■ 海外出張 平成19年4月掲載



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写真1 発表の様子


写真2 参加者の様子


写真3 フィヨルドの街、ベルゲン


写真4 世界文化遺産の町並み。その前にはまき網漁船が留まっている。

 2006年9月26日~28日にノルウェー国ベルゲン市で開催された「生態系的取組みの漁業への適用に関するベルゲン会合(The Bergen Conference on Implementing the Ecosystem Approach to Fisheries )」に参加しました。

 本会合は、2001年にアイスランドで開催された「海洋生態系における責任ある漁業に関するレイキャビック会合」のフォローアップ会合と位置づけられ、生態系的取組みの漁業への適用面を中心に幅広い発表・議論が行われました。参加者は研究者・各国および国際機関担当官・NGO・漁業界代表など約200名にのぼりました。日本からは水産庁の森下丈二国際交渉官のほか、私を含めて4名が参加しました。私は「生態系的取組みの日本漁業への適用:知床世界自然遺産の場合」というタイトルで、地元漁業者らが生態系的取組みの中で果たしうる役割について、ポスター発表を行いました。

 本会合の議論の概略を紹介いたします。まず、今後の漁業管理の方向性として生態系的取組み(Ecosystem Approach)を適用していく必要があることが確認されました。ただし人間が生態系を完全に管理することは元来不可能であるため、人間による生態系の“利用”を管理するという点に着目すべきことが強調されました。また、不確実性・変動性への対処法として、リスク評価や順応的管理の重要性が指摘されました。さらに、生態系的取組みには、漁業のみならず海上運輸や石油開発、観光、陸起源汚染など、既存の行政区分を超えた統合的管理が必要となります。よってそこに科学的助言を与えるためには、研究も学際的に行われる必要があることが指摘されました。なお、今後必要とされる自然科学的な分析の課題としては、生物多様性と生物生産性の関係、食物網の構造と漁業との関係、生息域の重要性や連結性、気候変動などグローバルな変化の影響、が挙げられました。

 一方、社会科学的課題としては、漁業管理や生態系管理の効果を評価する際には貨幣的価値のみでは正当な評価ができないため、生態・経済・社会・管理の4種類のコストとベネフィット(非貨幣的価値も含めて)が評価に組み入れられるべきであり、さらにその分配・分布も重要であるという指摘がなされました。また、社会科学的観点から必要なデータの同定を進めるべきという指摘もありました。

 ノルウェーでは水産業が石油産業に次ぐ第二の産業であり、1900年に設立された水産省は世界最古の歴史を持っているそうです。また、ノルウェー国における水産関係の総合的な研究拠点である海洋研究機構(Institute of Marine Research)は、その研究組織の構成が注目されました。伝統的な学問領域に基づく16の研究グループ(プランクトン、底生生物、貝類・甲殻類、哺乳類、資源評価、海洋学、海洋汚染、遺伝子工学、生理学、栄養学、漁業管理など)と平行して、これらの学問領域を横断した3つの生態系研究グループが海域ごとに組織されています。そしてこの生態系研究グループを単位として、各海域における問題解決型の学際研究プロジェクトが実行されつつあるようです。たとえばノルウェー北部にあるバレンツ海域には、ノルウェーとロシアの間で油田問題や領土問題があります。しかし、バレンツ海生態系・資源研究グループがロシアと共同で生態系サーベイを行っており、ノルウェー側海域で立案された海域管理計画はロシア語にも翻訳されているとのことでした。こうした取り組みは、知床世界遺産海域においても今後大いに参考になると思われます。

