■ 海外出張 平成19年4月掲載



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写真1 漁から帰ってきたバリ島の沿岸漁民


写真2 刺網にかかった魚を取る様子


写真3 デンパサール市の魚市場


写真4 漁村の様子
(家屋の前では海藻類が天日干されている)


写真5 田園風景

 2006年6月19~23日にインドネシアのバリ島において開催された「国際共有資源研究学会(International Association for the Study of Common Property: IASCP)」の世界大会に参加しました。

 本学会は、遊牧地・海洋生物・水・大気・オゾン層・生物多様性等に代表される共有資源(通称「コモンズ」)を対象として、その持続的・効率的利用を可能とするための制度の性格、制度自体の持続性・柔軟性・公平性等を考察する学際学会です。2年に一度の割合で世界大会が開催され、今大会には、制度学、経済学、人類学、民俗学、社会学、自然科学等、多岐にわたる分野から700名を超える参加者がありました。私も日本の資源回復計画に関する制度分析結果を発表しました。

 共有資源とは、1)利用の競合性があり、2)潜在的利用者を排除するにはコストがかかる、という二つの性格を有する資源のことを指しています。フリーライダーが生じやすいという点で公共財と共通しており、また多くの場合、その利用が紛争状態であるとか、市場の外部性が顕著である等の特徴があります。

 特に海洋生物資源は、ア)鉱物資源とは異なり、野性生物として成長・死亡・再生産の自立更新性をもち持続的に利用できる、イ)生物資源としては農畜産物と共通するが、共有資源であり無主物先占を原則とする、ウ)自然環境が強く影響し、分布と量が予測しがたく不確実性が支配する、という3点の特質を有しています。さらにこうした資源的特質に加えて、資源利用が海上という場で行われていることから、その厳格な取締りは困難であるという管理上の特質もあります。漁民数・漁港数・対象魚種数・漁業種類が著しく多様な日本においては、ITQのような市場原理に基づく管理ではなく、政府と漁民との合意形成や入り口規制(努力量規制)的な制度が重視されてきた所以です。

 本学会には、さまざまな共有資源の管理制度に関する世界中の事例研究が持ち寄られ、議論されます。よって自分なりの考察テーマ(問題意識)を持って参加すると、それに関する世界中のさまざまな資源の事例情報を得ることができます。私の場合、今回は、1)資源の不確実性とそこに設定される権利との関係、2)生物多様性保全のための保護区設定と現地の資源利用者の関係、3)経済学的考察の有効性と限界、の3点に着目していくつかのパネルに参加しました。以下、得られた知見や私が考えたことを簡単に紹介します。

 まず、1)資源の不確実性と権利の関係ですが、私が参加したパネルでは、遊牧地における牧草の分布(降雨量により大きく変動)とそこで発達している利用権の形態、干ばつ時の対応、そして遊牧民の定住化・農民化政策の影響等についての発表がありました。特に議論となったのは、通常ある部族が他の部族の利用地域に入るには歴史的慣行や細かい取り決めがあるのに対し、干ばつ時には緊急処置的に利用境界があいまいとなるという制度でした。これは直感的には、通常の経済学的所有権論と相反する現象です。しかし会場からは、サブサハラやエチオピア、アマゾン、北欧においても、対象資源はさまざまですが同様の制度が存在することが紹介されました。私も日本の入漁権や入会制度についての情報を提供しました。つまり、対象資源の変動性を前提とする場合には(ローマ法的な)近代所有権理論に替わる制度が発達しうるということです。

 しかし会場の議論において欠けていたのは、「いったいどのような変動性なのか、どのような変動幅なのか、どの程度の利用負荷なのか」という側面です。遊牧地における牧草分布の変動にしても、パッチ状の分布がランダムに変動するのか、周期的な変動なのか、その頻度は数週間なのか数年なのか等によって、変動への対応の仕方は大きく違うはずです。また利用負荷の大きさと干ばつ期の利用許容量およびその継続時間の関係如何によっては、一気に全面的な資源崩壊につながる恐れも否定できません。「不確実性」という概念は、それを定性的に議論するにはあまりにも広すぎると思われました。さらに、そこで発達する制度が何を目的としているのか(最悪の事態を避けるためのものか、最大の収穫を得るためのものか、あるいは公平・公正を目的としたものか)によっても制度の性格は大きく異なるでしょうし、そこには民族性・国民性といったものも大きく影響すると思われます。いずれにせよ、上記の事例は、通常時と特殊時で異なる目的を組み合わせた制度として非常に興味深いものでした。

