整費によるものである。この中の研 究項目の一つ、「深海微生物の探索・培養とその 生理、生態に関する研究」の一課題として「深海 共生微生物の探索・培養に関する研究」というこ とで、我々の研究室は、プロジェクトとしては4 年目の平成元年度から2年間参加させてもらった。 何故、深海共生微生物が研究対象になったのか? これは、本研究項目に参加していた東京大学海洋 研究所はじめ8研究機関のすでに行っている研究 課題に抵触しない研究対象が、たまたま深海共生 微生物だったという単純な理由からである。そこ で、微生物濃度の高いと考えられ、大きな意味で 共生と言える深海生物の腸内微生物を狙うことに した。

3.深海微生物:好圧微生物と耐圧微生物
 ところで、微生物という言葉は、大きさが大体 0.1mm(100μ)以下の微小で肉眼では観察でき ないような生物に対する便宜的な総称である。従っ て、これには、一部の後生動物、原生動物、多く の藻類、菌類(茸、カビ、酵母)、細菌、ウイル ス等が含まれるが、一般に、馴染み深いのは、細 菌、酵母、およびカビである。
 さて、これらの微生物の中には、常識ではとて も考えられないような環境下でも生残し、さらに 非常に過酷な特殊な環境を好んで生活しているも のが、古くからよく知られている。例えば、60~ 80℃で最もよく増殖する好熱細菌や35%以上の飽 和食塩濃度で最もよく増殖する好塩細菌等がよく 研究されている。この様な特殊環境因子の一つに 「圧」がある。19世紀末には、深海の高圧下にも 細菌が自然に存在することは示された1)が、人々 の関心は殆ど引かなかった。1940年代後半から50 年代前半になってやっと関心がもたれるようにな り、1949年、ZoBellとJohnsonによって「好圧 性」(barophilic)と「耐圧性」(barotolerant) いう言葉も導入された2)。好圧性は大気圧下より より高圧下の方が増殖が良いことを意味し、耐圧 性は大気圧下での増殖が最も良いが、それ以上の 高圧下でも増殖可能なことを意味する。しかし、 深海の特殊な環境に生息する微生物はその採取そ のものが非常に難しく、また培養・保存に先ず五、 六百気圧の加圧が必要である等の実験そのものの 困難さから、関心がもたれるようになって30年以 上も後の1979年になって初めて、約500気圧に増 殖の最適圧を持つ好圧細菌が純粋に単離されたほ どである3)
 昨年の潜水調査船「しんかい6500」(海洋科学 技術開発センター所属)の建造にみられるように、 最近、実用的にも科学的にも、海洋の深層資源が 一段と注目を集めてきている。しかし、深海の微 生物を含めた生物に関する報告は、世界的にもま だまだ少ないのが現状である。日本において深層 海水あるいは深海底泥からの微生物の分離の試み があるのみで4)、好圧微生物の分離の報告例はま だないようである。そこで、先に述べたように深 海性魚類の腸管から、先ず好圧微生物の分離を試 みることにした。

4.深海生物のサンプリング
 さて、5,000m~6,000mの文字通り深海からど の様にして深海生物を採取するのか、これが先ず 問題になる。幸いにも、10年程前から、我々の水 産庁中央水産研究所の海洋生産部海洋放射能研究 室(吉田勝彦室長:旧東海区水産研究所の放射能 部第一研究室)では、放射性廃棄物質の海洋処分 に伴う調査の一環として、深海生物のサンプリン グ法を生態群毎に確立し、現在も調査を継続して いる。深海性ソコダラ類の採集に関しては、「蒼 鷹丸式深海篭網(切り離し)漁法」として確立さ れている5)
 この漁法を図2に模式的に示した。実際の水深 の1.5倍程度のロープの先に、底面の直径が1.8m、 高さ1.0mの鉢型の篭網を5個を100m問隔で設置 したものを沈める。篭にはこの写真1で分かるよ うに、入口が3箇所あり、深海生物を引き寄せる ためには2リットル程の穴の開いたポリビン3個 に魚のぶつ切りを入れる。篭入れが終了すると、 レーダーブイを付け、一日放置する。次の日、篭 投入地点に戻り、篭上げを行う。水深により異な るが、通常、篭入れには1~2時問、篭上げには 4~5時問を要する。この聞の操船は非常に難し く、この深海生物のサンプリングは、蒼鷹丸の中 山船長の優れた操船技術とチームワークのとれた 乗組員の漁労技術に負うところが大きい。