 以下、生態系的取組みが最も必要とされている沿岸域を想定して、本会合の議論において欠けていた視点と、そこから導かれる今後の研究課題を5点ほど指摘したいと思います。

 まず、リスク評価と順応的管理の重要性が指摘されましたが、この2者の間をつなげる理念や具体的な意思決定の方法論が明らかにされませんでした。リスク評価は不確実性や変動性の下での将来予測を分布やランキングを用いて評価するものです。しかしこれはあくまで評価であり、意思決定を直接指針付けるものではありません。一方で順応的管理は、リスク評価の結果を受けてそのリスクを小さくする方策(戦略)の一つです。学習しながら柔軟に意思決定を繰り返していくことにより、知見の増加と不確実性の削減、大失敗の回避が可能となり、リスクが削減できるという考え方です。今後必要とされる研究課題は、施策のコストも考慮しつつ、施策の規模や回数、タイミング、空間的配置などの意思決定指針(リスク管理指針)を導き出す理論です。

 2点目は、変動性と安定性に関する議論です。食料生産業としての水産業を考慮する際には、変動性や不確実性を前提とした上で、供給量や漁獲高の安定性を確保することが重要です。つまり、どのように効率性を高めるかと同時に、どうやって悪い事態(たとえば供給量の乱高下や連続赤字など)を避けるか、という視点も重要となります。こうした研究は資源・経済の両面を踏まえた学際的なものとなるでしょう。

 3点目は、権利とインセンティブ(誘引)に関する議論です。近年、インセンティブ施策としての「権利に基づく漁業」の重要性が指摘されていますが、多くの国際会議の場合それは個別漁獲可能量割当(IQ)や個別譲渡可能漁獲割当(ITQ)など、漁獲対象資源そのものに対して毎年設定される権利を想定した議論です。よってインセンティブは、その割当量を条件とした各年の利潤最大化に向くことになります。しかし、資源や市場条件の変動性・不確実性は漁業者の将来割引率を引き上げるため、特に変動性の高い資源では意思決定が短期的とならざるを得ません。よって一つの代替的インセンティブ施策として、日本の共同漁業権や区画漁業権のように生態系サービス(豊度)に対する権利と管理責任の付与という方策が考えられます。この方が、特に沿岸生態系管理には整合的であると思われます。

 4点目として、地域に居住し操業している漁業者・漁業コミュニティーが生態系的取組みにおいて果たしうる役割に関する議論がほとんどありませんでした。したがって能力育成(Capacity Building)の議論も、自主的執行(Self-enforcement)の促進も、合意形成の重要性も議論されませんでした。世界には、漁業があるから沿岸に人が住んでいる、という場所がたくさんあります。その場合、地元住民は最も重要な利害関係者ですし、沿岸生態系の一部として捉えるべきです。漁業・漁村の有する多面的な機能という見地から、検討が必要となるでしょう。

 最後に、生態系的取組みを導入するコストの面です。本会合では、発展途上国でも採用できるような低いコストでのやり方に関する議論が欠けていました。アメリカやオーストラリアなど、生態系的取組みに多大な予算を使っている国でも「データが足りない、予算が足りない」という発表でした。そのような国のやり方が成功したとしても、発展途上国に応用することは困難です。そもそも、膨大な数の漁民と漁船が多種多様な魚種を採捕し、また行政予算も小さいアジア太平洋地域やアフリカ沿岸地域には、英米法的漁業管理理念は馴染みません。これらの地域では地元の資源利用者(地元漁業者・漁業コミュニティー)を中心とした取組みが模索されるべきであって、さらに管理コストの面も考えると、利用者らの積極的な参画と自主的執行を促すことが、生態系的取組み自体の持続性の確立に必要であると思われます。

 以上、本会合の議論の概要と、今後の研究課題を述べました。これまで、漁業管理や生態系管理に関する国際的な議論は欧米を中心に行われてきました。しかし、異なる自然環境と異なる社会環境の下では、望ましい漁業管理・生態系管理も異なるはずです。欧米の議論が良い・悪いではなく、日本は日本の、アジアはアジアの漁業管理や生態系管理を考案し提示することが、理論の発展のためにも現実の課題解決のためにも重要です。まずはその第一歩として、欧米を中心とした現在の生態系管理の議論を相対化する観点を、欧米の研究者が分かる言葉で、日本から発信していきたいと考えています。

 

 
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