 次の、2)生物多様性保全のための保護区設置と資源利用者の関係については、私が現在研究している知床世界自然遺産の海域管理とかかわるテーマです。知床においても絶滅危惧種の保全等を目的とした、適切な海洋保護区の設置が議論されています。 このテーマに関して私が参加したパネルは、強制退去と自然保全(Displacement and Conservation)というパネルでした。コモンズ論で高名なElinor Ostrom教授が座長をつとめ、大学や環境NGO等の研究者が森林・海洋の保護区導入事例について発表しました。ここで議論となったのは、「果たして保護区の設置に強制退去は必要なのか」という点です。中央アジアの事例として、ある森林の保護区設定と強制退去の執行が従前の資源利用者による密猟を誘発し、その結果ブラックマーケットが形成されて高値で取引され、以前よりも資源への負荷が増大したという報告がありました。また、保護区指定以前には地元の資源利用者もそれなりに持続性を考えて利用をしていたにもかかわらず、指定により利用を禁止され強制移住をさせられたため、持続的利用に対するインセンティブが消滅したという事例も報告されていました。

 一般に取締りには政府に多大な費用がかかります。広大な保護区の場合はなおさらですし、地元民は当地に精通していますので、監視員の裏をかく技も一枚上でしょう。監視の費用負担ができない国では、保護区設定に伴う上記のインセンティブ消滅により、かえって保護区設定前よりも状態が悪化する恐れもあります。 つまり、「そこにずっと住んでいて長年にわたり資源を利用している」という場合には、利用者の追い出しは得策ではなく、むしろ利用者を含めた管理制度の構築こそが望ましいという点が示唆されました。ただし、商品経済化や資源利用技術の変化による急速な減耗が認められるような場合は、依然として強制退去という選択肢もありうるのかもしれませんので、条件毎の場合分けの検討が必要です。

 最後に、3)は経済学的考察の有効性と限界です。本稿でもたびたび触れましたが、「インセンティブ」という考え方は経済学の概念であり、人間行動を考察する上で有用な概念のひとつです。そのほかに共有資源管理にかかわるものとしては、「割引」という考え方があります。これは今日の100円の価値は1年後の100円の価値と同じではない、今日の100円を適正に使用すれば一年後には100円以上の価値となるはずであるから(たとえば銀行に預けると利子がつく)、1年後の100円は割り引いて考える必要がある、というものです。つまり将来よりも現在をより大切にするということです。そしてこの割引率の大きさは一般に、将来に対するリスクが大きい(変動が大きかったり、予測が困難である等)ほど、より大きくなります。よって、平均値としてよく似たトレンドを示す2つの資源でも、過去の変動の幅や性格、そして将来予測の内容によっては利用形態が大きく異なることになります。

 また、経済学的考察のもうひとつの武器は量的概念です。先に述べたように、不確実性や資源利用負荷と一口で言ってもその相対的な大きさや種類にはいろいろあります。変動の種類を比較したり、その違いを表現できるという点は経済学的考察の武器であり、また資源学や海洋学等の自然科学的知見とのつながりも模索できるという長所でもあります。

 一方で経済学的考察の限界についても、本学会では多くの示唆を得ました。一般に、経済学(特にアメリカを中心とした現代の主流派経済学)は、効率性に関しては深い洞察を与えるものの、公正や富の配分については何も言うことができないと指摘されています。これに関連してガルブレイスは、各時代の経済思想はその時代の主要な経済的利益に迎合する傾向があると指摘しています。

 しかし、本学会では共有資源管理制度という共通テーマの下にさまざまな学問分野が集まっており、パネルの議論では、倫理、正当性、政治的状況、権力構造、教育、ノルム(規範)、民族性、といった概念が活用されていました。また個人的に印象的であったのは、「市場(Market)」をさまざまな制度の中のひとつの仕組みに過ぎないとして相対的にとらえていることでした。

 本学会で得られたこれらの知見を踏まえつつ、今後は共有資源管理制度のひとつとしての日本の漁業管理制度が有する特殊性・一般性を、幅広い研究者の方々と共同で考察していきたいと思います。

 

 
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