5.腸管の採集
 以上の漁法で、昨年の航海で獲られた深海生物 の内、筆者が頂いたのは、深海性ソコダラ類13尾、 コンゴウアナゴ類4尾、アシロ類3尾の計20尾で ある。この内、11サンプルは、サンプリング後直 ちに冷蔵した。これらからの腸管からの採取は、 出来る限り無菌的に腹側から解剖して行った。即 ち、肛門から約5cm付近を滅菌手術糸で縛り、次 に20㎝程度胃の方に遡ったところで同様に滅菌手 術糸で縛り、そしてそれぞれ縛った箇所の外側で この腸管を切り取る。この採取した腸管は、滅菌 生理的食塩水で3回洗浄後、滅菌レトルトパウチ (6×11cm)に密封し、ステンレス・スチール製 高圧容器に入れ、エナパックの手動式水圧ポンプ で各々の採取された深海生物の水深に応じた水圧 をかけて(写真2)、5℃で保管し持ち帰った。
 なお、余談になるが、篭網で上がってきた深海 性ソコダラ類は、写真3のごとき形態で、形も形 であるが、初めて知ったその臭いのすごいこと、 筆舌に表せないような何ともいえない悪臭で、サ ンプリング後、ステイションの移動で、船が走っ たりすると、小さな研究室にその臭いがこもり、 その中で魚体を計測し、それぞれの処理をするの は、船酔に強いものにとってもかなり辛い作業で あった。

6.好圧微生物の生残の証明
 昨年度は、本プロジェクトは当研究室にとって は初年度であり、また予算が遅れた関係で、ステ ンレス・スチール製高圧容器等が揃って実際実験 を始められたのは、サンプリングから5ヵ月も経った 11月になってからであった。微生物の分離は、 水深6100mから採取された深海性ソコダラ類2サンプルと アシロ類1サンプルの3サンプルについて先ず行った。 サンプルの腸管は、レトルトパウチの 外側から押さえるだけで比較的容易に崩壊するような 状態になっていた。この腸管崩壊懸濁流 を4cm四方のレトルトパウチに2mlずつ入れた消 洋細菌用培地で有名なZoBell 2216寒天培地等い 接種し、9,000psi(612atm)での加圧培養を5℃で 行ったが、寒天培地では明確な微生物の増殖が 確認できなかった。そこで、標準寒天培地から寒 天を除き、NaCl 2.5%、MgSO4 O.25%を添加した 液体培地を用いて、先ず、好圧微生物の存在の 確認を行うことにした。即ち、試料をこの液体培 地に接種し、大気圧(1atm)と612atmとで培養して 比較した。すると、深海性ソコダラ類の 1サンプルにおいて、培養10日目で612atmでの 培養において明らかに増殖し、大気圧(1atm) での培養では全く増殖しないという結果が得られた。 さらに、この培養液を全く同様にこの液体培地に 再接種し1atmと612atmとで培養しても、 やはり612atmのみ増殖がみられた。
 この培養液を顕微鏡で観察してみると、桿菌、 球菌、酵母用のもの等、細胞の形態的には少なく とも5種類以上のものが観察された(写真4)。 さらに驚いたことに、顕微鏡観察は当然大気圧下で 行っているのにもかかわらず、これらの内には 活発に運動するものが多数見られたことである。 これらの様子は、写真には撮れないので、顕微鏡 に取り付けたテレビカメラを通じてビデオに納め た。なお、これらの好圧微生物を純粋に単離する ことが、今年度の目標の一つである。
 以上の結果から、今回のように、深海生物のサ ンプリング時、微生物の分離操作時等は、大気圧 下で行っていても、即ち大気圧まで減圧されるよ うなことがあっても、深海性ソコダラ類の腸管に は好圧微生物が生残していることが証明され、そ の分離は可能であることが示された。さらに、大 気圧下で顕微鏡観察時に活発に運動する菌体が多 数見られたことからも、これらの好圧微生物は大 気圧に減圧されたからといって急激に死滅するの ではなく、減圧耐性あるいは大気圧耐性の好圧微 生物といえる6)

7.「しんかい2000」体験記
 この様に、平成元年度から、深海の微生物の仕 事を始めてから、深海の様子を実際、一度自分自 身の目で見てみたいと思っていましたが、幸い、 平成2年4月21日午前9時半から午後4時半まで 約7時問、駿河湾(松崎沖)にて、「しんかい2000」 で水深1950mの世界を体験する機会があった(写真5)
 水深200mも過ぎ、観察窓の外が暗になってか ら、船外船内の照明をすべて消して、目が馴れて くると観測窓の外は発光生物の青白い光があたか も星空のように無数に見える。あるものは観測窓 の前のバスケットにぶつかりパッと一瞬強く光っ て砕け、あるものは糸状に連なって下から上へと 窓の外を過ぎ去って行く。この光景は、光の強度 の関係で、写真には撮れないし、ビデオにも写ら ない。「しんかい」に乗った人しか見られない光 景とのことであった。発光生物がこんなにも多い とは、全く驚きであった。
 水深1950mの海底に来ると、これまたマリン・ スノウは吹雪のようだった。海底は白っぽくべ一 ジョ色で所々小さな穴が開いていた。また、何か ミミズが這ったようなクネクネしたすじが見られ た。柱状採泥器で採泥すると、底泥の質は非常に 細かくしばらく煙のようにたなびくのが見えた。 大きな蟹、海老、ソコダラの様な魚類等、にも会 うことが出来た(写真6)。直径2.2mの球の中で、 パイロットとコパイロットの二人と一緒にとった 1950mの海底での昼食の味は忘れられない。
 「しんかい2000」支援母船「なつしま」船上で、 潜航前後の整備の様子を見学していると、建造さ れて10年近くになるが、水深2000mの世界もまだ まだ科学技術の力と整備陣とパイロットの人達の 細心の注意でもってやっと到達できる水深である ことがよく理解できた。この第469回潜航の貴重 な体験と潜航中の写真の掲載許可に御尽力頂きま した関係者の皆様に誌上を借りてお礼の意を表し ます。

