約7500年前 | 夏島貝塚(スズキ・クロダイなどの骨が出土) | |
約6500年前 | 夏島・野島が陸から離れ、島になる | |
約4000年前 | 称名寺貝塚(イルカの骨が出土) | |
約2500年前 | 野島が寺前とつながり、平潟湾が内海となる | |
文治元年(1185) | 源頼朝が伊豆三島明神を勧請して瀬戸明神社を建てた | |
仁治2年(1241) | 鎌倉 | 鎌倉-六浦間の道が開かれる |
文応元年 | このころ北条実時が称名寺を建てる | |
建治元年(1275) | このころ北条実時が称名寺の隣に金沢文庫を建てる | |
文保3年(1319) | 瀬戸橋がつくられる | |
明徳元年(1390) | 室町 | このころ、六浦・洲崎に塩垂場ができる |
元禄7年(1694) | 江戸 | 中国僧、心越禅師が能見堂から見た風景を、中国の瀟湘八景になぞらえ漢詩を読む(金沢八景のはじまり) |
嘉永2年(1849) | 泥亀新田が完成する | |
安政元年(1854) | ペリーが浦賀に来航し、金沢小柴沖に碇泊する | |
安政6年(1859) | 横浜が開港する 金沢六浦に塩田がつくられる |
|
明治6年(1873) | 明治 | 瀬戸神社が郷社瀬戸神社となる |
明治16年(1883) | 金沢湾に海苔養殖場ができる | |
明治20年(1887) | 夏島の伊藤博文の別荘で、憲法草案が起草される | |
明治27年(1894) | 伊藤博文が金沢文庫を復興する | |
明治32年(1899) | 野口英世が長浜検疫所に赴任する(4月~9月) | |
明治33年(1900) | 泥亀新田で蓮根栽培がはじまる | |
明治43年(1910) | 金沢六浦の塩田が廃止される | |
大正3年(1914) | 大正 | 野島沖で水雷の試射があり、各漁場の操業がしばしば止められる |
大正5年(1916) | 横須賀海軍航空隊が追浜におかれる | |
大正7年(1918) | 追浜で飛行場の埋め立てがはじまる | |
大正12年(1923) | 関東大震災で金沢村洲崎の家屋はほとんど倒れる | |
昭和5年(1930) | 昭和 | 湘南電車(今の京急線)の黄金町~浦賀、金沢八景~湘南逗子間が開通 |
昭和9年(1934) | 横浜海軍航空隊が富岡にできる | |
昭和11年(1936) | 横須賀海軍航空隊が拡張され、野島周辺が埋め立てられる | |
昭和14年(1939) | 柴-長浜間のトンネルが完成する | |
昭和20年(1945) | (6月)富岡南部が空襲にあう (8月)太平洋戦争が終結する |
|
昭和23年(1948) | 金沢乙艫運河の野島橋渡船が廃止される | |
昭和26年(1951) | 杉田町の地先で埋め立てがはじまる | |
昭和36年(1961) | 野島に展望台ができる | |
昭和42年(1967) | 平潟湾の埋め立てが完成する | |
昭和46年(1971) | 金沢地先第一号地の埋め立てがはじまる | |
昭和47年(1972) | 金沢地先第二号地の埋め立てがはじまる | |
昭和48年(1973) | 根岸線が大船まで開通する | |
昭和49年(1974) | 金沢地先第3号地の埋め立てがはじまる | |
昭和51年(1976) | 金沢地先第一号地が完成する | |
昭和56年(1981) | 富岡漁業協同組合が解散する | |
昭和60年(1985) | 八景島が完成する | |
昭和61年(1986) | 金沢地先の埋立第二号地、第三号地が完成する | |
平成元年(1989) | 平成 | 金沢シーサイドラインが開業する |
平成5年(1993) | (5月)八景島シーパラダイスが開業する (8月)水産庁中央水産研究所が東京より現在地に移転 |