8.深海微生物の研究の将来
 さて、深海微生物の持つ最大の特徴は、やはり、 好圧性と耐圧性、それに好冷性であろう。また、 今まで殆ど研究されていないので、菌体成分や菌 体外酵素等の菌体外排出物質に全く新しい有用物 質(生物活性物質等)が発見されるかも知れない。 従って、今後のこれら深海微生物の持つ好圧性と 耐圧性の機作の解析とこれらの持つ有用物質の探 索が、大きな課題となって行くものと考えられる。
 好圧性あるいは耐圧性の機作の解析が出来れば、 現在、醗酵工業の酵素化学的生産工程の酵素を タンパク工学的に改良し、好圧性あるいは耐圧性を 付与することにより工程の高速化・効率化、ある いは加圧による雑菌抑制を利用した工程管理の簡 略化等が可能になるものと思われる。
 また、これらの深海微生物の持つ好圧性酵素あ るいは菌体そのものを利用して、バイオ圧センサー の開発も可能である。さらに、大気圧下では増殖 しないという性質から、遺伝子工学での安全な宿 主としての利用も考えられる。
 さらに、我々の方法とは異なり、全く現場の圧 を減圧せずに絶対好圧微生物を分離しようとする 研究を行っているグループもある。この一度でも 減圧されれば死滅する様な絶対好圧微生物は、果 して存在するのか?また、存在するとすればどの 様な微生物なのか?成果が待たれるところである。
 この様に、圧と微生物あるいは生物に関する研 究は、これからの研究分野であり、21世紀には、 以上の他にも全く予期しないような発展も期待さ れる。

9.えぴろ一ぐ
 平成2年度蒼鷹丸第三次調査航海も、本日(7 月8日)のステイション5(北緯27度17分、東経 145度10分)の海山での3回のドレッジを最後に 全ての調査を終了した。正午より、進路328度、 北北西、東京へ向かってほぼ北上を開始する。東 京まで約550海里、約1,020㎞。丸二日以上かけて 帰港する。
 船で一番高いコンパス・ブリッジ・デッキに上 がって水平線に真っ赤に沈む太陽を眺める。360 度船の周り、すべて水平線、島一つ見えない、水 平線上の夕焼けに染まる夏雲が何とも美しい。頭 上の雲は早秋の雲のような鰯雲。
 この様に、大洋の真中で小さな船に乗り、周り の広々とした海を眺めていると、そのとてつもな い広さに圧倒されてしまう。また、富士山の高さ にも匹敵する3,700mという海洋の平均水深から も、想像を絶するような容積である。人は、この 大洋の自然の営みをどれほど知っているというの だろうか!何とも心許なくなって来る。
 今回の2年間の深海微生物の研究が平成3年度 からの新プロジェクト「新需要創出のための生物 機能の開発・利用技術の開発に関する総合研究」 の一課題へと発展し(予算申請中)、この大洋の 未知の世界の扉を少しでも押し開いて、21世紀の 若い研究者につなぐことが出来ればと念じながら 喫水下の船室へ下りた。絶え間ないエンジン音、 小刻みの前後左右の揺れ、それに伴うきしみ音。 これも後三日のお付き合いだ。頭上の蛍光灯を消 し、暗闇の中でなんとなく湿っぽい寝棚に疲れた 身を伸ばした。
 平成2年7月8日、午後9時、蒼鷹丸船室にて。

(利用化学部応用微生物研究室長)
文献
1)Certes, A. :Comptes Rendus de l'Academie des Sciences, Paris, 36, 220-222 (1884).
2)ZoBell, C. E. and Johnson, F. H. :Jounal of Bacteriology, 57, 179-189 (1949).
3)Yayanos, A. A. Dietz, A. S., and Van Boxtel, R. :Science, 205, 808-810 (1979).
4)科学技術庁開発局海洋開発課:海洋深層資源の有効利用技術の開発に関する研究、昭和62年度研究成果、119-182、昭和63年9月。
5)黒肱善雄:さかな、第32号、45-50、昭和59年。
6)中山昭彦ほか:平成2年度日本水産学会春季大会講演要旨集、p.205。
注)本文の一部は、平成2年!1月15日付け「漁政の窓」に掲載した。
nrifs-info@ml.affrc.go.jp
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